「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「分水嶺」ほか~

2020年11月30日 | 読書コーナー

「笹本稜平」さんの作品を初めて読んだが、なかなかの手ごたえを感じた。



まず、本の裏表紙にある解説を紹介すると、

「急逝した父の遺志を継ぎ、山岳写真家として生きることを誓う風間健介。父の愛した厳冬の大雪山で撮影中、絶滅したエゾオオカミに命を救われたという田沢保(たざわ たもつ)と出会う。

風間は田沢が亡き父と交流のあったこと、殺人罪で服役していたことを知るが、極寒の中、田沢と共にエゾオオカミを探すにつれ、彼の人間性に惹かれていく。やがて二人の真摯な魂が奇跡を呼ぶ・・・。」

と、いった調子。

全体的な感想では、筋書きの3/4ほどまではぐいぐい惹き付けられたが、終末近くになるとどうも「話が出来すぎ」というのか、あまりに都合よく展開している風に思えて今一つ”のめり込め”なかった。惜しい。

むしろストーリーよりも、雪山の描写とか、エゾオオカミの生態などの解説の方が生き生きとしていて思わず引き込まれた。

古来「山には神が宿る」といわれているが、実際に「荘厳な佇まい」を目にすると、そう思えてくるらしいですよ。

ドイツで一番尊敬される職業といえば「山岳写真家」だそうで、その一番の理由は「自ら死と紙一重の危険に身をさらしながら神と対峙することで哲学的な境地に浸れるから」と、先日(27日)の番組NHK・BS1「山岳写真家・白川義員」で言ってたが、本書を読むと何だか分かるような気もする。

なお、本書の中には格言的な言葉がいろいろと散りばめられている。そのうちの一つを挙げてみよう。母が主人公を諭すシーン。(72頁)

「エゾオオカミ探しという夢を持てたこと自体はその人にとっては幸せよ。騙すなんて言うと聞こえが悪いけど、歳を取ると人生を支える杖が必要になってくるものなのよ。自分が生きてることに意識的に意味を与えないとやっていけないの。その人には悪いけど、エゾオオカミなんてたぶん一生かかっても見つからない。それは本人がいちばんよく分かっていることよ」

「でもそれが人生に意味を与えてくれるとしたら、見つかる、見つからないは重要な問題じゃないということかな」

以上のとおりだが、これを踏まえて言わせてもらうと、このブログの読者も含めて日頃から「音楽&オーディオ」に熱中し「いい音楽、いい音への夢」を持つことも幸せなことかもしれませんね。

終着駅が無い世界なので、おそらく命尽きるまで「到達は不可能」だろうとは分かっちゃいるけど、何といっても、毎日のようにハッと胸を衝かれるような驚きと啓発がありますからね~。オッと、これは手前味噌かな(笑)。

次は、作家「皆川博子」さんの随筆集。



幼少のころから早熟で、開業医だった父親の影響を受けて家の中にあった大衆文学全集をはじめ、ありとあらゆる本を手当たり次第に読み耽ったという文学少女だった皆川さん。「手当たり次第の濫読」については自分とよく似ている(笑)

本書の中でお気に入りの本をいろいろ紹介してあったが、その中でも群を抜いて印象に残ったのが「白痴」(ドストエフスキー)だったとのこと。

そうそう「白痴」といえば、13年前のブログで一度紹介したことがある。再掲してみよう。

ドストエフスキーの作品は果たしてどこがそんなにいいのか、それには「小説家が読むドストエフスキー」が、どんぴしゃりの回答を出してくれる。表題どおり、プロの小説家の目でドストエフスキーの小説の構造、伏線の張り方、人物の造型法、さらには小説に仕掛けられた謎などを解析したものである。

小説家=著者の加賀乙彦氏は東大医学部を卒業し、精神医学を専門とする医師で上智大学教授などを歴任。2000年には日本芸術院会員に選出され、「フランドルの夢」「帰らざる夏」など著書多数。

本書で解説されている作品は「死の家の記録」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」の5作品となっている。いずれも実に懇切丁寧に読者に分かりやすい内容になっており、著者のドストエフスキーに対する畏敬の念もしっかりと伝わってきた。

さらに著者が精神医学の専門家の視点から癲癇(てんかん)の病気もちだったドストエフスキーの「死」に対する人間の描き方、宗教的な主題に独自の分析をしているところに本書の最大の特色があると思った。

断片的になるが印象に残った語句を紹介。

・世界の全ての小説の中で「白痴」が一番の傑作(72頁)

・「白痴」が分かると「悪霊」が分かりやすくなり「悪霊」がわかってくると最後の大作「カラマーゾフの兄弟」が分かりやすい。(102頁)

・20世紀の作家は全てドストエフスキーの肩の上に乗っている。ドストエフスキーを読まずに小説を書きはじめた人は私の周辺を見回してもいない。(116頁)

・ロシア的なキリスト教の形のもとで、いずれの作品ともに犯罪、殺人が主題になっており、罪の極点を描くことで逆に神の愛が描かれている。罪も愛も無限定で極端で途方もないエネルギーに満ちていて、この作品群の究極の姿、総決算が「カラマーゾフの兄弟」です。「カラマーゾフ万歳!」(212頁)

というわけです。皆様「秋の夜長」のこの機会に「白痴」にチャレンジしてみませんか。

エッ、時間がない・・、それは仕方ありませんね。

実は自分もこの13年間そうなんです(笑)。

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