見もの・読みもの日記

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苦悩の愛と性/清兵衛と瓢箪・網走まで(志賀直哉)

2007-08-01 23:35:02 | 読んだもの(書籍)
○志賀直哉『清兵衛と瓢箪・網走まで』(新潮文庫) 新潮社 1968.9

 懐かしいな。志賀直哉なんて読むのは、いつ以来だろう。本書は、著者の最も初期の作品を集めた短編集である。子供の頃に好きだった『菜の花と小娘』、逆に子供の頃にはよく分からなかった『清兵衛と瓢箪』、中学の国語の教科書に載っていた『正義派』などが収められている。 

 先だって、長山靖生氏の『大帝没後』を読んだら、大正青年の典型例として、志賀の小説が取り上げられていた。たとえば『或る朝』では、祖父の三回忌の当日、なかなか寝床から起き出そうとしない主人公が、祖母に「不孝者」と叱られ、「年寄の云ひなり放題になるのが孝行なら、そんな孝行は真つ平だ」と言い返す。まるで反抗期の中学生のような言い草だが、実生活では、志賀が26歳のときのことだという。ええ~。呆れて、のけぞってしまった。なんだ、コイツ。

 そうかと思うと、13歳の夏、江の島に水泳に行った帰りに、母親にだけお土産を買った。弟か妹を懐妊した母親に「褒美をやる」つもりだったという。えええ~。これはこれで、なんなんだ、中学生の分際で、この過剰な自尊心は。2つのエピソードが、あまりにも衝撃的だったので、志賀の作品が読みたくなったのである。

 そうしたら、ほかの作品もブッ飛んでいた。志賀直哉=理想主義・人道主義を掲げた「白樺派」の代表、みたいなイメージの強いひとは、ぜひこの初期短編集を読んでみるといいと思う。『児を盗む話』は、題名どおりの幼女誘拐譚だし。『濁った頭』は、姦淫の罪に慄いていた基督教徒の青年が、年上の出戻り女に誘惑され、荒んだ恋愛関係に堕ちていく話。

 むかし、私は志賀直哉をひととおり読んだと思うのだが、絶対に、これらの毒に満ちた面白さって、分からなかっただろうと思う。『老人』もいいな。50代で最初の妻を失い、60代で後妻を失った男が、70歳を過ぎて、若い妾を囲う。女が情夫と浮気を重ねていると知りながら、黙ってそれを見逃す老人の心中を、筆は淡々と描いていく。「老い」の陰惨さと、陰惨さを受け入れるマゾヒスティックな歓びが感じられて、すごく面白い。小説って、年齢を重ねると、読めるようになってくるものなんだな。

 『老人』にしても『濁った頭』にしても、主人公の悩みの根底にあるのは、理性や意志の力ではどうにもならない愛欲(性欲)である。虚構のまさる『范の犯罪』でも、田舎娘の淡い恋心を描いた『襖』も、要するに主題は同じだ。しかし、平成のいま、若者も中高年も、愛や性にこんな大仰な意味づけはしないんじゃないかと思う。大抵のことは非難されないし。世の中、もっと面白いこともたくさんあるし(ゲームとか金もうけとか)。明治や大正の文学が、われわれに分からなくなっているのは、愛と性に関わる苦悩の激減が、いちばん大きい理由なのではないか、と思った。
コメント
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