先日のブログで紹介した「武満徹 音楽創造への旅」。
武満氏独特の「音楽と音」へのアプローチがまったく「眼からウロコ」で、これまで40年以上培ってきた音楽観に大きな衝撃をうけたものの、残念なことに「眼光紙背に徹する」ほどの読解力は持ち合わせていないので、どうしても舌足らずになってしまうがじぶんの記憶に留めておくためにおいおい、内容をさらに詳らかにしていきたいと思っている。
とても1回のブログでやり過ごすには手に負えない気がして、こういう気分になったのは初めて。
とりあえず関連のCDを発注して今日中(28日)には到着する見込み。
「ノヴェンバー・ステップス」(武満 徹作曲:ハイティンク指揮)、「海童道祖」(尺八の名手)の「即音乱調」、そして「クラリネット・ソナタ作品120」(ブラームス:演奏カール・ライスター)
この最後の「クラリネット・ソナタ」は本書の中で武満氏が激賞していたものだが、間に合わせで昨日(27日)手持ちの「クラリネット五重奏曲」の方を聴いてみることにした。
上段左からこの曲目では定番となっている「ウラッハ」盤、そしてウラッハの弟子筋にあたる「プリンツ」盤、下段左から比較的新しいところで「シフリン」盤と「シュミードル」盤。
周知のとおりブラームスのクラリネット五重奏曲はすべてと言っていいほどモーツァルトの「クラリネット五重奏曲」とカップリングされているので、順番としてはモーツァルトからブラームスの順に聴いた。
若い頃に夢中になって、もう何度聴いたか分からないほどの曲目だがここ数年はまったくのご無沙汰だっただけに感慨もひとしおだった。
まあ、モーツァルトと並べて聴くのはブラームスにはちょっと酷なきもするが・・・(笑)。
音楽評論家の小林利之氏の「名曲に聴く」には次のような記述がある。
「クラリネット五重奏曲というとモーツァルトの名作がまず頭に浮かぶが、ブラームスのこの曲もどこか寂しい影を後に引く、しんみりと聴くにふさわしい名曲だ。ことにほのかな甘美さと憂愁の漂うクラリネットの響きがブラームスの比類のない情感を伝えるこの曲は典雅な香りを漂わせたモーツァルトの五重奏曲にも劣らぬ美しい作品でモーツァルト同じように、作曲者が親しくしていたクラリネットの名手のために書かれた。」
クラリネットという楽器の響きは作曲家をとても刺激するようで、当時晩年になって才能が枯渇してきた感のあるブラームスが大いに創作意欲を刺激されて見事に蘇ったとされるいわくつきの曲目である。
4名の演奏については、じぶん如きがあれこれ論評する資格はないが、聴きどころの第二楽章だけ取り上げるとすればやっぱり「ウラッハ」にトドメをさす。モノラル録音だし地味な演奏だけど非常に心を打つものがある。
ちなみに、ウラッハ盤には2種類あって画像に載せているCDは「20bit」に加工した盤だが、中高音域が人工的でとても不自然に聴こえたので何ら弄っていない盤の方を当時買い直したところ、こちらの方が圧倒的に聴きやすくて正解だった。