見もの・読みもの日記

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凍れる音楽・書の至宝/東京国立博物館

2006-01-22 08:03:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『書の至宝-日本と中国』

http://www.tnm.jp/

 最近、ようやく「書」を見ていても飽きなくなった。「書」を見るには、一瞬の印象も大事だが、筆の運びに表現された緩急を、ゆっくり追体験してみることが大切なのではないか。「書」は、視覚芸術であると同時に、音楽に似ていて、時間の流れを必要とする芸術なのではないかと、素人なりに思うようになった。例の、「凍れる音楽」という修辞を援用してみるのはどうだろう?

 この展示会は、中国と日本の「書の至宝」を一堂に集めたものである。雪の一日だったので、人出は少ないだろうとタカをくくって出かけたら、意外と混んでいた。ふだんの特別展に比べて、中高年の男性が多いように思った。気に入った名品をじっと見つめながら、空中で運筆を真似ている若者もいた。米芾の書を指して「これ、これ! これ欲しいのよ~」と騒いでいるおばさまもいた(どういう意味?)。

 中国の書を楽しむには、やっぱり少し「歴史」の知識があったほうがいい。私は、この10年くらい、毎年、中国に行くようになり、書家の名前だけは少しずつ覚えた。しかし、書の見かたは、なかなか分からなかった。そんなとき、素人向きの解説書として、私が非常に恩恵を受けたのは、『芸術新潮』1998年10月号の特集「本当は誰もが知りたい王羲之はなぜ”書聖”なのか――どこがすごいか知らないけれど誰もがみんな知っている”まことの王羲之”を書家・石川九楊が突きとめた!」である。いま、『やさしく極める“書聖"王羲之』という題で、新潮社の「とんぼの本」シリーズに入っている。

 たとえばこの展示会には、王羲之作品が多数出ているが、彼の真筆は現存せず、残っているのは模本(臨書)と拓本のみであること、模本によって受ける印象がかなり異なることなどは、知っておくほうがいいだろう。

 中国人は、古来、紙というメディアの永続性にあまり信頼を置かず、後世に伝えたいものは石に刻んだ。さらにその拓本が取られて、珍蔵されてきた。今日、紙の原本はもちろん、石碑さえも損失してしまって、拓本だけが伝わった作品が数多くある。残念ながら、拓本には、白黒のコントラスト情報(デジタルの二値!)しかない。だから、我々は、「拓本」の向こうに「碑文」を、さらにその先に「書」を、想像力で呼び出すしかない。中国古代の書を考えるとき、このことも頭の隅に置いておくほうがいいと思う。

 本展で出会える名品は数々あるが、『喪乱帖』はその一。王羲之の真筆にかなり近いと言われる臨書である。唐の太宗は王羲之の書を愛し、死に臨んで、収集品を全て自分の陵墓に埋めさせたと伝える。『喪乱帖』は、奈良時代に日本に伝わり、聖武天皇の遺愛の品であったそうだが、さすがに聖武は自分の墓まで持っていこうとしなかった。よかった。

 それから、日本の「三蹟」の一人と言われる藤原行成が、延喜式か何かの裏紙に、王羲之の尺牘(せきとく=書簡)を、いくつも臨書したものがあった(中国には伝わらない作品も含まれるそうだ)。これにはちょっと感動してしまった。時代や国境を超えて、天才は天才に学ぼうとしたんだなあ、と思って。

 中国の書では、懐素の『苦筍帖』が楽しい。「めずらしく佳い筍(たけのこ)と茶があるから、すぐにでも来られたし」という、わずか2行の書簡であるが、前後に序やら跋やら何やらが付き、歴代の収蔵者の印が隙間なく押されていて、立派な巻子本になっている。書かれた内容と、外観の仰々しさのギャップに笑える。

 日本の書は、基本的に「書」そのものである。というのは、「拓本」で伝わる名品というのがないので、少し慣れてくると、墨の濃淡から、筆者の呼吸をナマで感じることができる。その分、中国古代の書よりも親しみやすいと思う。

 展示室の入口にある継色紙『よしのかは』は、小野道風の筆も美しいが、色紙の継ぎ方が、パウル・クレーの絵のようだ。全体に万葉集と和漢朗詠集が多いのは、昨年から続く「古今・新古今イヤー」との差別化を図ったためか。『桂宮本万葉集』って、こんなにきれいだったっけ。『古今和歌集巻十三残巻』も、色とりどりの料紙に目を奪われる。

 江戸モノでは、光悦の『摺下絵和歌巻』が長々と広げてあって嬉しかった。この作品、ずっと「美術」として観賞していたけど、光悦は「寛永の三筆」と呼ばれ、能書家と見なされていたというのが、新しい発見だった。
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