見もの・読みもの日記

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萬福寺の梵唄/国立劇場

2005-04-26 06:36:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立劇場 声明公演『萬福寺の梵唄(ぼんばい)-黄檗・禅の声明-』

 久しぶりに声明を聴きにいった。国立劇場の声明公演を欠かさず聴きに行っていたのは、7、8年くらい前のことだ。その後、仕事が忙しくなったり、東京を離れたりして、なかなか機会が作れなかったが、これまで、東大寺修二会の声明や、藤沢・遊行寺の声明などを聴いている。

 実は、萬福寺の声明も始めてではない。前回、同じ国立劇場で公演があったのは1996、7年頃ではないかと思うのだが、この時期のデータはネットにないので確認できなかった。

 今回の公演は「第1部:巡照(じゅんしょう)~祝聖(しゅくしん)~朝課(ちょうか)-朝のおつとめ-」と「第2部:施食(スーシー)-施餓鬼(せがき)-」から成る。たぶん第1部は前回も同じだったと思う。ただ、前回は舞台上に巨大な魚梛(かいぱん=木彫りの魚)を吊るして、これを柄の長い木槌でコーンと叩くところから始まったように記憶しているのだが、今回はちょっと違った。(魚梛はロビーに展示されていた)

 おつとめは一編の音楽劇である。誰も曖昧な人語など喋らない。鉦の音、木魚のリズムによって、意思を伝え合うのだ。撥音の多い中国音(明音)は、耳で明るくスキップするように弾む。たとえば「無量光明」は「ウリャンカンミン」という具合。

 前回の第2部は、ジャカジャカ鳴り物の多い行進曲ふうで楽しかったが、今回は、お盆の先祖供養として行われる施餓鬼の法会が再現された。舞台中央には高い雛壇のような祭壇が築かれ、最上段に座った導師は、朗々と若々しい美声で経文や偈を唱いあげる。次々に密教の印を結んでみせる姿は、役者が見得を切るように華やかでうっとりする。中国音の経文の間に、ときどき短い「真言」のフレーズが混じって、まるでオペラのアリアとレスタティーボのようだ。さらに日本語(漢文読み下し)の願文も加わり、実にインターナショナルで自在な緩急を織りなしている。

 黄檗禅には、密教、道教、念仏など、さまざまな要素が入り混じっているという。しかし、不思議なことに融合の結果は、コテコテのごった煮にならず、むしろシンプルな高貴さを保っている。なるほど。明代の文化とはこういうものか。
コメント
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