先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

20年東京五輪・パラリンピック 北方領土を巡る聖火リレー要望 アイヌ文化発信も /北海道

2017-05-26 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2017年5月25日 地方版
 道は24日までに、2020年東京五輪・パラリンピックの開催に向け、北方領土を巡る聖火リレーや、開会式や文化プログラムでのアイヌ文化の発信を大会組織委員会に要望した。
 聖火リレーでは、北方四島での日露共同経済活動の発展やスポーツを通じた友情を象徴する取り組みとして、北方領土と北海道・根室地方のほか、白老町に建設予定のアイヌ文化施設を巡るコース設定を求めた。
(全文295文字)
https://mainichi.jp/articles/20170525/ddl/k01/050/044000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多文化と環境テーマの催し

2017-05-26 | アイヌ民族関連
タウンニュース-2017年5月25日号

 多文化・環境共生型野外フリーイベント「みんなちがってみんないい」が5月28日(日)に八王子市役所駐車場近くの浅川河川敷で行われる。入場無料・雨天決行。主催は同実行委員会(保高泰一代表=人物風土記で紹介)。
 アイヌ民族の歌と踊りやタヒチアンダンス、ボサノバ弾き語りなどのステージがあるほか、エスニック料理や福島原発被災地写真展、羊の毛刈り体験など各種の催しが用意されている。
 午前10時30分から午後4時30分。駐車場はないので、なるべく公共交通機関で来場を。(問)保高さん【携帯電話】090・3907・3343
http://www.townnews.co.jp/0305/2017/05/25/383328.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白老町の民族共生象徴空間 国立公園の施設配置計画公表

2017-05-25 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2017年 5/24)

国立民族共生公園の施設配置計画図=アイヌ政策推進会議資料から
大きな写真で見る
 政府のアイヌ政策推進会議(座長・菅義偉官房長官)は23日、東京の首相官邸で第9回会合を開き、アイヌ文化復興のナショナルセンターとして白老町に整備する「民族共生象徴空間」を2020年4月24日に公開することを決めた。会議では国立民族共生公園や慰霊施設の具体的な説明もあり、古式舞踊で来館者を迎える円形型の「チキサニ広場」など国立公園の各施設整備方針や、慰霊施設に設ける高さ30メートルのモニュメントなどを示した。来館目標者数を年間100万人に設定し、今後、広報・宣伝活動を強化することも確認した。
 菅官房長官は会議で「固定観念や先入観を取り払い、アイヌの方々に寄り添った政策にしっかり取り組んでいかなければならない」と述べた。会議では作業部会の報告書が示され、主要な項目として(1)象徴空間の具体化の加速(2)政策の総合的な検討(3)国民理解の促進―の3項目を明記。象徴空間については国や地方公共団体などが協力して準備を加速するとした。
 ポロト湖付近に設ける国立公園の施設配置計画の概要によると、約10万平方メートルの敷地内にエントランス棟をはじめ、体験交流ホール、体験学習館、チキサニ広場、工房などを整備。このうちエントランス棟は国立アイヌ民族博物館に隣接し、扇状に2棟(建築面積合計約1300平方メートル)建設する。200人程度が団体利用できるガイダンス室、飲食、物販、展示、案内所などの機能を持たせる。
 国立公園の整備を所管する道開発局はエントランス棟について、「柱や床など建物の骨格は国が整備するが、内装の整備や運営は(年度内に指定される)象徴空間の運営主体が行う」としている。
 体験交流ホール(1650平方メートル)は半円形などのステージを設け、おおむね500~600人程度を収容。体験学習館は修学旅行など団体利用を想定し、200人程度を収容できる部屋を2室設ける。
 工房は2棟とし、体験学習室と工芸家の実演スペースなど20人程度を収容できる部屋を3室確保する。個人や少人数グループに対応する施設で、木彫や刺しゅうなど伝統工芸を見学したり、体験できる空間にする考えだ。
 ポロト湖東側の高台に整備する慰霊施設のモニュメントは「過去を忘れず、未来にわたり尊厳ある慰霊を実現するための礎」がコンセプト。アイヌ民族が伝統儀式で用いる「イクパスイ」(棒酒べら)をモチーフにした高さ30メートルの塔で、鉄骨製の楕円(だえん)柱をステンレスで覆い、フクロウなどのアイヌ文様を表現する。
 会議では一般公開に向けた新ロードマップも示した。今年度内の早期に象徴空間を運営する「運営主体」を指定。ほぼ同時期に象徴空間運営協議会を立ち上げ、17~22年度までの第1期中期事業計画を策定する。
 また、アイヌ民族に関する政策については、現行施策の改善方策を含めて総合的に考え、20年の象徴空間公開前をめどに基本法制定の可能性を検討するとした。
http://www.tomamin.co.jp/20170550806

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「象徴空間」20年4月開業…アイヌ政策推進会議

2017-05-25 | アイヌ民族関連
読売新聞2017年05月24日
先住民の地位立法検討
 政府は23日、アイヌ政策推進会議(座長・菅官房長官)を首相官邸で開き、白老町に開設するアイヌ民族に関する国立施設「民族共生象徴空間」の開業日を2020年4月24日とすることを了承した。菅官房長官は「すでに3年を切っている。この日を目標に皆さんと力をあわせて準備を進めていきたい」と述べた。開業日は、同会議委員を務める北海道アイヌ協会の加藤忠理事長が提案した。
 会議資料には、アイヌが先住民であることを明確にする立法措置を含めて検討する方針も明記され、政策推進作業部会の常本照樹部会長(北海道大アイヌ・先住民研究センター長)は会議後、「アイヌの地位を確立するような内容にしたい」と話した。
 また、アイヌに関する教育を充実する方針も示された。中学校社会(歴史的分野)の学習指導要領の改定で、これまで「北方との交易をしていたアイヌについて取り扱うようにする」としていた指導要領に、「アイヌ文化についても触れること」が加えられた。今後、文部科学省で教材の充実や教員の指導力向上などを検討していく。
 高橋はるみ知事は「『立法措置』と明記していただいたことは一歩前進。その内容がより充実したものとなるよう地元としての意見を言っていきたい。指導要領の改定は全国的なアイヌ政策を推進していく上で大変重要だ」と話した。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20170524-OYTNT50025.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族博物館 ダフール族交流 民族衣装で歌や踊り/北海道

2017-05-25 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2017年5月24日 地方版

 中国北部の少数民族ダフール族が23日、白老町のアイヌ民族博物館(野本正博館長)を訪れ、歌や踊りを通じた文化交流をした。
 ダフール族の留学生が昨秋に博物館の交流事業に参加したのがきっかけで実現。在日本ダフール族文化交流協会の榎原霞会長や留学生、現地などから計20人が訪れた。
 一行は、アイヌ家屋の「チセ」を訪問。
残り138文字(全文295文字)
https://mainichi.jp/articles/20170524/ddl/k01/040/146000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続企業爆破 大道寺死刑囚が病死 東京拘置所

2017-05-25 | アイヌ民族関連
毎日新聞2017年5月24日 19時32分(最終更新 5月24日 23時15分)
 法務省は24日、1974年に起きた三菱重工ビル爆破などの連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反や殺人などの罪で死刑が確定した「東アジア反日武装戦線」の大道寺将司死刑囚(68)が同日、多発性骨髄腫で収容先の東京拘置所で死亡したと発表した。87年に最高裁で死刑が確定していた。
 確定判決によると、大道寺死刑囚は71~75年、「海外侵略企業」などとして三菱重工や間組の本社ビルなどの連続企業爆破事件に関与。最も被害の大きかった三菱重工ビル爆破事件(74年8月)では8人が死亡、165人が重軽傷を負った。
 一連の企業爆破事件では同戦線のメンバーら8人が75年5月に逮捕された。うち三菱重工ビル爆破事件では大道寺死刑囚ら2人の死刑が確定。1人が逮捕後に服毒自殺し、3人が77年の日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)などに伴う超法規的措置などで出国した。
 大道寺死刑囚は「使用した爆弾が人を死なせるほどの威力があったとは知らず、殺意はなかった」などとして再審を請求したが、最高裁は2008年に請求を退けた。
 再審開始決定を受けて釈放された袴田巌元被告(81)を除くと、確定死刑囚は127人となった。【鈴木一生】
死刑確定後、謝罪
 大道寺死刑囚は北海道釧路市生まれ。法政大で学生運動に身を投じた。法廷での陳述などによると、アイヌ差別への反感から反日思想を次第に強めたという。三菱重工ビル爆破事件でともに逮捕された妻あや子容疑者(68)はダッカ事件で日本赤軍メンバーからの要求で釈放され、出国。今も国際手配中だ。
 死刑確定後の1999年、公判の証人として東京拘置所で尋問を受け、「出すべきでない死傷者を出してしまった」「日本人を全て敵と見なし攻撃してしまったのは、反日思想の偏狭さからだった」と初めて謝罪した。
 拘置所では複数の句集も出版。死刑廃止を訴え、他の確定死刑囚の表現活動も支援してきた。2013年の支援者の会報に寄せた文章には「置かれている状況は苛酷ですが、表現すべき材料には事欠きません」とつづっていた。支援者によると、数年前から多発性骨髄腫のため、病状は一進一退だった。昨年12月の面会時も車いすに乗ったまま、終始苦しそうな様子を見せていたという。支援者は「事件への見方はさまざまだが、一つの時代の象徴だったと思う」と話した。【伊藤直孝、堀智行】
https://mainichi.jp/articles/20170525/k00/00m/040/057000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィリピンのミンダナオ島に戒厳令

2017-05-24 | 先住民族関連
共同通信2017/5/24 00:46
フィリピンのアベリヤ大統領報道官は、南部ミンダナオ島全土に23日夜、戒厳令が敷かれたと明らかにした。
https://this.kiji.is/239776580799170039?c=110564226228225532


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族の文化伝承施設、平成32年4月開業を確認 政府のアイヌ政策推進会議

2017-05-24 | アイヌ民族関連
産経ニュース2017.5.23 20:47
 政府は23日、首相官邸でアイヌ政策推進会議(座長・菅義偉官房長官)を開き、アイヌ民族の文化伝承を目的とした国立施設「民族共生象徴空間」を北海道白老町に整備し、平成32年4月に開業させることを確認した。
 菅氏は「(一般公開まで)すでに3年を切っている。皆さんと力を合わせて準備を進めていきたい」と述べた。
http://www.sankei.com/politics/news/170523/plt1705230033-n1.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共生空間、20年4月24日公開=アイヌ政策会議

2017-05-24 | 先住民族関連
時事通信社(2017/05/23-18:58)
 フィリピンのミンダナオ島に戒厳令 政府は23日、アイヌ政策推進会議(座長・菅義偉官房長官)を首相官邸で開き、アイヌ文化伝承のため北海道白老町に設ける国立施設「民族共生象徴空間」について、公開日を2020年4月24日とすることを決定した。来場目標者数を年間100万人に設定し、今後、広報・宣伝活動を強化する。
 菅長官は会議で「固定観念や先入観を取り払い、アイヌの方々に寄り添った政策にしっかり取り組んでいかなければならない」と語った。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052301121&g=pol

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族博物館 ダフール族交流 民族衣装で歌や踊り/北海道

2017-05-24 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2017年5月24日 地方版
 中国北部の少数民族ダフール族が23日、白老町のアイヌ民族博物館(野本正博館長)を訪れ、歌や踊りを通じた文化交流をした。
 ダフール族の留学生が昨秋に博物館の交流事業に参加したのがきっかけで実現。在日本ダフール族文化交流協会の榎原霞会長や留学生、現地などから計20人が訪れた。
 一行は、アイヌ家屋の「チセ」を訪問。民…
残り138文字(全文295文字)
https://mainichi.jp/articles/20170524/ddl/k01/040/146000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

官房長官 アイヌ民族の地位確立へ法整備目指す

2017-05-24 | アイヌ民族関連
NHK 5月23日 20時50分

菅官房長官は、政府のアイヌ政策推進会議で、アイヌ民族の地位の確立に向けて、先住民族と明確に位置づけることなどを盛り込んだ法整備を行うことを目指す考えを示しました。
総理大臣官邸で開かれたアイヌ政策推進会議には、座長を務める菅官房長官や、北海道の高橋知事、それに北海道アイヌ協会の加藤忠理事長らが出席しました。
この中で、菅官房長官は「アイヌ政策の総合的な検討については、固定観念や先入観を取り払い、アイヌの方々に寄り添った政策とするように、しっかり取り組んでいかなければならない」と述べました。そのうえで、菅官房長官は「先住民族政策の基本的事項を整理し、立法措置を含めて検討を行っていく」と述べ、アイヌ民族の地位の確立に向けて、先住民族と明確に位置づけることなどを盛り込んだ法整備を行うことを目指す考えを示しました。
また菅官房長官は、北海道白老町で整備を予定している、博物館や公園などからなる「民族共生象徴空間」について、地元の要望を踏まえ、2020年の4月下旬の開業を目標に準備を進める考えを示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170523/k10010992351000.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京五輪聖火リレー出発地 沖縄と被災地で議論

2017-05-24 | アイヌ民族関連
日刊スポーツ-[2017年5月23日15時4分]
 2020年東京五輪・パラリンピックの聖火リレー検討委員会の第4回が23日に都内で行われ、出発地候補として沖縄県と東日本大震災の被災地が挙がり、議論が行われた。
 組織委によると64年東京五輪、72年札幌冬季五輪、98年長野冬季五輪ではいずれも沖縄が出発地の1つだったという。現在は国際オリンピック委員会(IOC)の内規で「100日以内」「一筆書き」が原則。開会式が行われる20年7月24日の100日前は4月15日だが、東京大会では100日よりも期間を延ばせるようIOCと交渉しており、出発日時は3月下旬から4月上旬となる可能性がある。
 春先のスタートとなれば北海道や東北は気候的に寒く、大会組織委員会の布村幸彦副事務総長は「桜前線とともに北に上がっていくという議論があった」と説明した。
 被災地である東北の出発地案についても意見が交わされた。宮城県石巻市は東日本大震災最大の被災地であり現在、国立競技場の聖火台が置かれていることから、出発地として立候補している。
 会議内では面積が1番広い北海道について、ルート案の概略を示した。人口規模が大きい都市、アイヌ文化の配慮、札幌五輪に縁のある場所などが経由地例として挙がった。
 47都道府県を回ることは決まっているが、コンセプトや概要が決まれば、細かいルート選定は各都道府県に任せる方針。組織委の担当者は「98年長野五輪はそのようにルートを引いた。交通事情など、各県警の力を借りないと難しい」と語った。
 また、8月にIOCに提出予定のコンセプトは「明るく元気に」をテーマに今後、詰めていくことが決まった。
http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1828275.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高木正勝『YMENE』「山咲み」 自己表現の音楽からコミュニティー・ミュージックへ―

2017-05-24 | アイヌ民族関連
村の暮らしで見つけた新しい日本の音
Mikiki-2017.05.23 interview & text:大石始
村の暮らしの中でみつけた〈二度とこないこの日〉への想い
 高木正勝の実況録音盤2作品が揃ってリリースされることになった。ひとつは2010年10月に行われたピアノ・ソロ・コンサート・ツアーの模様を収めた『YMENE』。もうひとつは、2015年の多勢編成ワンマン・コンサートを二枚のCDとDVDに収めた『山咲み』(こちらは昨年通販とライヴ会場で限定販売されていたものだが、今回一般発売されることになった)。この2作品には、ここ数年の間に起きた高木の心境および状況の変化が色濃く反映されている。その変化は音楽人としての高木の根幹に関わるものでもあって、後々高木のディスコグラフィーのなかでも重要な意味を持つ作品となるはずだ。

ゴールが見えないミックス作業の泥沼にはまり込んでいた2011年3月11日
 2011年3月11日。東日本大震災が各地で甚大な被害を及ぼしたまさにその日、高木は三ヶ月かけてもゴールが見えない『YMENE』のミックス作業の泥沼にはまり込んでいた。
 「2010年12月にコンサートが終わってすぐに 自分でミックスを始めたんですけど、当日感じた魔法のような感覚が録音物には残っていなくて、どうすればいいのか分からなくなっていたんですよ。そんなときに震災が起きた。あの当時は自然の力や祈り、儀式に対する興味があって、コンサートのなかにも津波を思い起こすような強烈なシーンがあったんですね。そういうときに自然の圧倒的な力を見せられてしまい、今は別のことに取り組むべきだと思ったんです」
 結果、『YMENE』の音源は数年に渡って手を付けられることなく、なかばお蔵入りの状態となっていた。ミックス作業が再開されたのは昨年末。「映画音楽などいろいろなことをやっていくなかで、外向きじゃない、ひとりでピアノで遊んでいるような『YMENE』の音源を世に出して、〈自分は本当はこういう人間なんです〉ということを知ってもらいたくなった」というのが再開の理由だ。
 「(先にミックス作業を終えていた)『山咲み』も最初は自分でミックスをやってたんですけど、諦めて原(真人)さんに頼んだんです。そうしたら、コンサートのときに自分が感じていたことを音源で再現することにこだわらなくてもいいんだ、その感覚を人に押し付けなくてもいいんだ、そう思えるようになった。それで『YMENE』もようやく出せたんです」
自我を押し出すのではなく共有すること
 『YMENE』に収められているのは高木のピアノと声のみ。研ぎ澄まされた音の数々から、2010年当時の高木が描き出そうとしていたものがくっきりと浮かび上がる。選曲を担当したのはプロデューサーの堀内求。高木も一度選曲したものの、最終的には堀内の選曲が採用されたという。
 『YMENE』だけでなく、『山咲み』もまた多くの音楽家が参加し、原真人にミックスを委ねるなど他者との関わりによって完成した作品だったわけだが、震災以降の高木の作品は、他者との関わりのなかで生まれるコミュニティー・ミュージックとしての側面を強めていると言ってもいい。自我を押し出すのではなく、何らかの共同体のなかで音を鳴らし、共有すること。そうした感覚を高木にもたらすきっかけとなったのが、2013年夏、兵庫の篠山という小さな村へと移住したことだった。
 「移住してからはいわゆる素人の人たちが主催する手作りのイヴェントに出ることも多くなったんですね。そういう場所だと、〈自分はこう思うから、こう受け取ってほしい〉というエゴみたいなものはそんなに重要じゃないんですよ。子供もいればおじいちゃんおばあちゃんもいるところで自分を前に出しても、どうも成り立たない。自分の耳が客席側にもあるようになったのかもしれませんね。前の作品 (2009年の『Tai Rei Tei Rio』)はまだステージ側にしか自分の耳がなかったけど、こっち(『山咲み』と『YMENE』)には客席側にもある感じがする」
音楽観・人生観にも影響を受けた篠山の暮らし
 また、慎ましくも連綿と続く篠山の暮らしは、高木の音楽観・人生観そのものにも影響を与えた。
 「ここ10年ぐらいお祭りの音楽や村の土着的な歌に関心を持っていたんですけど、以前は誰かから習えば自分でもできるようになるんじゃないかと思ってたんです。でも、いざ村に引っ越してみると、そういう環境で実際に生活しないとできないものなんだと分かった。村といってもいろんな暮らしがあって、自然に近い暮らしをしてる人もいれば、街に憧れてる人もいる。みんな生まれたときから同じ場所で生きてきて、逃げ場がない。喧嘩をしたくてもできないし、仲良くしたくてもできない。いろん な思いが渦巻いていて、一色に染まってなくて、ムラがあって。そういう暮らしの中から村の土着的な歌が生まれてきたことを実感するようになったんですね」
 村の生活は多様性に満ち溢れている。その一方で、ちょっとしたことでコミュニティーの繊細なバランスは崩れ、暮らしはままならなくなる。他者と生きること、他者と音楽を奏でること。高木のなかで村の生活と音楽制作の根本が少しずつ重なり合っていったのだろう。
 移住後に行われた多勢編成コンサートの模様を収めた『山咲み』には、よりはっきりと篠山での生活が反映されている。アイヌの歌い手である床絵美や沢田穣治(コントラバス)ら総勢7人のメンバーと共に高木が繰り広げるのは、まるで架空の村祭りのような、ある種混沌とした祝祭空間だ。
 「おじいさんおばあさんと暮らしていると、一生の短さというものを実感せざるを得ないし、四季のことも意識するようになったんです。冬になると、植物が全部枯れて一度命が消えるわけですけど、4月も後半になると新しい芽がうわーっと出てきて、しばらく聴いていなかった虫の鳴き声が一気に聴こえ始める。昔から人はこうやって春の到来を感じてきたんだなと思うんです。〈二度とこないこの日を〉という歌詞にしましたけれど、まさにその感覚」
 満開になったうちから散っていく野花の儚い美しさ。圧倒的なまでの木々の生命力。人間の一生の短さと、それゆえの生命の輝き。『山咲み』に充満しているのは、篠山の暮らしのなかで高木が肌身で感じてきたそうした感覚だ。
共同体から自然と滲み出てくるコミュニティー・ミュージックへ
 また、このアルバムで実感させられるのは、高木の歌の変化。村の盆踊り歌やご詠歌を学んだことで村の節回しやリズム感覚が身体に入り、血肉となったことで初めて歌える歌である。加えて、アイヌの歌い手である床絵美との出会いも高木に重要なインスピレーションを与えた。
 「絵美さんは音楽への向き合い方が違うんです。自分の身体を使い、今まで背負ってきたものをどう出すか。そういうことに長年取り組んできた人であって、何かを作ろうとしていないんですね。あと、彼女は〈自分には今しか出せない声があって、私はそれしかやりたくない〉というんですね。僕は『YMENE』のコンサートで初めて歌ってみたんですけど、声を出すたびに誰かが乗り移るような感覚があって。でも、そういう歌い方をしたものは、選曲しませんでした。絵美さんの声はまさに 40代の女性の声そのものなんですね。とてもいいなと思ったし、絵美さんとの出会いによって歌い方も変わった」
 美しいブックレットに覆われた『山咲み』の数量限定盤には、高木のこんな言葉が綴られている。
 「場がうまれれば、何かが勝手に育つ。音楽はつくられるものではなくて、音楽が溢れでてくるような場所をつくること、音楽が溢れでてくるような自分になってしまうこと。ただそれだけなのかもしれない」
 自我を強烈に打ち出す自己表現としての音楽から、共同体から自然と滲み出てくるコミュニティー・ミュージックへ。音楽家は音を通じてどのように社会と関わることができるのか。どのような音を奏でることができるのか。現在多くの音楽家がそのあり方を模索しているが、僕はここから〈新しい日本の音〉が生まれてくるような気がしてならないのだ。 (取材協力:daylight kitchen)
高木正勝(Masakatsu Takagi)[1979-]
音楽家/映像作家。1979年生まれ、京都出身、兵庫県在住。山深い谷間にて生活。長く親しんでいるピアノを用いた音楽、世界を旅しながら撮影した“動く絵画”と評される映像、両方を手掛ける作家。国内外でのCDやDVDリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサート、映画やCM音楽など、分野に限定されない多様な活動を展開している。2009年Newsweek日本版で、「世界が尊敬する日本人100人」の1人に選ばれるなど、世界的な注目を集めるアーティスト。
寄稿者プロフィール
大石始(Hajime Oishi)
音楽ライター/エディター。アジアや中南米を中心とする各地の民族文化およびポップ・カルチャーを追う一方、日本各地の祭りや民謡、伝統芸能の取材を重ねている。近著書に2016年の『ニッポンのマツリズム』、2015年の『ニッポン大音頭時代』、編著書に『大韓ロック探訪記』『GLOCAL BEATS』など。現在新刊を準備中。
http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/14108


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界共通の言葉」ラップが救う、消え行く少数言語

2017-05-23 | 先住民族関連
AFPBB News2017年05月22日 17:09 

仏パリのスタジアム、スタッド・ド・フランスでコンサートを行う米ラッパーのエミニム(2013年8月22日撮影)。(c)AFP/PIERRE ANDRIEU
【5月22日 AFP】世界共通の言語と呼ばれてきたラップ音楽は、消滅の危機に直面している少数言語を守る手段ともなり得る。
 世界中の小規模な言語社会で今、先住民たちがコミュニケーションの手段としてラップを取り入れ、自分たちの言語に新たな息吹を与えている。それまでは予想もしなかったようなオーディエンスも獲得しているという。
 アーティストたちの経歴や動機はさまざまだが、唯一共通するテーマは、ヒップホップが持つ力の実現だ。1970年代に米ニューヨーク(New York)ブロンクス地区(The Bronx)のストリートカルチャーの一つとして誕生したヒップホップはその後世界中に広まり、少なくともスタイル上では共通言語として多くの若者たちに受け入れられた。
 コロンビア北部の山岳地帯に位置するアンティオキア(Antioquia)県で暮らす先住民の10代の兄弟、ブライアン・タスコン(Brayan Tascon)さんとダイロン・タスコン(Dairon Tascon)さんは数年前、バルパライソ(Valparaiso)の中央広場で行われていたストリートパフォーマンスを見た際に初めてラップと出会った。
 ラップにエネルギーや即興性を見出した2人は、自分たちの言語であるエンベラ語でラップを再現。エンベラ語は、コロンビアやパナマで使われている言語で、使用者は10万人に満たないと推定されている。
 ユーチューブ(YouTube)に投稿した動画で2人は、初期の頃のラッパーを真似て「Yo」と言うかのように手を前方に突き出している。けれど彼らが身に着けているのは金のチェーンではなく、エンベラの人々特有のカラフルな首飾りやヘッドバンドだ。AFPの電話取材に応じたダイロンさんは「以前はラップと言えば、ドラッグや暴力のことを歌にしただけだと思っている人もいた。でも僕たちにとって音楽は、いかに話すか、いかに生きるかということなんだ」と語った。
■言語の政治
 先住民たちが歌うヒップホップは、サブジャンルとして米国やカナダで耳にするようになっている。彼らの詩もラップの草分けであるアフリカ系米国人たちのものと同様、不平等について訴えていることが多い。
 米ミネソタ(Minnesota)州ミネアポリス(Minneapolis)やセントポール(St. Paul)は、その躍動する音楽シーンや先住民の遺産とともに、先住民ヒップホップの中心地となっている。地元ラッパーのトール・ポール(Tall Paul)さんは英語とアニシナベ語の両方で歌う。
 彼の楽曲「Prayers in a Song」には、アメリカ先住民の最も古い言語の一つである祖先の言葉を学ぶ際の苦労を歌ったもので、コーラス部分ではスピリチュアルな強さを呼び起こすためにこの言語が使われている。英語部分の歌詞では「言葉への敬意 神聖なものを復活させる義務を感じる/実現しなければ民族の名誉が傷ついてしまう」と歌っている。
 一方、ノルウェー極北のラッパー「スリンクレイス(SlinCraze)」ことニルス・ルネ・ウッツィ(Nils Rune Utsi)さんは、自らの言語であるサーミ語で語りかける新たなラップの形式を生み出した。
 作品の一つ「Suhtadit(「議論」の意)」には米白人ラップアーティストのエミネム(Eminem)の影響が色濃く、凄みのあるバッキング・リフをバックに早口で歌詞がまくし立てられている。動画には群衆を前に立つ牧師やトナカイに狙いをつける仮面の集団といった象徴が多数登場する。トナカイの遊牧は昔からサーミの民にとって生きる術だった。
 スリンクレイスはラップの中で「そうさ、僕はサーミだ。僕らのシンボルは破壊され、僕らの言語は踏みつける。奴らはやりたい放題。奴らはそれができるんだ」と歌う。
■オーディエンスの拡大
 スリンクレイスは、この楽曲について、サーミだということを理由に上着に火を付けられた少女に関する記事を読み、怒りにかられて歌詞を書いたと語った。
 彼と同じ北部サーミの方言を話す人は2万人以下。スリンクレイスは、オーディエンスが限定されてしまうリスクを認識している。しかし、たとえ歌詞の意味がわからなくても、自分の音楽はオーディエンスを引き付けているんだと喜びをにじませた。
 スリンクレイスは当初、言語の保存についてはあまり考えていなかった。だが一定のファン層を確立したため、借り物のノルウェー語や英語ではなく、サーミ語再生のためにより力を注ぐことに決めたと語った。またそれと同時にノルウェー語での初のEP制作にも取り組んでいる。
 ノルウェー政府は何十年もの間、先住民を腕づくで統合しようとしてきたが、彼や仲間のアーティストたちは、ノルウェーのサーミ文化を盛り上げようとしているのだとスリンクレイスは語った。「くだらないことかもしれないけど、ここぞヒップスターの役割なんだ。今では多くの子どもたちが、自分はサーミだと堂々と言える。誇りに思っているんだ」【翻訳編集】 AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3129116


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界共通の言葉」ラップが救う、消え行く少数言語

2017-05-23 | 先住民族関連
AFPBB News2017年05月22日 17:09 

仏パリのスタジアム、スタッド・ド・フランスでコンサートを行う米ラッパーのエミニム(2013年8月22日撮影)。(c)AFP/PIERRE ANDRIEU
【5月22日 AFP】世界共通の言語と呼ばれてきたラップ音楽は、消滅の危機に直面している少数言語を守る手段ともなり得る。
 世界中の小規模な言語社会で今、先住民たちがコミュニケーションの手段としてラップを取り入れ、自分たちの言語に新たな息吹を与えている。それまでは予想もしなかったようなオーディエンスも獲得しているという。
 アーティストたちの経歴や動機はさまざまだが、唯一共通するテーマは、ヒップホップが持つ力の実現だ。1970年代に米ニューヨーク(New York)ブロンクス地区(The Bronx)のストリートカルチャーの一つとして誕生したヒップホップはその後世界中に広まり、少なくともスタイル上では共通言語として多くの若者たちに受け入れられた。
 コロンビア北部の山岳地帯に位置するアンティオキア(Antioquia)県で暮らす先住民の10代の兄弟、ブライアン・タスコン(Brayan Tascon)さんとダイロン・タスコン(Dairon Tascon)さんは数年前、バルパライソ(Valparaiso)の中央広場で行われていたストリートパフォーマンスを見た際に初めてラップと出会った。
 ラップにエネルギーや即興性を見出した2人は、自分たちの言語であるエンベラ語でラップを再現。エンベラ語は、コロンビアやパナマで使われている言語で、使用者は10万人に満たないと推定されている。
 ユーチューブ(YouTube)に投稿した動画で2人は、初期の頃のラッパーを真似て「Yo」と言うかのように手を前方に突き出している。けれど彼らが身に着けているのは金のチェーンではなく、エンベラの人々特有のカラフルな首飾りやヘッドバンドだ。AFPの電話取材に応じたダイロンさんは「以前はラップと言えば、ドラッグや暴力のことを歌にしただけだと思っている人もいた。でも僕たちにとって音楽は、いかに話すか、いかに生きるかということなんだ」と語った。
■言語の政治
 先住民たちが歌うヒップホップは、サブジャンルとして米国やカナダで耳にするようになっている。彼らの詩もラップの草分けであるアフリカ系米国人たちのものと同様、不平等について訴えていることが多い。
 米ミネソタ(Minnesota)州ミネアポリス(Minneapolis)やセントポール(St. Paul)は、その躍動する音楽シーンや先住民の遺産とともに、先住民ヒップホップの中心地となっている。地元ラッパーのトール・ポール(Tall Paul)さんは英語とアニシナベ語の両方で歌う。
 彼の楽曲「Prayers in a Song」には、アメリカ先住民の最も古い言語の一つである祖先の言葉を学ぶ際の苦労を歌ったもので、コーラス部分ではスピリチュアルな強さを呼び起こすためにこの言語が使われている。英語部分の歌詞では「言葉への敬意 神聖なものを復活させる義務を感じる/実現しなければ民族の名誉が傷ついてしまう」と歌っている。
 一方、ノルウェー極北のラッパー「スリンクレイス(SlinCraze)」ことニルス・ルネ・ウッツィ(Nils Rune Utsi)さんは、自らの言語であるサーミ語で語りかける新たなラップの形式を生み出した。
 作品の一つ「Suhtadit(「議論」の意)」には米白人ラップアーティストのエミネム(Eminem)の影響が色濃く、凄みのあるバッキング・リフをバックに早口で歌詞がまくし立てられている。動画には群衆を前に立つ牧師やトナカイに狙いをつける仮面の集団といった象徴が多数登場する。トナカイの遊牧は昔からサーミの民にとって生きる術だった。
 スリンクレイスはラップの中で「そうさ、僕はサーミだ。僕らのシンボルは破壊され、僕らの言語は踏みつける。奴らはやりたい放題。奴らはそれができるんだ」と歌う。
■オーディエンスの拡大
 スリンクレイスは、この楽曲について、サーミだということを理由に上着に火を付けられた少女に関する記事を読み、怒りにかられて歌詞を書いたと語った。
 彼と同じ北部サーミの方言を話す人は2万人以下。スリンクレイスは、オーディエンスが限定されてしまうリスクを認識している。しかし、たとえ歌詞の意味がわからなくても、自分の音楽はオーディエンスを引き付けているんだと喜びをにじませた。
 スリンクレイスは当初、言語の保存についてはあまり考えていなかった。だが一定のファン層を確立したため、借り物のノルウェー語や英語ではなく、サーミ語再生のためにより力を注ぐことに決めたと語った。またそれと同時にノルウェー語での初のEP制作にも取り組んでいる。
 ノルウェー政府は何十年もの間、先住民を腕づくで統合しようとしてきたが、彼や仲間のアーティストたちは、ノルウェーのサーミ文化を盛り上げようとしているのだとスリンクレイスは語った。「くだらないことかもしれないけど、ここぞヒップスターの役割なんだ。今では多くの子どもたちが、自分はサーミだと堂々と言える。誇りに思っているんだ」【翻訳編集】 AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3129116


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする