脳科学者の「中野信子」さんは、テレビ番組の「英雄たちの選択」(NHK BS)をはじめ、ちょくちょく拝見しているが著作も多いようだ。
46頁に「迷わない人は信用できない」という、自分のような凡夫には心強い言葉があった。
「人間は社会的な存在である以上、もちろん一人で生きていくわけにはいかない。どんなに孤立して自給自足をしていても、何らかの形で同種の個体の他者とコンタクトをとらざるを得ない。
新生児が自立して生きていくことのできない生物種である。成長も極めて遅く自立して次世代を作るようになるまでには十何年もかかってしまう。
人間として生まれた時点で同種の誰かに頼らざるを得ない、そういう状況に追い込まれている。そしてその都度、他者に合わせて生きる必要がある。
にもかかわらず、他者に合わせて生きざるを得ないことや、自分ではない誰かの基準で自分の人生を生きるような振る舞いを殊更に攻撃して軽蔑するような風潮があるのは不思議だ。
たとえば、いいね!を求めることをクズだと無批判に言い捨てる言説はそう珍しいとはいえない。面白いくらいに「自分の意思を貫け!」「創造性を鍛え、他人と違うことに挑戦せよ!」「リスクを取れ!」という煽り文句が次から次へと出てきて、ものすごいスピードで消費されていくのを目にする。
人間は、迷い、戸惑い、誰かに合わせ、人の言葉を聞かなければ選択も決断もできない。そういう生き物だ。
もしそうでない人がいたとしたら、その人の脳は普通ではない。迷いも戸惑いもせず、誰に合わせることもせず(ブレない、などと称賛されることが多いだろう)、人の言葉を聞かず、決断力があり、我が道を行く「迷わない人」がいたら、真っ先に私はその人のことを疑う。
その人のことを仮に「信用できない人間」フォルダにこっそり分類して観察しようとするだろう。そうしてある程度の期間、様子を見ながら、その人がほんとうに人の言葉を聞かず、合わせることを厭い、迷いも戸惑いも感じない人なのか、それともそう見せかけておくことで大衆の称賛を得ようと媚びているだけの人なのかを探るだろう。
残念ながら、多くの「迷う人」は「迷わない人」のことがとても好きだ。「迷う人」は自身に戸惑いや迷いが生じることを恥じていて、できれば「迷わない人」になりたいと願う。
「迷わない人」に憧れ、その振る舞いを一時的に真似ようとしたりする。たいていの物事を遠目で見てしまう私からすれば、もったいないな、と思わないでもない。ほんとうは、迷うことの方がずっと高度で、美しい機能なのに。
ブログ主:音楽やオーディオでしょっちゅう選択を迷っているので、これは非常に心強いコメントですね(笑)。
もう一つ、48頁には「ブランドと権威を認知する脳の働き」というのがあった。
「ペプシ・チャレンジ」という有名な実験がある。まず、ペプシとコカコーラをラベルを見せずに中身だけ被験者に飲んでもらい、どちらが好きか選ばせる。
ラベルを見せずに飲ませると、ペプシを選ぶ人が多かったという。一方で、ブランド名がわかる状態で被験者にそれらを飲ませると、コカ・コーラを選ぶ人の方が多かったという。
これは興味深い結果だろう。味の好みとブランドの好みは必ずしも一致するわけではないのである。
この研究は一言でいえばブランドの力が脳に与える影響を調べたものである。
すると(長くなるので部分的に要約すれば)脳機能領域の一部の働きにより「脳はブランドと味とを別々に処理している」ことが確認された。
ブランドやラベルや第三者のお墨付きなど、外部の権威を表す何かによって自分の判断が左右されてしまうことを人間はなぜか恥ずかしいことだと感じるようだ。
恥ずかしいどころか醜い振舞であり、一部には唾棄すべき性質と断言する人すらいるようでもある。
しかし、前述の実験からはブランドや権威を認知し、これによって選好が変わることは重要な脳の働きの一つだということが示唆されたことになる。
ブランドを認知して活性化する「腹内側前頭前皮質」(vmPFC)は「社会脳」と俗に呼ばれる領域の一部である。いわば社会の空気を読んだり、相手の思いを察したりするような機能を担う場所である。
この機能が正常に働いているとき、私たちは誰かの思いを無意識に察し、自分の好みすら蓋をして、考えを曲げ、ブレて、迷う。
これほど精密なことを生理的にやってのけているというのに、その高度な機能を「内省」して「恥じる」のである。
そもそも生まれながらに矛盾を抱えるよう仕組まれているとは、実に面白い設計ではないか。
誰かがブレる様子を目(ま)の当たりにするとき、なんと精妙な器官/機関が働いていることだろうかと、むしろ感動すら覚えてしまうこともしばしばである。
ブログ主:いやあ、興味深いですねえ。
オーディオでは「ブランド」と「投資額」の二つが「脳の闇」になっています。
たとえば、「有名ブランドだから悪い音が出るはずがない」「高価だからきっといい音が出るはず」等々・・。
心あるオーディオ愛好家の間では、これらは「自分で音質を判断できない輩」として軽蔑の対象になっているが、一概にそうも言ってられないようですよ(笑)。
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