先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

千島アイヌの移住を解説/猪熊学芸員

2015-04-24 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2015年04月23日
  釧路地方の地名を考える会(角田憲治会長)は21日、釧路市内のアクア・ベールで「明治時代の千島アイヌに関する新資料」と題した講演会を開いた。根室市歴史と自然の資料館学芸主査の猪熊樹人氏が千島アイヌの色丹島移住の概要や明治時代の新聞記者と海軍が記録した資料について紹介した。猪熊氏は、1892年から根室毎日新聞の記者として勤務していた門馬豊次(1868~1945)が北千島を巡り、現地に住む北千島アイヌを直接取材し「千島周遊記」「武蔵艦便乗千島再航誌」として新聞に掲載した記事などをもとに講演した。この中で、明治政府が1884年(明治17年)に国防上の観点から北千島アイヌを千島列島北端の占守島から、北方四島の色丹島に強制移住させたことを紹介。この移住によって、「生活環境の変化で病気による死者が多く出たことやオットセイ、ラッコなどの狩猟ができなくなり生活が困窮し、民族存続の危機に陥った」と説明した。このことから門馬は「色丹島に移住させたのは当局の失策だった」と主張している。また、1908年(明治41年)に行われた軍艦金剛による千島列島、カムチャッカ半島沿岸地域の調査については「当時横行していた外国船によるラッコやオットセイの密猟の取り締まりが主な目的」とし、その中で北千島アイヌに関する調査資料が新たに見つかったことを説明。猪熊氏は「この資料は、目で見た物をそのまま書いていて非常に信憑性が高い。古い新聞記事を洗い直すとまだまだ知られていない記事が出てくる」と話していた。
http://www.news-kushiro.jp/news/20150423/201504235.html
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北海道)アイヌ民族若者ら、... | トップ | 白老・ポロトに春の訪れ…SL... »
最新の画像もっと見る

アイヌ民族関連」カテゴリの最新記事