[日本経済新聞夕刊2010年6月2日付]
阿寒湖や屈斜路湖にほど近い北海道津別町の山奥に、ひっそりと水をたたえるチミケップ湖。知る人ぞ知る道東の秘湖だ。原生林に包まれて太古の昔から変わらぬ姿をしており、訪問者を感動させずにはおかない。
北海道の三大秘湖は支笏湖近くのオコタンペ湖、然別湖近くの東雲(しののめ)湖、阿寒湖奥のオンネトーというのが相場。友人から「実は道東にチミケップ湖という秘湖の中の秘湖がある」と聞いて行きたくなった。
津別町市街地から約20キロ、国道240号から折れて湖に向かう細い道は、途中から未舗装の穴ぼこだらけの悪路。鹿鳴(ろくめい)の滝を過ぎて、くねくね道を走り続けると、突然、樹林の合間から西日に輝く湖面が出現した。旭川市出身の作家、三浦綾子が随筆「旅情(2) 湖」の中で、チミケップ湖を初めて目にした印象を「突如として目の前に現れ…、思わず息を呑(の)んだ」と書いたのと同じ感嘆を禁じ得ない。
程なく湖畔に立つ唯一の宿泊施設、チミケップホテルに到着。夕刻、湖岸に面するデッキのいすに座っていると、風の音に混じってあちこちから「カタカタカタッ」という音がしてきた。クマゲラが樹木の幹をたたき、縄張りを宣言するドラミングという行為。周囲には薄赤色のエゾヤマツツジに加えて、1本のエゾヤマザクラも開花、道東の遅い花見となった。
チミケップとはアイヌ語で「山水が崖(がけ)を破って流下するところ」という意味。約1万年前に川が土砂崩れでせき止められてできた湖。周囲12キロ、面積120ヘクタール。水深は最も深いところで27メートルある。湖水は深い青色というよりも黒みがかっており、ネッシーで有名なスコットランド北部のネス湖を思い出させる。湖岸からミネラル分が溶け出すことが原因らしい。
ホテルは「湖の眺めがいい宿」として、旅行専門家の評価が高い。人里離れた山奥のホテルとは思えないしゃれたたたずまい。夕食はフルコースのフランス料理。
夜は漆黒の闇。不気味ささえ感じる。冬季は湖面が完全に凍結し、ワカサギ釣りも楽しめる。1950年代に丸太を満載したトラックが横断中に氷が割れ、死者を出すなどいくつかの死亡事故が報告されており、幽霊が出るという怪談も聞かされた。
翌朝、湖の自然を守るチミケップネイチャーコンサベーションクラブの代表を務める久保利治さん(56)の案内で、近くの野鳥公園を散策。エゾマツやトドマツなどの森林。厳しい冬に幹の水分が膨張して突然破裂する凍裂を起こした樹木が多く見られる。ところどころ幹に数十センチの穴が開いているのは、アカゲラやクマゲラが餌となる虫を探した跡。野鳥は数十種類が観察されるが、コガラやゴジュウカラが忙しく飛ぶ姿が見えた。
山の中腹にある見晴らし台に登った。往復約1時間。途中、野鳥観察の小屋があり、すぐ横の野鳥が集う池にはエゾサンショウウオの卵がたくさん浮かんでいた。原生林の中に全貌(ぜんぼう)を現した湖の姿は圧巻だった。「道有地なので民間資本による開発がほとんどなかったことが手つかずの自然を残した。素晴らしい景色をこのまま保存したいが、多くの人に見てほしい気もする」と久保さん。
もう一つ津別町の宝として久保さんが案内してくれたのは、市街地に戻る国道から途中、約4キロ山中に入った斜面に立つ双葉(地名)のミズナラ。樹高21メートル、幹回り6.4メートル。推定樹齢は約1200年で、触れると幹は岩肌のよう。幾多の山火事も生き延びて、町民には神様のように崇(あが)められている。
<旅支度>クリンソウ群生地も 女満別空港から車で約1時間。春は遅く初夏の新緑や秋の紅葉のころが特に美しい。宿泊施設は客室数8室のホテルが1軒。キャンプ場もある。原生林や野生動物の宝庫で湖畔に樹木園や野鳥公園がある。
阿寒湖には車で約40分の距離。津別町と弟子屈町の境にある津別峠展望台からは屈斜路湖や知床連山の眺望が美しい。津別峠近くの奥屈斜路温泉には6月中下旬に開花するクリンソウ群生地がある。問い合わせは町産業課(電話0152・76・2151)に。
(編集委員 木戸純生)
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A96889DE2EAE6EAE7E6E4E2E2E3E2E4E0E2E3E2979EE382E2E2;p=9694E0E4E3E0E0E2E2EBE1E3E3E7
