○小林章夫『チャップ・ブックの世界:近代イギリス庶民と廉価本』(講談社学術文庫) 講談社 2007.7
チャップ・ブックという言葉を知ったのは、2005年暮れのうらわ美術館の展覧会『挿絵本のたのしみ』だったかしら。2006年の『アラビアンナイト大博覧会』でも目にしたように記憶している。
チャップブック(Chapbook、英語では1語なのだから「・」は要らないように思う)というのは、16~19世紀にチャップマンと呼ばれる行商人が売り歩いた廉価本である。古いものは今日の新書版サイズ、18世紀末~19世紀にはさらに小型化して今日の文庫本サイズとなった。厚さは16~24ページが標準。50ページを超えるものはほとんどない。基本は紙表紙本で、へりも整えず(アンカット)、綴じ糸もない(パンフレット形式)のものも多く見られた。内容は、手軽に読める笑い話、ハウツーもの、占い、宗教的な教訓譚、エキゾチックな旅行記、犯罪実録、名作ダイジェストなど。
調べてみたら、英語版Wikipediaには項目が立っているが、日本語版にはない。日本人にはなじみのない言葉なのだろう。しかし、私は本書を読みながら、たびたび脳裡に思い浮かべていたのは、ほとんど実物を見たことのないチャップブックそのものではなくて、江戸の草双紙であった。似てると思うんだけどな~。草双紙の基本定義は「絵を中心に仮名で筋書きが書き込まれた物語」である。
チャップブックも、庶民の購買意欲を誘うため、木版画が多く使われたことが、特徴のひとつとなっている。大半は無名画家による素朴で稚拙な挿絵だが(それなりに味わい深い)、のちに『イギリス鳥類誌』を手がけたビューイック(Thomas Bewick)なども登場する。
児童文学の培地となったという点もよく似ている。初期の草双紙(赤本)が「桃太郎」「舌切り雀」「さるかに合戦」などの昔話を主な題材としていると同様、チャップブックの中で最も人気が高かったのは、「シンデレラ」「ロビン・フッド」「巨人殺しのジャック」(←これは本書で初めて知った。イギリスでは非常に人気のある説話。イギリスにおける”巨人”のイメージがよく分かって面白い!)それに「アラビアンナイト」などの民話伝説類であり、今日の児童文学との親近性が高い。
もし、明確に子どもを読者として想定した作品を「児童文学」と呼ぶとすれば、その登場は18世紀中頃を待たなければならない。しかし、本書もいうように、教養のない人々でも読めるよう、やさしく書かれたチャップブックは「子供が読むことが可能なもの」でもあった。それゆえ、チャップブックは「児童文学が生まれるきっかけ」を担ったのでる。事情は草双紙でも同様と言える。
19世紀に入ると、徐々に成熟を遂げる近代小説が読者を獲得し、チャップブックの素朴な世界は飽きられるようになった。産業革命の影響によって、印刷コストが下がり、中産階級や庶民が小説を買いやすくするために「小説の分冊刊行がますます盛んに行われた」という。私は本書を読みながら、これって合巻なんじゃない?と、またまた草双紙の用語を思い出していた。
最終章「エピローグ」に語られているところによれば、18世紀に興盛を誇ったチャップブックのうち、今日残っているものは、総出版量の2%と推算されているらしい。残り98%は失われてしまった。廉価本の宿命で、そもそも装丁が保存向きに出来ていないし、紙の貴重であった時代、読み終われば、メモ代わりにされたり、便所の落とし紙に使われたりしたらしい。
最後は便所の落とし紙か――と苦笑した。でも、私は、革背金箔押しみたいな豪華本よりも、こういう庶民の身近にあった出版物のほうに限りなく惹かれるのである。
チャップ・ブックという言葉を知ったのは、2005年暮れのうらわ美術館の展覧会『挿絵本のたのしみ』だったかしら。2006年の『アラビアンナイト大博覧会』でも目にしたように記憶している。
チャップブック(Chapbook、英語では1語なのだから「・」は要らないように思う)というのは、16~19世紀にチャップマンと呼ばれる行商人が売り歩いた廉価本である。古いものは今日の新書版サイズ、18世紀末~19世紀にはさらに小型化して今日の文庫本サイズとなった。厚さは16~24ページが標準。50ページを超えるものはほとんどない。基本は紙表紙本で、へりも整えず(アンカット)、綴じ糸もない(パンフレット形式)のものも多く見られた。内容は、手軽に読める笑い話、ハウツーもの、占い、宗教的な教訓譚、エキゾチックな旅行記、犯罪実録、名作ダイジェストなど。
調べてみたら、英語版Wikipediaには項目が立っているが、日本語版にはない。日本人にはなじみのない言葉なのだろう。しかし、私は本書を読みながら、たびたび脳裡に思い浮かべていたのは、ほとんど実物を見たことのないチャップブックそのものではなくて、江戸の草双紙であった。似てると思うんだけどな~。草双紙の基本定義は「絵を中心に仮名で筋書きが書き込まれた物語」である。
チャップブックも、庶民の購買意欲を誘うため、木版画が多く使われたことが、特徴のひとつとなっている。大半は無名画家による素朴で稚拙な挿絵だが(それなりに味わい深い)、のちに『イギリス鳥類誌』を手がけたビューイック(Thomas Bewick)なども登場する。
児童文学の培地となったという点もよく似ている。初期の草双紙(赤本)が「桃太郎」「舌切り雀」「さるかに合戦」などの昔話を主な題材としていると同様、チャップブックの中で最も人気が高かったのは、「シンデレラ」「ロビン・フッド」「巨人殺しのジャック」(←これは本書で初めて知った。イギリスでは非常に人気のある説話。イギリスにおける”巨人”のイメージがよく分かって面白い!)それに「アラビアンナイト」などの民話伝説類であり、今日の児童文学との親近性が高い。
もし、明確に子どもを読者として想定した作品を「児童文学」と呼ぶとすれば、その登場は18世紀中頃を待たなければならない。しかし、本書もいうように、教養のない人々でも読めるよう、やさしく書かれたチャップブックは「子供が読むことが可能なもの」でもあった。それゆえ、チャップブックは「児童文学が生まれるきっかけ」を担ったのでる。事情は草双紙でも同様と言える。
19世紀に入ると、徐々に成熟を遂げる近代小説が読者を獲得し、チャップブックの素朴な世界は飽きられるようになった。産業革命の影響によって、印刷コストが下がり、中産階級や庶民が小説を買いやすくするために「小説の分冊刊行がますます盛んに行われた」という。私は本書を読みながら、これって合巻なんじゃない?と、またまた草双紙の用語を思い出していた。
最終章「エピローグ」に語られているところによれば、18世紀に興盛を誇ったチャップブックのうち、今日残っているものは、総出版量の2%と推算されているらしい。残り98%は失われてしまった。廉価本の宿命で、そもそも装丁が保存向きに出来ていないし、紙の貴重であった時代、読み終われば、メモ代わりにされたり、便所の落とし紙に使われたりしたらしい。
最後は便所の落とし紙か――と苦笑した。でも、私は、革背金箔押しみたいな豪華本よりも、こういう庶民の身近にあった出版物のほうに限りなく惹かれるのである。