柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

「観察学習」

2006年08月31日 | 日々これ好日
 6月から始まった新潟県「シニア大学(高齢者大学)」も10回目の授業が終わった。
10月には学長の講義を最後として、終了する。来年度には2年生に進学できる予定である。

 ところで、10回目の講義は「他世代の理解」ということで、新潟大学の山岸教授の授業であった。

 現代は「共生」こそ必要な時代と言うことで、立場、考え方、老若それぞれの立場を理解し合うことの重要さがまず指摘された。
 特に、我々シニアの世代が「若い世代」の理解に努めようということであった。

 話の進展の中で、若い世代の「彼らの子供たちへの虐待問題」が取り上げられた。
痛ましい常識的には思いも及ばない悲惨な虐待や子殺しなどが時には報じられる昨今である。


 カルガモなどの愛らしい「子育て」の様子などが、時には報じられる。
本能的に「子育て」がインプットされているのだそうです。
 
 ちょっと進化の進んだお猿さんではどうでしょうか。
群れからはなれて育てられた「ニホンザル」のメスは、交尾して授乳までは本能でできるが、その先の「養育活動」ができずに子ザルを結局は殺してしまうそうです。
群れの中で育ったメスザルには先輩たちの様子から「観察学習」で養育活動ができるのだとか。

 ところが、「人間の子育ては本能ではない!」、そして「授乳すら本能ではない!」と言うのである。
 あの麗しい「授乳」の姿、愛児を抱く母親の犯しがたい美しい姿はどうなのでしょう。

 実は、子供を「かわいがって育てる」ようになったのは、まだ、150年から200年くらいの歴史しかない、ということです。

 このような指摘や観点は全くもって私の今までの常識を持ってしては、理解しがたいことでした。

 社会の弱い層にまで食べ物が行き渡るようになった。
 小児医学の進歩で子供が簡単には死ななくなった。
これらのことが「安心して愛情を注げるようになった」背景だそうです。
そういえば、間引きとか里子とか乳母とか、言葉としては承知していました。

 今でも、母乳で育っているのは2/3くらいなのだそうです。
現在では、様々な社会的な変化が「若い世代」に十分な「観察学習」や「体験学習」のチャンスを奪っているかもしれません。
自信を持って「養育活動」にのぞめないのもわかる気がしてきました。
 「子育てが人間にとって本能的にできるものではない」のであれば、それはどこかできちんと学ばなければなりません。
昨今の痛ましい事件も、なにか謎が解けてきたような気がします。

 中学生や高校生などが、保育園や幼稚園、養護施設、養護老人施設などで他世代との交流体験を持つことなども、とても大切な体験ではないでしょうか。


 私にとっては、今回の講義内容はいささかショックなことでした。
知らなかったのは、私だけだったのかもしれません。
まだまだ、勉強や体験が不足していることを痛感しました。
(ただ、山岸先生の「真意」を正しくくみ取っていないおそれもなしとはいえません。浅学非才な点はお許しいただかなければなりません)