阿寒湖や屈斜路湖にほど近い北海道津別町の山奥に、ひっそりと水をたたえるチミケップ湖。知る人ぞ知る道東の秘湖だ。原生林に包まれて太古の昔から変わらぬ姿をしており、訪問者を感動させずにはおかない。
北海道の三大秘湖は支笏湖近くのオコタンペ湖、然別湖近くの東雲(しののめ)湖、阿寒湖奥のオンネトーというのが相場。友人から「実は道東にチミケップ湖という秘湖の中の秘湖がある」と聞いて行きたくなった。
津別町市街地から約20キロ、国道240号から折れて湖に向かう細い道は、途中から未舗装の穴ぼこだらけの悪路。鹿鳴(ろくめい)の滝を過ぎて、くねくね道を走り続けると、突然、樹林の合間から西日に輝く湖面が出現した。旭川市出身の作家、三浦綾子が随筆「旅情(2) 湖」の中で、チミケップ湖を初めて目にした印象を「突如として目の前に現れ…、思わず息を呑(の)んだ」と書いたのと同じ感嘆を禁じ得ない。
程なく湖畔に立つ唯一の宿泊施設、チミケップホテルに到着。夕刻、湖岸に面するデッキのいすに座っていると、風の音に混じってあちこちから「カタカタカタッ」という音がしてきた。クマゲラが樹木の幹をたたき、縄張りを宣言するドラミングという行為。周囲には薄赤色のエゾヤマツツジに加えて、1本のエゾヤマザクラも開花、道東の遅い花見となった。
チミケップとはアイヌ語で「山水が崖(がけ)を破って流下するところ」という意味。約1万年前に川が土砂崩れでせき止められてできた湖。周囲12キロ、面積120ヘクタール。水深は最も深いところで27メートルある。湖水は深い青色というよりも黒みがかっており、ネッシーで有名なスコットランド北部のネス湖を思い出させる。湖岸からミネラル分が溶け出すことが原因らしい。
ホテルは「湖の眺めがいい宿」として、旅行専門家の評価が高い。人里離れた山奥のホテルとは思えないしゃれたたたずまい。夕食はフルコースのフランス料理。
夜は漆黒の闇。不気味ささえ感じる。冬季は湖面が完全に凍結し、ワカサギ釣りも楽しめる。1950年代に丸太を満載したトラックが横断中に氷が割れ、死者を出すなどいくつかの死亡事故が報告されており、幽霊が出るという怪談も聞かされた。
翌朝、湖の自然を守るチミケップネイチャーコンサベーションクラブの代表を務める久保利治さん(56)の案内で、近くの野鳥公園を散策。エゾマツやトドマツなどの森林。厳しい冬に幹の水分が膨張して突然破裂する凍裂を起こした樹木が多く見られる。ところどころ幹に数十センチの穴が開いているのは、アカゲラやクマゲラが餌となる虫を探した跡。野鳥は数十種類が観察されるが、コガラやゴジュウカラが忙しく飛ぶ姿が見えた。
山の中腹にある見晴らし台に登った。往復約1時間。途中、野鳥観察の小屋があり、すぐ横の野鳥が集う池にはエゾサンショウウオの卵がたくさん浮かんでいた。原生林の中に全貌(ぜんぼう)を現した湖の姿は圧巻だった。「道有地なので民間資本による開発がほとんどなかったことが手つかずの自然を残した。素晴らしい景色をこのまま保存したいが、多くの人に見てほしい気もする」と久保さん。
もう一つ津別町の宝として久保さんが案内してくれたのは、市街地に戻る国道から途中、約4キロ山中に入った斜面に立つ双葉(地名)のミズナラ。樹高21メートル、幹回り6.4メートル。推定樹齢は約1200年で、触れると幹は岩肌のよう。幾多の山火事も生き延びて、町民には神様のように崇(あが)められている。
<旅支度>クリンソウ群生地も 女満別空港から車で約1時間。春は遅く初夏の新緑や秋の紅葉のころが特に美しい。宿泊施設は客室数8室のホテルが1軒。キャンプ場もある。原生林や野生動物の宝庫で湖畔に樹木園や野鳥公園がある。
阿寒湖には車で約40分の距離。津別町と弟子屈町の境にある津別峠展望台からは屈斜路湖や知床連山の眺望が美しい。津別峠近くの奥屈斜路温泉には6月中下旬に開花するクリンソウ群生地がある。問い合わせは町産業課(電話0152・76・2151)に。
(編集委員 木戸純生)
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A96889DE2EAE6EAE7E6E4E2E2E3E2E4E0E2E3E2979EE382E2E2;p=9694E0E4E3E0E0E2E2EBE1E3E3E7