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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「こだわり」

2023年06月11日 | 独り言

音楽やオーディオを始めいろんな趣味は個人ごとのある種の「こだわり」で成り立っていると思うが、「こだわり」が果たしていいことなのか、わるいことなのか・・。

試しに「チャットGTP」で「こだわり」と打ち込んでみると、

こだわり」という言葉は、何かに対して特に注意深く取り組むことや、細部にまで気を配ることを意味します。個人や組織によって異なるこだわりが存在し、それはさまざまな領域において表れることがあります。以下にいくつかの例を挙げてみます。

1 食へのこだわり: 食材の品質や産地、栄養価などにこだわりを持つ人々がいます。有機栽培や地産地消など、自然や環境に配慮した食生活を追求することもあります。

2 デザインへのこだわり: 製品や建築物のデザインにこだわりを持つ人々がいます。美しい形状や色彩、機能性に重点を置いたデザインを追求し、細部までこだわることで、独自の価値や個性を表現します。

3 品質へのこだわり: 製品やサービスの品質にこだわる人々がいます。耐久性や信頼性の高い製品を提供するために、素材の選定や製造プロセスの品質管理にこだわることがあります。

4 教育へのこだわり: 教育においては、個々の能力や才能を引き出すためにこだわりを持つ教育者や教育機関が存在します。教材や授業内容、教育方法について研究し、最良の教育環境を提供することを目指します。

5 サービスへのこだわり: サービス業においては、お客様の満足度を追求するためにこだわりを持つ企業や従業員がいます。丁寧な接客や迅速な対応、細やかなサービス提供に努めることで、顧客からの信頼を得ます。

こだわりは人々の生活や仕事において重要な要素となります。それによって個々の価値観や個性が表れ、高品質な成果や満足度を得ることができるでしょう。

肯定的ですね。

で、否定的という観点からだと、つい
ンフィクション作家・柳田邦夫氏の「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」というエッセイを思い出す。

ちょっと長くなるがご紹介しよう。

人間には誰しも何らかの「こだわり」を持っている。その根底にはその人の生きかたや歩んできた人生、家族や社会の中での役割あるいは仕事、社会的地位と評価などによって形成されたその人ならではの規範が横たわっている。

そして、その「こだわり」が嵩じてしまうと自分の生きかたや周囲の人々との関係でなかなか抜け出せずに苦しむ人が多いし自分もその例に漏れない。

やがて人生も半ばを迎えた頃、臨床心理学者の河合隼雄先生(故人、元文化庁長官)の謦咳(けいがい)に接し薫陶を受けた。ひそかに「人生の師」と仰いでいたが大事な学びの一つに「こだわり」の克服というのがあった。

その教えのひとつとして出てくるのが河合隼雄氏の著作「ユング心理学と仏教」の中の次のような話である。要約して記す。

二人の禅僧が川を歩いて渡ろうとしているところに、美しい女性が来て川に入るのをためらっている。一人の僧がすぐに、彼女を抱いて川を渡り切ると、女性を下ろして淡々と別れた。

二人の僧はしばらく黙々と歩いていたが、女性を助けなかった僧が口を開いた。

「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」。

すると、もう一人の僧が答えた。「たしかに俺はあの女を抱いて川を渡った。しかし、川を渡った後で彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を(心理的に)抱いていたのか」と。

このパラドキシカルなエピソードについて、河合先生はこう語るのだ。

「女性に触れてはならぬという戒めを守ることに心を遣った僧は、女性に対する個人的なエロティックな感情につかまってしまいます。実に自由だったもう一人の僧は、私に”
風のイメージ”
を想い起こさせます。

”風のイメージ”・・・・いいな、と思う。形にこだわらず、相手に応じて変幻自在、どのようにでも自らの形を変え、相手にさらりと触れるけど、飄々(ひょうひょう)と去っていく。

私は河合先生からこの二人の禅僧のエピソードを教えられた時、目から鱗(うろこ)が落ちるとはこういうことかと思わず唸ったものだ。

バッハはこう弾かねばならぬ、自分の生き方はこうでなければならぬ、こういう社会規範がある以上は絶対に守らねばならぬ・・・。そんな「ねばならぬ」への「こだわり」で人は何と悩み苦しんでいることか。

私はあまりにも多くのそういう人々を見てきた。そして、私自身もしばしばそういう「拘泥」の泥沼に陥ってきた。

だが、何のこだわりもなく女を抱いて川を渡った禅僧のことを学んでからは、私は何かの「こだわり」につかまるたびに、その禅僧のイメージを頭の中に思い描くようにしている。
                 

という内容。

自分はこれまでさほど強い信念の持ち合わせもなく、「生き方」についても行き当たりばったりで特段の「こだわり」を持ってこなかったので、きちんとした「信念」というか、「こだわり」を持って生きている方を見たり、聞いたり、読んだりすると「立派だなあ!」と素直に心から感心する。

ただし、年齢も年齢だし、もはや「棺桶に片足を突っ込みかけている」状況なのでもう見習い甲斐がないのが
残念だが(笑)、冒頭で述べたように「音楽とオーディオ」に関しては、いまだに妙な「こだわり」を引き摺っている。

たとえば、音楽でいえばブラームスのヴァイオリン協奏曲は「ジネット・ヌヴー」で決まり、モーツァルトのピアノ・ソナタは「グレン・グールド」、「新世界より」はケルテス指揮、「大地の歌」はクレンペラー指揮、「田園」はワルター指揮、等々、いわば古色蒼然(笑)。

そしてオーディオとなるともっと「こだわり」がひどくなる、


 中高音域用のアンプは倍音の再生に優れた「真空管(古典管)」しか使わない

 口径38cmのユニットは音声信号に対する反応が鈍いので使わない

 SPボックスは市販品をそのまま使わずに気に入った音へ改造する

等々・・。

どういうわけか、対象に惚れ込むと「こだわり」がひどくなる模様だが、肝心の「自分自身」に対しては「?」なので生き方に「信念=こだわり」が無いのもこれで頷ける~(笑)。


とはいえ、前述の「風のイメージ」と「こだわり」の二極をうまく使い分ける人生もあってもいいように思うんですけどねえ・・。



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