今日から5月です。
先ほど出かけていて、その帰り道「メーデー」の行進に出くわして、しばし交差点前の橋の上でストップさせられました。
近頃の世相は、私も行進に参加したいくらいのものだと思います。
さて、先週のこの日(24日木曜日)のことを書いてみます。
この日の南紀白浜は、朝から雨でした。
ホテルのレストランで、それこそたっぷりの時間をかけて朝食を楽しみました。
コーヒーを3杯もお代わりしたら、3杯目は専用ポットでサービスしてくれました。とっても気分も良く、おいしくいただきました。
チェックアウトを済ませ、すぐに近くの「おみやげセンター」に立ち寄り、孫たちへのおみやげを仕入れました。
後は「ナビ」まかせ、阪和自動車道、近畿自動車道、名神高速道と来たときとは逆ですが、一度は通過しているので緊張感もなく順調でした。
でも、「大津SA]で「琵琶湖」をながめてホットしました。雨も上がっていました。
やがて「米原JCT」から「北陸自動車道」へ、なぜかもう帰ってきたかのような安堵感がありました。
無理をせずに、途中で泊まることにしていました。来るときにも利用した「芦原温泉保養所」です。
来たときと全く同じメニューの「夕食」で、思わず笑ってしまいました。
さて、25日(金曜日)、今日はいよいよ新潟に帰る日です。
思えば、北陸自動車道を起点から終点まで走り抜ける旅にもなっているわけです。
走り出せば、「帰心矢のごとし」です。それでも基本的にはたいていの「SA」では休憩を取るように心掛けました。
「呉羽PA」から、念のため黒部市の「HJSさん」に電話をしてみる。
ちょうどお出かけの前でした。ちょっと無線での通信は無理のようです。
しかし、走行はじめて程なく黒部からの強い電波が、私を呼んできた。
ああ、お忙しいのに!と思いながらも、こちらからの応答をしてみる。
久しぶりの無線通信(QSO)が成立した。元気な声が聞こえてきた。
互いに、電波での再会を喜び、互いの息災を喜び、メッセージの交換。
やがて「73(セブンティースリー・さようなら)」を交換して通信を終わる。
このような通信も今回の旅の楽しみの一つであった。
下りの「越中境PA」での「タラ汁」もパス!もう思い残すことはない、一気に新潟県に突入であった。
かくして、我が家にたどり着いてみると走行距離数は「1800km」となっていた。
久々のロングドライブとなった。それにしても、実り多い旅であったと自画自賛している。
12年間で15万kmを走ってくれている我が「チャレンジャー」のタフさとその信頼感を改めて感じた。まもなく地球を4回もまわる走行距離となる。
今回の旅日記は、ひとまず閉じようと思います。
柄目木庵を訪れてくださいました皆様には、心からお礼を申し上げます。
さて、次にはどこに向けて旅立とうか。
先ほど出かけていて、その帰り道「メーデー」の行進に出くわして、しばし交差点前の橋の上でストップさせられました。
近頃の世相は、私も行進に参加したいくらいのものだと思います。
さて、先週のこの日(24日木曜日)のことを書いてみます。
この日の南紀白浜は、朝から雨でした。
ホテルのレストランで、それこそたっぷりの時間をかけて朝食を楽しみました。
コーヒーを3杯もお代わりしたら、3杯目は専用ポットでサービスしてくれました。とっても気分も良く、おいしくいただきました。
チェックアウトを済ませ、すぐに近くの「おみやげセンター」に立ち寄り、孫たちへのおみやげを仕入れました。
後は「ナビ」まかせ、阪和自動車道、近畿自動車道、名神高速道と来たときとは逆ですが、一度は通過しているので緊張感もなく順調でした。
でも、「大津SA]で「琵琶湖」をながめてホットしました。雨も上がっていました。
やがて「米原JCT」から「北陸自動車道」へ、なぜかもう帰ってきたかのような安堵感がありました。
無理をせずに、途中で泊まることにしていました。来るときにも利用した「芦原温泉保養所」です。
来たときと全く同じメニューの「夕食」で、思わず笑ってしまいました。
さて、25日(金曜日)、今日はいよいよ新潟に帰る日です。
思えば、北陸自動車道を起点から終点まで走り抜ける旅にもなっているわけです。
走り出せば、「帰心矢のごとし」です。それでも基本的にはたいていの「SA」では休憩を取るように心掛けました。
「呉羽PA」から、念のため黒部市の「HJSさん」に電話をしてみる。
ちょうどお出かけの前でした。ちょっと無線での通信は無理のようです。
しかし、走行はじめて程なく黒部からの強い電波が、私を呼んできた。
ああ、お忙しいのに!と思いながらも、こちらからの応答をしてみる。
久しぶりの無線通信(QSO)が成立した。元気な声が聞こえてきた。
互いに、電波での再会を喜び、互いの息災を喜び、メッセージの交換。
やがて「73(セブンティースリー・さようなら)」を交換して通信を終わる。
このような通信も今回の旅の楽しみの一つであった。
下りの「越中境PA」での「タラ汁」もパス!もう思い残すことはない、一気に新潟県に突入であった。
かくして、我が家にたどり着いてみると走行距離数は「1800km」となっていた。
久々のロングドライブとなった。それにしても、実り多い旅であったと自画自賛している。
12年間で15万kmを走ってくれている我が「チャレンジャー」のタフさとその信頼感を改めて感じた。まもなく地球を4回もまわる走行距離となる。
今回の旅日記は、ひとまず閉じようと思います。
柄目木庵を訪れてくださいました皆様には、心からお礼を申し上げます。
さて、次にはどこに向けて旅立とうか。