見もの・読みもの日記

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皇帝のうつわ・今昔/景徳鎮千年展(松濤美術館)

2007-08-23 08:44:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○松濤美術館 『景徳鎮千年展-皇帝の器から毛沢東の食器まで』

http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/20070731_keitokutin.html

 この展覧会、昨年から岐阜や茨城(笠間)を巡回していて、行きたい行きたいと思っていたものである。とうとう都内にやってきてくれた。中国屈指の陶磁器の産地「景徳鎮」にフォーカスした企画展。宋代以来の精品に加えて、1975年、毛沢東主席のためにつくられた「7501工程」の食器や文房具など約130点を展示する。

 景徳鎮の磁器は、白が美しい。冷たいミルクのような白をしている。定窯の白磁のように素地を楽しむための白色ではなくて、五彩や染付を施してこそ引き立つ白色である。会場に入ると、中国の「南京博物院」と台湾の「鴻禧美術館」への謝辞が目立つところに掲げられていた。どちらも行ったことがあるが、とりわけ後者は、私の大好きな美術館なので、胸が躍った。いま、図録を見ると、第1部の9割方は鴻禧美術館の蔵品である(さすが!)。

 記憶に残った各時代の名品を挙げていけば、まず宋の青白磁刻花蓮池文鉢。まだマニエリスム化していない蓮花文がさわやか。元の青花は藍色がいい。明の五彩は――龍の顔が、どれもいい。五つ爪の、皇帝にのみ使用を許された龍なのに、どれもマンガのキャラクターみたいな顔をしていて、明代って意外と楽しい時代だったのかも、と思わせる。上記サイトに出ている「五彩龍鳳文蒜頭瓶」も、はじけたポーズの龍がかわいい。周囲を埋める唐草文やラーメンどんぶりみたいな渦巻き文には、素朴な手工芸の味わいが残っている。

 これが清代になると、技術が長足の進歩を遂げる。「豆彩唐花文双耳瓢形瓶」は、色も文様も人間業と思えない、精緻の極み。うーむ。私は、明の五彩と清の豆彩、どちらも甲乙付けがたく好きだなあ。

 第2部は「7501工程」の食器を展示。私は全く知らなかったが、「7501工程(プロジェクト)」とは、文化大革命末期の1975年、景徳鎮の職人たちに下った秘密命令で、毛沢東主席専用の食器一式を製作する計画のことだ。茨城県陶芸美術館のサイトの解説が詳しい。「北京に送った作品以外はすべて廃棄するよう中央政府から指示」があったが、製作に関わった人々は、「再注文が来ても、二度と同じレベルのものは作れないと考え、再補給のためにも必要だと判断して密かに保管」したという。再補給のため? そりゃー表向きだろう、と私は思った。

 1980年代以降、江西省の馬暁峰氏はこの磁器の収集を開始し、既に一般家庭に流出していた(!)「7501工程」の磁器を、ついに全種類収集することに成功したという。つまり、中央政府の廃棄指示にもかかわらず、それだけの量が民間に隠匿されていたわけだ。どんなに苛烈で強大な「官」の権力があっても、それをかいくぐって生きる「民」のしたたかさ、これこそ中国文化の真面目だと私は思っている。

 ”皇帝”毛沢東の器は、多くは紅梅、ほかに桃・芙蓉・菊も使われているが、全て白地にピンクが基本の配色である(あとは緑、グレーの取り合わせ)。不思議なほど少女趣味で、かつ日本趣味なんじゃないかと思う(色数が少なく、余白が多いところ)。中国人には新鮮なのかも知れないが、日本人の目には平凡に映る。

 私は、もし叶うことなら、黄色地にピンクの梅と黒いカササギをあしらった「黄地粉彩花鳥文」の食器が欲しい!と思った。清の同治帝の婚礼の際に作られた食器一式の一部だそうである。
コメント (1)
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