「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

和気あいあいの演奏から「いい音楽」は生まれない

2023年07月23日 | 音楽談義

このところ、MLB「大谷選手」についての報道が喧(かまびす)しい。トレード期限(8月1日)が迫る中で、シーズン後の本人の「FA」も絡んだ話なのでメチャややっこしい話になっている。

そもそも「エンゼルス」の成績が良くてプレーオフの進出が濃厚であればこんな騒ぎは起こらないのにね。

エンゼルスの監督がこう言っている。「みんな和気あいあいと楽しそうに野球をやっているので成績もきっと上向きになるはずと信じている」

え~っ、ちょっとおかしいんじゃないかな。

大谷選手が入団してから今年で6年目になるので、ずっと注視してきたが「このチームの体質は甘い」という感じがしてしかたがない。

野球で勝つためには「投手力、守備力、打撃力」のバランスが必要だが、このチームはあまり当てにならない「打撃力」ばかりを重視して高額の契約金で選手を引っ張ってくる。

もっと、投手力と守備力を重視すべきなのに・・。

そして、チームに「緊張感と厳しさ」が足りないためかエラーがメチャ多い・・、そういうことにまだ気が付かないのか!

とまあ、日本の片隅で部外者がどう喚こうと効き目はないけどね(笑)。

という導入部のもとに、「和気あいあいの演奏からいい音楽は生まれない」といこう。

このブログはオーディオ関係の記事が半分以上を占めているが、
正直言って「オーディオ・マニア」と言われるよりも「音楽愛好家」と言われる方がうれしい。

女性が「仕事ができると言われるよりも、可愛いと言われたほうがうれしい」のと同じかな(笑)。

そういえば、これまでたくさんのオーディオ愛好家とすれ違ってきたが長続きしている人は「心から音楽が好き」という人が多かった。

このブログでいつも小難しい理屈を振り回しているようだがシンプルに言えば、ただただ「好きな音楽」を「好きな音」で聴きたいというだけのことである。

というわけで、今回は音楽ネタということで・・。

いつぞやのブログで、独裁者のようだった指揮者トスカニーニを引き合いに「指揮者とオーケストラの関係が和気あいあいの雰囲気ではいい音楽は生まれない」なんて生意気なことを書いたものの、所詮は音楽現場に疎いズブの素人の「たわ言」と受け止められても仕方がない。

そこでオーケストラの一員それもコンサート・マスターとして第一線でバリバリ活躍している方に応援してもらうことにしよう。

語るのは矢部達哉氏(1968年~ )。

90年に22歳の若さで東京都交響楽団のソロコンンサートマスターに就任して大きな話題を集めた現役のヴァイオリニストである。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」のあの美しいテーマ音楽を演奏した方といえば思い出す人もあるかもしれない。

 

この本の第4章「指揮者はオーケストラを超えていたら勝ち」に対談形式で述べられていた内容である。

 指揮者とオーケストラが仲良し友だちみたいだと奇跡的な名演は生まれにくいのですか?

生まれにくいと思う。結果的には練習のときに僕が指揮者から怒鳴られて嫌な気持ちはしたけど、その演奏会を思い出すと幸せなんです。

その指揮者をものすごく尊敬するし、尊敬の気持ちって一生消えない。仲良く和気あいあいとやった場合に、芸術的な深みのある演奏をした記憶がないんです、残念ながら。

ものすごくいい演奏ができるのは一年に一度か、運がいいと二度、三度かもしれない、そういうときはある種のストレスとか、負荷がかかって舞台にいるんです。

すごい緊張かもしれないし、このメロディを綺麗に吹くことができるかどうかっていう瀬戸際かもしれない、そういうことを感じながらみんなが次々にクリアすることが積み重なって奇跡が起こることがある。


ある意味で、そういうストレスとか負荷を与えてくれる指揮者でないと、名演はできない。みんながご機嫌で全然ストレスがなくて、いい指揮者だな、この人はなにか居心地がいいよなっていうときはそこそこしか、いかないです。

だから、今まで僕が経験した、素晴らしかった演奏というのはいい意味でのストレスは沢山ありましたよ。指揮者からの音楽的な要求が高くて、自分やオーケストラがそこまで行かれるかどうかを考えているときは精神的にプレッシャーがかかるけど、それを乗り越えたときにいい演奏ができる。

☆ コンサートマスターにとって、指揮者とはどのような存在なのですか?

指揮者って本当にミステリー。指揮者がいなくても演奏はできるがレベルをもっと高いところまで持っていくためには、やっぱり指揮者は絶対に必要。

レベルの高いオーケストラには、音楽に対する確固たる信念と個性を持った一流の器楽奏者が沢山集まっています。だから、指揮者はオーケストラの存在を超えているんじゃないかと思わせる人が勝ちなんです。

それはおそらく勉強とか経験とか、耳がいいとかスコアがよく読めるとか、そんなことではダメかもしれない、というのが僕の意見。

「生まれたときからそういう資質がある人じゃないと指揮者にはなれない」と、ある人が言っていますが、指揮者になれないのになっちゃっている人が意外に多いんです。「この指揮者は本物だ」と思える人はひと握り。

本物の指揮者だったら、音楽を離れたときにどんな人なんかあまり気にしない。音楽がものすごく出来て、しかも人間的にもバランスが取れている指揮者なんて、ほとんど聞いたことないです。

本物の指揮者は人並み外れているっていうのが僕の考え。そういう能力があって我々やお客さんに喜びとか幸せを与えられる指揮者なら意地悪だろうとお金に汚い人だろうとかまわないんです。

以上、関連箇所の抜粋だが、随分と歯切れのいい発言でこれが指揮者に対するオーケストラ側のおよその見解とみてもいいかもですね。

ところで、以上の話は「演奏」という言葉を「仕事」に置き換えると音楽の世界だけではなく私たちが一般的に働いている職場にも通じるような話になる。

たとえば「なあなあの仲良しクラブみたいな職場ではいい仕事が出来ない」とは在職中にもよく聞かされた話だが、ともすれば穏やかな方向へ流されがちだった我が身にとってはいささか耳の痛い話である。

組織の世界では単なる「いい人」では済まされないことが多い。

「厳しい上司と忠実な部下」という構図が当たり前のように求められるが、ストレスを受ける部下にしてみれば迷惑千万な話で「居ないのが一番いい上司」と言われる所以だろう。

「あいつは悪(ワル)だ」とレッテルを張られることはひとつの勲章といってもいいが、そこはそれ本人の人徳とも微妙に絡んできて「いい人」と「ワル」との兼ね合いがなかなか難しい。

結局のところ、最後の決め手となるのは「組織への忠誠心」と「人間的な誠実さ」にあるような気がするが、その辺が才能が優先する音楽芸術の世界と大きくかけ離れているところですかね・・。

いずれにしても現役を引退した身分だから、すっかり気楽で勝手気ままの言いたい放題です(笑)。


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