「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

おいおい、また「魔笛」の話かよ

2020年11月15日 | 音楽談義

「おいおい、また魔笛の話かよ」とウンザリする向きもあろうが、熱烈な信者の念仏だと思って聞いていただこう(笑)。

このところ、秋特有の清々しい時候となり気分スッキリ爽快、オーディオの方も肩の力がすっかり抜けてきたので、久しぶりにモーツァルトのオペラ「魔笛」をじっくり腰をすえて鑑賞する気になった。


とにかく”狂”と名がつくほどの40年来の「魔笛」ファンである。おそらく日本有数といっても過言ではあるまいと秘かに自負している。

指揮者と歌手の違う「魔笛」のベストイメージを追い求めて現在の手持ちCDが23セット、CDライブが11セット、そしてDVDが14セットで計48セットという有様。

何も沢山持っていることがその曲を理解しているとは限らないが、何せ大切な身銭を切って購入するわけだからこの曲目に対する愛情のひとつの証にはなるだろう。

いつぞやの記事でベートーヴェンの名曲「ピアノ・ソナタ32番」について100枚以上の試聴盤を網羅したブログを紹介したことがあるが、それには及びもつかないものの、魔笛〔二幕)の場合はいずれも2~3枚セットで演奏時間も2時間半を越える大曲なので量的には匹敵するかと思う。

そもそもオーディオに熱心になったのも、「魔笛」をもっと「いい音」で聴いて感動をより一層深めたいというのが偽らざる心境だったが、
そのうち、御多分に洩れず音楽を聴く手段(召使い)に過ぎないオーデイオが何だか目的みたいになって「ミイラ取りがミイラ」になってしまったという次第(笑)。

早くオーディオを脳裡から消し去って音楽に没入しなければという意識は常に頭の片隅に持っている積もりだが、
「魔笛」を卒業したともいえるこの時点で改めて聴くとなると、それこそ名盤目白押しだけれども自ずと絞られてくるところ。

それはコリン・デービス指揮(1984年録音:ドレスデン・シュターツカペレ)とウィリアム・クリスティ指揮(1996年録音:レザール・フロリサン)の2セット。

     

     

(ちなみにDVDではフランツ・ウェザー・メスト盤〔2000年)とコリン・デービス盤〔2003年)が双璧だと思う。)

さて、このCD盤の両者だがともにデジタル録音で、デービス盤は原盤が「フィリップス」、クリスティ盤は「エラート」で、ともに優秀録音で知られたレーベルで互いに不足なし。

ただし同じデジタル録音でも12年の差があるので、録音機器の進歩が音質にどのくらい影響を与えているのだろうかという興味も尽きない。

まずデービス指揮の盤から。

一番聴きなれた「魔笛」なのではじめから違和感なくスッと入っていける。一言でいって、一切、奇を衒ったところがなく正統派の魔笛である。

主役級の5人も当時の一流の歌手で固めており、王子役(テノール)がペーター・シュライヤー、王女役(ソプラノ)がマーガレット・プライスというコンビも好み。

次に、クリスティ指揮の方は明らかに音響空間の透明度が高くて歌手や楽器の音色が自然体で彫も深くなる。やはり12年間の録音時期の差は明らかにあると思った。

歌手のほうはデービス盤に比べると総体的にちょっと見劣りするが、「夜の女王」役があのナタリー・デセイなので稀少盤という価値がある。

もし、「魔笛」でどの盤を購入したらよいかとアドバイスを求められたら、総合的にみて自分なら「クリスティ」盤を推薦する。

ところで、この魔笛が作曲されたのはモーツァルトが35歳の亡くなる年〔1791年)なので、晩年の作品に共通に見られるあの秋の青空のような澄み切った心境がうかがわれ、いわば彼の集大成ともいえるオペラなのだがどうも人気がいまひとつの感がしてしようがない。

こんな名曲なのに実に勿体ない。

いろんな本の「モーツァルト」特集を見ても「モーツァルトの曲目アンケート」で上位に挙げてる人が少ない。

「馴染みにくい」の一言だろうが、一連のピアノ協奏曲が上位に食い込んでいるのにはちょっとガッカリ。

中には「東大教授」という肩書きの方がいたりして、たいへん不遜な物言いだが「頭のレベル」と「音楽感性」は必ずしも一致しないものだと痛感した。

たしかにピアノ協奏曲は美しいメロディに満ち満ちて随分魅力的なことは認めるが、聴いている段階でアッサリ決着がついて、後に尾を引かない類いの音楽である。

やはりモーツァルトはオペラを通じて理解すればするほど魅力が尽きない作曲家となっていく。

結局、「魔笛」であり、「ドン・ジョバンニ」であり「フィガロの結婚」である。

ある音楽雑誌に
「どうしようもないモーツァルト好きはオペラ・ファンに圧倒的に多い」とあったがまったく同感。

ただし、一度聴いただけでは縁遠く親しみにくい曲であることは間違いない。

自分の経験では魔笛という音楽は正面から身構えて攻めるとスルリと逃げられてしまう印象が強い。

なにせ2時間30分の長大なオペラだから、よほどの人でない限り嫌いにはならないまでも退屈感を覚えるのが関の山。

「個人にとって本質的なものに出会うためには固有の道筋がある」(「音楽との対話」粟津則雄著、176頁)というのが音楽鑑賞の常道とは思うが、もしこれをきっかけに「魔笛」を一度聴いてみようかという人が、万一いるかもしれないので留意して欲しいポイントを挙げておくと次のとおり。

「要らん世話!」と怒られるかもしれないが。)

 名曲には違いないがやはり指揮者、歌手たちによって完成度が違う。何事も第一印象が大切なので慎重に盤を選択して一流の演奏〔※)から入って欲しい。

※ 上記の2盤を除いて「ハイティンク」、「サバリッシュ」、「クレンペラー」、「ベーム」〔1955年)、「スイトナー」盤などが浮かぶ。

 はじめから全体を好きになろうとしない方がいい。どこか一箇所でも印象に残る旋律や、ある箇所の転調がもたらす感触などが気に入るとそれが糸口になって段々、全体が好きになるもの。

 
なるべく始めは友人、知人から借りる、公共施設で聴く。これは金銭の負担がプレッシャーにならないという意味合いであり、お金が有り余っている人は別。

といったところかな。(どうしてもという方は遠慮なくメールください。魔笛を広報するのがこのブログの本筋ですからね。)

とにかく、クラシック全般にも言えることだが、魔笛に親しむコツはどんな形であれ何回も聴くに限る。

少々、くどいようだがこの作品がレパートリーに入るとすっかりモーツァルト観が変わる。何ものにも代え難い「澄み切った青空のような透明感」「涙が追い付かない悲しさ」の解答がここにはある。

この音楽を知らずに一生を終えるのは、人生最高の幸せを失うことになりますぞ! (笑)


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