○紀三井寺(和歌山市)~観心寺(大阪府河内長野市)~金剛寺(同)~桜井神社(堺市)~大鳥神社(同)
2日目は、駅前のホテルから、ぶらぶら歩いて紀三井寺に向かう。山の中腹に張り付いたようなお寺である。山門をくぐると、長い石段がまっすぐに伸び、はるか上の方で、葉桜の枝の間に消えている。さすが西国第二番の札所らしく、朝から参詣客が多い。南方なまりの中国語も聞こえてくる。
ここは藤原時代の十一面観音(重要文化財)をはじめ、名品の仏像を数多く伝えているはずで、本堂のいちばん奥に、それらしいお姿が並んでいる。しかし、本堂内部に入れるのは、ご祈祷を受ける参拝者だけだ。しかもご本尊は秘仏である。お札やお守りを売っているおばちゃんに、「ご開帳ってあるんでしょうか?」と聞いてみたら、「50年に一度」だという。うーん。まだ十数年も先らしい。ただし、最近、建ったばかりの現代風の「宝塔」に、これから巨大な千手観音を安置する計画があるそうで、その記念法要の際は、たぶんご開帳をするだろう、との耳寄り情報を得た。秘仏ファンは、2006年秋を待て。
いったん和歌山を後にして、大阪南部まで北上し、南海高野線の河内長野駅からバスで観心寺へ。毎年4月17、18日の両日のみ公開される秘仏・如意輪観音がお目当てである。実は私は以前にも一度来たことがある。閉門ぎりぎりにタクシーで飛び込み、参拝客も少なくなった夕暮れのお座敷で、匂い立つ美女のような観音に対面した。
この日は日曜に重なったため、ものすごい人出だった。金堂で説明するお坊さんも「明日の月曜日に来ていただければ、これでもご開帳かと思うあんばいなんですが」と苦笑していた。しかし、まあ、この如意輪観音は、説明不要で一見の価値がある。観音様の前に余計なもの(花とか香炉とか)を置かないので、どんなに座敷が混んでいても、全身を拝見できるのはありがたいことだ。
前回はご本尊の拝観だけでタイムアウトしてしまったが、今回は、建掛の塔(楠正成が建てかけて中断した三重塔)や後村上天皇陵、そして霊宝館もゆっくり見ることができた。地蔵菩薩、十一面観音など、平安時代の木造仏の名品が多い。山野の精霊のような、率直な力強さに満ちている。
再び河内長野駅に戻り、今度はタクシーで金剛寺に向かう。南北両朝の天皇上皇にゆかりのお寺である。古美術ファンには、あの『日月山水図屏風』を持っているお寺、という紹介がいいかも知れない。
金剛寺は四方を山に囲まれ、渓流沿いの細長い平地に、坊舎の列が続く。韓国のお寺のたたずまいに似ていると思った。『日月山水図』が韓国の伝統的な図様であることを考え合わせると興味深い。車を下りるとすぐ、本坊の大きな楼門があり、その内側に、多宝塔、金堂、食堂など、立派な堂宇が垣間見えたが、まず奥に進んで、宝物館+観蔵院(北朝の行在所)と摩尼院(南朝の行在所)から拝観することにした。摩尼院の案内をしてくれたのは「先生」と呼ばれる足の悪いおばあちゃんで、言葉の端々に、北朝に対するライバル心が感じられておもしろかった。
さて、最後に本坊をゆっくり、と思っていたのだが、戻ってみると、楼門はぴたりと閉じられてしまっていた。えぇぇ~まだ4時半を過ぎたところなのに…。我が国最古の多宝塔は。二体の明王を従えた三尊形式の大日如来は。後村上天皇が政務を執った食堂は。同行者とともに、しばし呆然であった。また来るしかないか。
予定のコースが早めに終わってしまったので、夕闇迫る和泉中央の桜井神社(割り拝殿が国宝)に寄り、鳳駅近傍の大鳥神社に寄ったときは、既に真っ暗。親切な警備員さん、ありがとうございました。そして貝塚のビジネスホテル泊。
■あやしい響きに心が躍る「秘仏拝観券」(観心寺)
■河内長野の四季:写真豊富
http://homepage3.nifty.com/knagano-shiki/
(4月21日記)
2日目は、駅前のホテルから、ぶらぶら歩いて紀三井寺に向かう。山の中腹に張り付いたようなお寺である。山門をくぐると、長い石段がまっすぐに伸び、はるか上の方で、葉桜の枝の間に消えている。さすが西国第二番の札所らしく、朝から参詣客が多い。南方なまりの中国語も聞こえてくる。
ここは藤原時代の十一面観音(重要文化財)をはじめ、名品の仏像を数多く伝えているはずで、本堂のいちばん奥に、それらしいお姿が並んでいる。しかし、本堂内部に入れるのは、ご祈祷を受ける参拝者だけだ。しかもご本尊は秘仏である。お札やお守りを売っているおばちゃんに、「ご開帳ってあるんでしょうか?」と聞いてみたら、「50年に一度」だという。うーん。まだ十数年も先らしい。ただし、最近、建ったばかりの現代風の「宝塔」に、これから巨大な千手観音を安置する計画があるそうで、その記念法要の際は、たぶんご開帳をするだろう、との耳寄り情報を得た。秘仏ファンは、2006年秋を待て。
いったん和歌山を後にして、大阪南部まで北上し、南海高野線の河内長野駅からバスで観心寺へ。毎年4月17、18日の両日のみ公開される秘仏・如意輪観音がお目当てである。実は私は以前にも一度来たことがある。閉門ぎりぎりにタクシーで飛び込み、参拝客も少なくなった夕暮れのお座敷で、匂い立つ美女のような観音に対面した。
この日は日曜に重なったため、ものすごい人出だった。金堂で説明するお坊さんも「明日の月曜日に来ていただければ、これでもご開帳かと思うあんばいなんですが」と苦笑していた。しかし、まあ、この如意輪観音は、説明不要で一見の価値がある。観音様の前に余計なもの(花とか香炉とか)を置かないので、どんなに座敷が混んでいても、全身を拝見できるのはありがたいことだ。
前回はご本尊の拝観だけでタイムアウトしてしまったが、今回は、建掛の塔(楠正成が建てかけて中断した三重塔)や後村上天皇陵、そして霊宝館もゆっくり見ることができた。地蔵菩薩、十一面観音など、平安時代の木造仏の名品が多い。山野の精霊のような、率直な力強さに満ちている。
再び河内長野駅に戻り、今度はタクシーで金剛寺に向かう。南北両朝の天皇上皇にゆかりのお寺である。古美術ファンには、あの『日月山水図屏風』を持っているお寺、という紹介がいいかも知れない。
金剛寺は四方を山に囲まれ、渓流沿いの細長い平地に、坊舎の列が続く。韓国のお寺のたたずまいに似ていると思った。『日月山水図』が韓国の伝統的な図様であることを考え合わせると興味深い。車を下りるとすぐ、本坊の大きな楼門があり、その内側に、多宝塔、金堂、食堂など、立派な堂宇が垣間見えたが、まず奥に進んで、宝物館+観蔵院(北朝の行在所)と摩尼院(南朝の行在所)から拝観することにした。摩尼院の案内をしてくれたのは「先生」と呼ばれる足の悪いおばあちゃんで、言葉の端々に、北朝に対するライバル心が感じられておもしろかった。
さて、最後に本坊をゆっくり、と思っていたのだが、戻ってみると、楼門はぴたりと閉じられてしまっていた。えぇぇ~まだ4時半を過ぎたところなのに…。我が国最古の多宝塔は。二体の明王を従えた三尊形式の大日如来は。後村上天皇が政務を執った食堂は。同行者とともに、しばし呆然であった。また来るしかないか。
予定のコースが早めに終わってしまったので、夕闇迫る和泉中央の桜井神社(割り拝殿が国宝)に寄り、鳳駅近傍の大鳥神社に寄ったときは、既に真っ暗。親切な警備員さん、ありがとうございました。そして貝塚のビジネスホテル泊。
■あやしい響きに心が躍る「秘仏拝観券」(観心寺)
■河内長野の四季:写真豊富
http://homepage3.nifty.com/knagano-shiki/
(4月21日記)