見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

移動と思索/驢馬とスープ(四方田犬彦)

2007-08-18 14:06:17 | 読んだもの(書籍)
○四方田犬彦『驢馬とスープ:papers 2005-2007』 ポプラ社 2007.8

 2004年12月から2007年1月にウェブマガジン「パブリディ」(現在は休刊)に連載された「週刊ヨモタ白書」を主とする時評エッセイ集である。

 四方田さんの著作を単行本として読んだのは、意外と遅くて、たぶん『心は転がる石のように』(2004.12)が最初である。あれは2003年から2004年に書かれたエッセイをまとめたものだったから、本書はその続きと言える。前作では、イスラエルの大学に4ヶ月滞在した際の見聞記が非常に印象的だった。日本では、マスコミも、国際問題の専門家も語らない「パレスチナの日常」に初めて触れたように思って。

 だから、本書の冒頭、著者がコソヴォに向かうと読んだときは「今度はコソヴォか」と思った。セルビア共和国の内側にあって大半がアルバニア人地区と化しているコソヴォの中に、さらにセルビア人の難民居住区があり、そこにプリシュティナ大学ミトロヴィツィア分校がある。著者はここに日本語と日本文化の教員として招かれたのだ。

 もっとも、コソヴォでの滞在は、前作のパレスチナほど詳細には語られていない。本書の中で、著者は、モロッコ、ソウル、青島(チンタオ)、チベット、メキシコ、ニューヨーク、タスマニア、ケベックと、まるで神話の英雄のように世界各国を巡歴する。日本国内でも、埼玉県の高麗神社に在日作家・野口赫宙の足跡を訪ね、秋田県へかつて奇跡の涙を流したマリア像を確認にゆく。「移動しながら思索する」のが著者のスタイルである。

 本書は、そんな著者の思索スタイルのままに進むので、次から次へと、読み捨てにできないテーマが頻出する。13歳の三島由紀夫が、詩集の冒頭に書き付けた、パレスティナにまつわる警句。チベットを侵食する漢民族の食文化と消費文化。ブルース・リーに見るイエスの面影、等々。470ページ、2500円は、時評エッセイとしては、やや持ち重りがするボリュームだが、読み終わると、詰め込まれた「知識」と「思想」の充実感・満腹感に呆然となる。

 著者は「人生で17回目の引越し」を終えて「わたしは、いつまでも同じところに留まっていると、頭が悪くなるような気がしてしまう類の人間なのである」とうそぶく。私もどちらかといえば同種の人間なので、この気持ちはとてもよく分かる。そして、驢馬に憧れる(驢馬を飼いたい)気持ちも。驢馬は、馬のように疾走はしない(似合わない)けれど、ひたすら歩き続けるのだ。重荷を背負わされても。本来、生まれ育った場所とは似ても似つかない場所、荒地へでも高山へでも。

 旅人を迎えるのは一皿のスープ。「わたしの旅とは突き詰めるならば、スープの皿から別のスープの皿へと移ってゆく旅にすぎないのだ」という。確かに、土地ごとに、あるいは家ごとに味の異なるスープを味わうように、さまざまなことを考えずにいられない1冊である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする