(毎日新聞 2009年6月25日 北海道朝刊)
札幌市内で08年11、12月に発生した3件の自作拳銃強盗事件の判決が26日に札幌地裁である。札幌市白石区の廃品回収業、川村彰範被告(56)=強盗傷人罪、武器等製造法違反罪など=はどのように拳銃を作り、なぜ強盗に及んだのか。川村被告の生い立ちが影を落としている。【水戸健一】
◇「彫刻」で転機生かせず
拳銃は事件の約1カ月前、自宅で作られた。材料は廃品回収業で集めた鉄片やねじなど。火薬には市販の花火やクラッカーが使われた。単発式だが、殺傷力は本物と同程度。川村被告は誰から教わることもなく拳銃を作る「技術」と「知識」を身につけていた。
川村被告は1952年、旭川市に生まれた。アイヌ民族だった。小学校時代からいじめに苦しみ、「皆よりも毛深く、身体測定やプールが嫌だった。なぜ自分はアイヌ民族なのだろう」と悩んだという。
中学卒業後、職を転々とし、18歳で陸上自衛隊に入隊。教育部隊の射撃、運動の両部門で優秀な成績を上げ、「劣等感が吹っ切れた気がした」。だが、同僚は「狩猟民族だからできて当たり前だ」と陰口を言った。耐えきれず2年で隊を離れた。
その後、木彫りなどの民芸品を作る父親を手伝ったが、長続きしなかった。子供も小学校でいじめにあった。「金さえあれば、見返してやれる」。30代から、川村被告は仲間と金庫破りやひったくりを繰り返し、刑務所へは2度、入った。
転機が訪れかけたことがあった。服役中、民芸品作りの経験を生かして全国矯正展へ石の彫刻を出品し、法務大臣賞を受賞した。ある刑務官からは「1万人に1人しかとれない賞。娑婆(しゃば)でこれを真剣にやっていれば刑務所にはいなかったぞ」と言われた。
だが、「彫刻をしているとアイヌ民族と思われることが嫌だった」という川村被告は07年に出所後、廃品回収業を始めた。08年夏以降、鉄やアルミの価格暴落で、生活に窮した。交際中の女性も借金で困っていた。金を得るために川村被告が選んだ手段は、彫刻ではなく、拳銃の製作だった。自衛隊時代に得た拳銃の知識と、手先の器用さを悪用した。
検察側は「(拳銃製作の)技術や知識を法律で奪うことはできず、これまで以上の服役が必要不可欠」と有期刑の最長となる懲役30年を求刑。弁護側は「今回の事件を正当化するものではない」と前置きした上で、「差別に苦しみ、職を追われたことが事件の遠因」と情状酌量を求めた。
川村被告は17日の公判で心境の変化をこう語った。「彫刻に身を入れて、日のあたる場所で、自分の力を試してみたい」。判決は26日午前11時半から言い渡される。
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■ことば
◇自作拳銃強盗事件
08年11月28日~12月1日に、札幌市内のスーパーなど計3店に男たちが押し入り、拳銃を発砲するなどして、売上金計54万円を奪った。うち1店で男性店員が足を撃たれ重傷。川村被告が計画を立て、ほかの2被告に持ちかけたとされる。
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090625ddr041040003000c.html
札幌市内で08年11、12月に発生した3件の自作拳銃強盗事件の判決が26日に札幌地裁である。札幌市白石区の廃品回収業、川村彰範被告(56)=強盗傷人罪、武器等製造法違反罪など=はどのように拳銃を作り、なぜ強盗に及んだのか。川村被告の生い立ちが影を落としている。【水戸健一】
◇「彫刻」で転機生かせず
拳銃は事件の約1カ月前、自宅で作られた。材料は廃品回収業で集めた鉄片やねじなど。火薬には市販の花火やクラッカーが使われた。単発式だが、殺傷力は本物と同程度。川村被告は誰から教わることもなく拳銃を作る「技術」と「知識」を身につけていた。
川村被告は1952年、旭川市に生まれた。アイヌ民族だった。小学校時代からいじめに苦しみ、「皆よりも毛深く、身体測定やプールが嫌だった。なぜ自分はアイヌ民族なのだろう」と悩んだという。
中学卒業後、職を転々とし、18歳で陸上自衛隊に入隊。教育部隊の射撃、運動の両部門で優秀な成績を上げ、「劣等感が吹っ切れた気がした」。だが、同僚は「狩猟民族だからできて当たり前だ」と陰口を言った。耐えきれず2年で隊を離れた。
その後、木彫りなどの民芸品を作る父親を手伝ったが、長続きしなかった。子供も小学校でいじめにあった。「金さえあれば、見返してやれる」。30代から、川村被告は仲間と金庫破りやひったくりを繰り返し、刑務所へは2度、入った。
転機が訪れかけたことがあった。服役中、民芸品作りの経験を生かして全国矯正展へ石の彫刻を出品し、法務大臣賞を受賞した。ある刑務官からは「1万人に1人しかとれない賞。娑婆(しゃば)でこれを真剣にやっていれば刑務所にはいなかったぞ」と言われた。
だが、「彫刻をしているとアイヌ民族と思われることが嫌だった」という川村被告は07年に出所後、廃品回収業を始めた。08年夏以降、鉄やアルミの価格暴落で、生活に窮した。交際中の女性も借金で困っていた。金を得るために川村被告が選んだ手段は、彫刻ではなく、拳銃の製作だった。自衛隊時代に得た拳銃の知識と、手先の器用さを悪用した。
検察側は「(拳銃製作の)技術や知識を法律で奪うことはできず、これまで以上の服役が必要不可欠」と有期刑の最長となる懲役30年を求刑。弁護側は「今回の事件を正当化するものではない」と前置きした上で、「差別に苦しみ、職を追われたことが事件の遠因」と情状酌量を求めた。
川村被告は17日の公判で心境の変化をこう語った。「彫刻に身を入れて、日のあたる場所で、自分の力を試してみたい」。判決は26日午前11時半から言い渡される。
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■ことば
◇自作拳銃強盗事件
08年11月28日~12月1日に、札幌市内のスーパーなど計3店に男たちが押し入り、拳銃を発砲するなどして、売上金計54万円を奪った。うち1店で男性店員が足を撃たれ重傷。川村被告が計画を立て、ほかの2被告に持ちかけたとされる。
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090625ddr041040003000c.html