「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「ペンは剣よりも強し」とはいうものの・・

2023年12月08日 | 独り言

ずっと昔の話を蒸し返しながら、現代の様相と絡め合わせて述べてみよう。

家内に向かって「おい、〇〇新聞の契約はいつまでになってるんだ?」

「はい、11月までです。」

「丁度良かった。もう今月いっぱいで購読打ち切りだからな!」

「エッ、〇〇新聞がどうかしたんですか?」

「お前は新聞の社会面をまったく読まないのか!」と一喝したいところだが、「倍返し」が怖いので無言・・(笑)。

とにかく慰安婦問題、原発の吉田調書の誤報など、〇〇新聞の失態は目を覆うばかり。国際的な影響を考えると、罪は万死に値する。

その報いを当然受けるべきなので、長年愛読してきた〇〇新聞とはこの際きっぱり縁を切ることにした。したがって12月から我が家は“郷土色”豊かな地元紙だけになる。ちょっと淋しくなるが仕方がない。

ちなみに、この地元紙の社長さんはオーディオの名門「ウェスタン」の音響機器のマニアとして知られている。ずっと以前、東京出張の折にウェスタン専門店を訪ねたところ、店主との雑談の中で「大分県といえばN社長さんですね」と名前が即座に出てくるほどの、その道では有名な方である。

大きな新聞社専用のビルの一角に、あらゆるウェスタン関係の機器が厳密な空調管理のもとに所狭しと並んでいると“まことしやかに”噂されている。こういう社長さんのオーディオセンスを反映してか、この新聞は地方紙の割には報道ぶりがなかなか“垢ぬけ”しているといつも思う。

さて、これだけテレビやネット情報が氾濫していると新聞の役割も当然見直されてしかるべきで、全国紙による「世論の形成」といった“ご大層な使命”も、もはや時代遅れとなっている感が強い。これからは地元の情報に特化した「郷土紙の時代」がやってくる!?


それはともかく「ペンは剣よりも強し」という言葉があって、新聞社が「剣=暴力、権威」に屈しない姿勢は大切だが、〇〇新聞のような事例もあるので「正しいペンの使い方」についても一考の余地があると思う。

ちなみに、この標語は東大進学率で有名な開成高校の校是としても知られており、日本の知識層の精神的な支柱になっているといえばちと大げさかな(笑)。ほら、現総理の岸田さんも開成高校卒だよねえ。

さて、ネット情報だって活字なのでいわばペンと同義語みたいなものだが、はたしてどれが正しくて、正しくないやら、まるで玉石混交の状態。質の高い情報を得ようとするためには個人ごとの「メディア リテラシー」が強く求められるところ。

翻って自分のブログもこの10月で丸17年になり、登載した記事は現在時点で3300件ほどに上るが、中には間違った内容がかなりある。

記載するときは正しいと思っていたことが後になって間違いだったと判明するわけだが、いちいち過去記事を見る人は極端に少ないので、ほったらかしである。無責任といえば無責任だが、こればっかりは責任の取り様がない。

一般的に、ブログを含めてネットにはそういう「無責任」という怖さがある。

しかし、読者の方々もその辺を割り切っているようで「この人、おかしなことを書いてる」と気が付かれても、わざわざ訂正を求めてくるメールはまず皆無である。

まあ皆さん、適当に読み流しているし、自分もつい適当に書き流しがちなので、これで「あいこ」だね(笑)。

それに、書いてある内容を押し付けようとは金輪際、思っていないし、あくまでもワン・オブ・ゼムとして勝手に取捨選択していただければそれで十分。気に入らなければ読んでもらわなくても結構だし~(笑)。


以上は目による情報の取得だが、次は耳による情報の取得について。

新聞、テレビ、ネットはいずれ融合していく可能性があるとされているが、その中で唯一の音声(耳)による情報を伝えるテレビの優位性はまず動かない。

耳は目と違って脳の認知機能のごく近くに位置しているので耳情報の方が記憶に残りやすいし情感にも訴えやすいとされている。


以前、「モーツァルトで免疫力を高める、老化を防止する、快眠へといざなう」(和合 治久著)という本を紹介したことがあるが、その中で次のようなことが書かれていた。

☆ 聴覚は心臓が停止した30分後まで残っている感覚

人間は外部からの刺激を聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚という五感でキャッチしているがその中で聴覚は最後まで生き残っている感覚で心臓が停止した後も30分間くらい働いている。したがって、意識のない病人の枕元で悪口を言ったりするのはとんでもないこと。(そんな人はいないだろうが・・・)

聴覚が休みなく働くことは(危機をいち早く察知するという点で)動物にとって極めて重要な機能で五感全体が脳に送っているエネルギーのうち85%以上が聴覚によるものである。

この聴覚に特化した“遊び”が「音楽&オーディオ」というわけだが、我が家にお客さんが見えたときはつい耳の形に目がいってしまう。

それこそ耳の形は人によって千差万別だが、これだけそれぞれの耳の形が変わっていると聴こえてくる音も違うはずだから音の好みが個人ごとに違っていて当たり前であるといつも思う。

試しに両手で耳を外側に引っ張っぱり、形を変えて聴くと音が違って聴こえる!


耳というのは見れば見るほど不思議な形をしているが、これに関して面白い本があった。現役のお医者さんの著作「芥川症」。

                  

7編に分かれた短編集だが、その中に「耳」というのがあって次のような箇所がある。(90頁)

「耳に関するエピソードで面白いのはモーツァルトの耳の形が異常だったという話だ。天才作曲家の耳が歪(いびつ)だったというのは、自然の悪戯にしても皮肉が利きすぎている。

ある医学雑誌によれば、モーツァルトの左耳は生まれつき形がおかしく、大きさは普通だが、耳輪が耳たぶの下にまわり込み、対輪の下が渦巻くように跳ね上がっていたらしい。


モーツァルトはそれを気にして、肖像画は右側から描くことを求め、左側から描くときはかつらで耳を隠したという。しかし、耳の畸形は悪いことばかりではなく、モーツァルトの死ぬ年に生まれた息子が、弟子のジュスマイヤーと妻コンスタンチェの不義の子ではないかという噂が流れたとき、息子がモーツァルトと同じ形の耳をしていたことから疑いが晴れたという逸話が残っている。」

後半の話はちょっと余計だが、モーツァルトほどの絶対音感の持ち主が耳の形が歪(いびつ)だったということは、耳の形と音を聞き分ける能力とはどうやら関係がないようで、我が耳の形と照らし合わせてまずは“ひと安心”(笑)。



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