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小樽にアイヌ協会がようやく発足 強制移住の歴史と遺骨返還の国指針…初代会長が語った次世代の使命感

2024-03-26 | アイヌ民族関連

東京新聞2024年3月25日 12時00分

 北海道小樽市に暮らすアイヌ民族らでつくる「小樽アイヌ協会」が立ち上がった。道内の日本海側では初めての発足という。設立に至った背景には、アイヌ民族の強制移住の歴史と、遺骨返還を巡る国のガイドラインの存在があった。(木原育子)

小樽アイヌ協会を立ち上げた安ケ平祐也さん=北海道小樽市で

 「アイヌ民族であることを誇りに思う人が増えてほしい。誰かが先頭に立たなければならないのなら、ぼくが…」。小樽アイヌ協会の初代会長に就任した安ケ平祐也さん(49)が今月上旬、「こちら特報部」の取材にそう答えた。

◆好意的な受け止めで前向きに

 安ケ平さんは、自身がアイヌ民族であることを積極的に明かしてこなかった。「北海道でアイヌ民族だと知られると、ばかにされ、差別を受ける可能性があったから」と振り返る。

 大学進学で上京し、道外で暮らして考えが変わった。「話の流れで『実は…』と自身の生い立ちを話すことがあった。その時、『アイヌ民族の歴史をもっと知りたい』などと好意的に受け止められ、うれしいと思う自分がいた」と続ける。

◆遺骨返還には地元に受け皿が必要

 就職などで北海道に戻ると、その後は家庭を持ち、道民として日常を送った。事態が動いたのが2014年、大学が保管する遺骨返還のガイドラインを政府が作成したことだ。

 ガイドラインでは、返還の対象団体は出土した地域に住んでいるアイヌ民族の団体が原則。「確実な慰霊」が可能か否かの審査もある。地元に受け皿がないなどで返還できない遺骨は、白老町の「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の慰霊施設に集約するとしてきた。

 小樽から出土しているアイヌ民族の遺骨は、アイヌ研究で知られる解剖・人類学者で東京帝大医科大(現在の東大)教授を務めた小金井良精(よしきよ)氏が盗掘した16体を含む約20体。ただ、小樽に団体はないため、ガイドラインに基づき慰霊施設に納められてきた。

◆「ぼくたちの世代も」3人で

 安ケ平さんは、遺骨返還運動に長年取り組んできた木村二三夫さん(75)=平取町=のおいにあたる。伯父がアイヌ民族の尊厳のために奔走する姿を間近で見ており、「ぼくたちの世代も」と奮い立った。小樽市内のアイヌ民族3人が出自を明らかにし、協会立ち上げに至った。

 安ケ平さんは「どこまでやれるかわからないが、アイヌ民族として胸を張って生きていけるようにしたい」と控えめながら確かな意思を語る。協会として今後はアイヌ民族の文化発信をしていくという。

◆強制移住で途絶えた文化・伝承

 そもそもなぜ日本海側に団体がなかったのか。「オタルナイ(小樽の原名)のアイヌ民族の歴史に象徴されている」と話すのは、アイヌ民族史研究家で元小学校教諭の平山裕人さん(65)=小樽市=だ。

 平山さんによると、江戸後期から末期の北海道の様子が記された「東海参譚(さんたん)」や「竹四郎廻浦日記」を比較分析するなどして、当時小樽にいたアイヌ民族が、ニシン漁の強制労働で市外地に移住させられた事実が浮かび上がったという。

 小樽が「開拓の玄関地」として栄える中、最終的にオタルナイのアイヌ民族は石狩市浜益への移住を強いられていく。

◆遺骨返還への姿勢「アイヌ民族はよく見ている」

 平山さんは「強制移住によって小樽でのアイヌ民族の歴史や文化の伝承が途絶えてしまった。小樽以外の日本海側の沿岸各地域もアイヌ民族の集落は漁場労働でことごとく破壊されていった」とし「協会発足は大変意義深いが、強制移住があった史実も受け止めなければならない」と見据える。

 遺骨返還運動を続けてきた木村さんも語気を強める。「東大はかつて平取町に遺骨返還した際、謝罪もなく遺骨を物のようにトラックで運んできただけだった。先住民族に対してあまりに侮辱した行為。今回はどういった姿勢で返すのかアイヌ民族はよく見ている」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/317072

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