MBS 6/6(木) 15:47配信
アイヌという言葉は知っていても、本州に住む人たちには身近な存在とは言い難いかも知れません。今年、画期的な法律が施行されアイヌの人たちからは喜びの声があがっています。何が起きようとしているのか、現地を取材しました。
アイヌの人たちの歴史や文化を伝える博物館
今年4月、アイヌ民族を法律で初めて“先住民族”と明記した、いわゆる「アイヌ新法」が成立しました。
「抱えきれないような苦しみと悲しみと歴史がありましたが、きょうから出発できるということは、歴史の大きな1ページ」(北海道アイヌ協会 加藤忠理事長)
アイヌの人たちが待ち望んでいたこの法律が施行された5月24日。辻憲太郎解説委員は、アイヌと深い関わりのある場所に向かいました。
「北海道平取町にやってきました。この町は、北海道の中で最もアイヌ文化の継承に力を入れている町として知られていまして、私の後ろに点在しているのもアイヌ伝統の家屋を復元したものなんです」(辻解説委員)
新千歳空港から車で1時間の場所にある平取町は、「アイヌ文化継承の地」とされています。中でも、二風谷地区はアイヌの伝統家屋が復元され、観光名所にもなっています。また、古くからこの地で暮らしていたアイヌの人たちの歴史や文化を伝える博物館「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」もあります。ここには、北の大自然との共生から生まれたアイヌの人々の生活用具などが展示されていて、森岡館長に中を案内してもらいました。
Q.自然素材?
「そうです、基本的にアイヌの人たちが作れるものは、地域の中にある植物や樹木が主です」(二風谷アイヌ文化博物館 森岡健治館長)
「マキリ」と呼ばれる小刀の柄や鞘の部分には、うずまきやウロコなどの“アイヌ文様”が彫られています。料理の時に使われていたまな板にも、美しい文様が彫られています。実はこれ、アイヌの人たちが本州と交易をしていた証拠だそうです。
「機能的には文様はなくてもいい。文様を付けることによって、価値がついてくる。高価なものに進化してくる」(森岡健治館長)
Q.付加価値を付けて本州に売っていた?
「もちろんそうです。意外と想像する以上に(本州と)交易していた」
「儀式」を大切にしてきたアイヌの人々
手を合わせて祈っているような約100年前の写真。自然や動植物など全てのものに「魂」があると考えるアイヌの人たちは、ことあるごとに神への祈りの儀式を行いました。辻解説委員が次に目をとめた写真は…
Q.これ、クマですか?
「『イオマンテ』という儀式。神の国へ(クマの魂を)返すという儀礼」(森岡健治館長)
アイヌの人々は、食糧としての肉や毛皮を授けてくれるヒグマを「神」と考えました。これは、一定期間大切に育てた子熊の魂を神の国へ送り返す「イオマンテ」という儀式で、アイヌの人々はこのような「儀式」をとても大切にしてきたそうです。
アイヌの伝統家屋「チセ」。復元された家の中に入ってみると…
「ひと家族が暮らしていたのはこれくらいですか…広いですね」(辻解説委員)
木やカヤなど自然の材料を使い、ブドウのつるなどを結って作った伝統家屋。明治時代に本州から開拓団がやってくるころまでは、こういった家が一般的だったそうです。
「違う民族が混在している島国」
今回施行されたアイヌ新法は、「日本の多様性を考える良い機会になる」と、森岡館長は評価しています。
「これがきっかけになって、遠く離れた関西や九州であっても、『北海道にはアイヌ民族がいる』(と知ってほしい)。実は(日本は)今まで単一民族だと思われていたけど、違う民族が混在している島国なんだと意識してもらいたい」(森岡健治館長)
「アットゥシ織り」とは
アイヌ文化の保存・継承に力を入れてきた平取町も、今回の新法を心待ちにしていました。
Q.平取町がアイヌ文化を大切にしてきた経緯は?
「人口5000人程度の町なのですが、アイヌの人が多く住んでいる地域。自分たちのアイヌ文化を守ろうと、熱心に活動されている」(平取町役場アイヌ施策推進課 武田弘幸さん)
平取町には現在、約1000人のアイヌ民族が暮らしています。そのため、町ではアイヌ語教室を開催するなど、文化を守ってきました。町の工芸品「二風谷イタ」と「二風谷アットゥシ」は、北海道で初めて経産省の「伝統工芸品」に指定されました。イタはアイヌ文様が彫られた木製のお盆です。アットゥシは木の樹皮から作った糸で編んだ反物で、どちらも100年以上継承されてきたアイヌの伝統工芸品です。
アットゥシ織りの技術を伝承している藤谷るみ子さん(70)。この地で生まれ育ったアイヌ民族です。
Q.昔は各家庭でアットゥシ織りをしていた?
「子どものころはこの土地の人は、ほとんど機(はた)を織っていました」(藤谷るみ子さん)
アットゥシ織りに使う糸は、「オヒョウ」という木の皮から作ります。水で煮た内皮を細かく開き、乾燥させて糸を作ります。この糸で着物や帯などの工芸品が作られます。
新法の施行で期待される「文化の継承」
明治時代に始まった開拓で、伝統的な生活などを奪われ、いわれなき差別を受けたアイヌの人々。北海道の2017年の調査では、いまも2割以上のアイヌの人が「差別を経験した」と回答しています。
「(昔は)いろんなことはあったでしょうけど、私はそれをあまり苦にしないできましたので。ここで生まれて、ここから出なかったから(差別を受けず)恵まれていたのかもしれないし…」(藤谷るみ子さん)
アイヌ新法には差別の禁止はもちろん、文化の継承を支援する交付金制度なども盛り込まれました。町はこの交付金制度に大きな期待を寄せています。
「(アイヌの人たちは)自然素材を使って家を建てたり、着物を作ったりお盆を作ったりしている。地域に自然素材が少なくなってきて、素材をどう確保するか(が課題)」(平取町アイヌ施策推進課 武田弘幸さん)
実は、アットゥシ織りに欠かせない「オヒョウ」という木は、年々数が少なくなってきていて、町では10年前からオヒョウの苗を植え始めました。今後は、その経費などに交付金を充てたいといいます。
「(アイヌ文化関連予算は)毎年1億7000万円の支出。(自然素材の確保には)やはり大きな予算が必要ですので、交付金が支給されるとそういう取り組みもできていく」(武田弘幸さん)
藤谷さんも、法整備によってアイヌの文化が末永く継承されることを願っていました。
「民族として残ってきたもの、“自然崇拝”とか。先人たちから聞いたことを大事に守っているからこそ、ここにこれだけのもの(文化が)残っている。それを後の人に継承したい。(新法の施行で)よりよくなることを願っています」(藤谷るみ子さん)
(6月4日放送 MBSテレビ「ミント!」内『辻憲のちょいサキ!』より)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010002-mbsnews-soci
アイヌという言葉は知っていても、本州に住む人たちには身近な存在とは言い難いかも知れません。今年、画期的な法律が施行されアイヌの人たちからは喜びの声があがっています。何が起きようとしているのか、現地を取材しました。
アイヌの人たちの歴史や文化を伝える博物館
今年4月、アイヌ民族を法律で初めて“先住民族”と明記した、いわゆる「アイヌ新法」が成立しました。
「抱えきれないような苦しみと悲しみと歴史がありましたが、きょうから出発できるということは、歴史の大きな1ページ」(北海道アイヌ協会 加藤忠理事長)
アイヌの人たちが待ち望んでいたこの法律が施行された5月24日。辻憲太郎解説委員は、アイヌと深い関わりのある場所に向かいました。
「北海道平取町にやってきました。この町は、北海道の中で最もアイヌ文化の継承に力を入れている町として知られていまして、私の後ろに点在しているのもアイヌ伝統の家屋を復元したものなんです」(辻解説委員)
新千歳空港から車で1時間の場所にある平取町は、「アイヌ文化継承の地」とされています。中でも、二風谷地区はアイヌの伝統家屋が復元され、観光名所にもなっています。また、古くからこの地で暮らしていたアイヌの人たちの歴史や文化を伝える博物館「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」もあります。ここには、北の大自然との共生から生まれたアイヌの人々の生活用具などが展示されていて、森岡館長に中を案内してもらいました。
Q.自然素材?
「そうです、基本的にアイヌの人たちが作れるものは、地域の中にある植物や樹木が主です」(二風谷アイヌ文化博物館 森岡健治館長)
「マキリ」と呼ばれる小刀の柄や鞘の部分には、うずまきやウロコなどの“アイヌ文様”が彫られています。料理の時に使われていたまな板にも、美しい文様が彫られています。実はこれ、アイヌの人たちが本州と交易をしていた証拠だそうです。
「機能的には文様はなくてもいい。文様を付けることによって、価値がついてくる。高価なものに進化してくる」(森岡健治館長)
Q.付加価値を付けて本州に売っていた?
「もちろんそうです。意外と想像する以上に(本州と)交易していた」
「儀式」を大切にしてきたアイヌの人々
手を合わせて祈っているような約100年前の写真。自然や動植物など全てのものに「魂」があると考えるアイヌの人たちは、ことあるごとに神への祈りの儀式を行いました。辻解説委員が次に目をとめた写真は…
Q.これ、クマですか?
「『イオマンテ』という儀式。神の国へ(クマの魂を)返すという儀礼」(森岡健治館長)
アイヌの人々は、食糧としての肉や毛皮を授けてくれるヒグマを「神」と考えました。これは、一定期間大切に育てた子熊の魂を神の国へ送り返す「イオマンテ」という儀式で、アイヌの人々はこのような「儀式」をとても大切にしてきたそうです。
アイヌの伝統家屋「チセ」。復元された家の中に入ってみると…
「ひと家族が暮らしていたのはこれくらいですか…広いですね」(辻解説委員)
木やカヤなど自然の材料を使い、ブドウのつるなどを結って作った伝統家屋。明治時代に本州から開拓団がやってくるころまでは、こういった家が一般的だったそうです。
「違う民族が混在している島国」
今回施行されたアイヌ新法は、「日本の多様性を考える良い機会になる」と、森岡館長は評価しています。
「これがきっかけになって、遠く離れた関西や九州であっても、『北海道にはアイヌ民族がいる』(と知ってほしい)。実は(日本は)今まで単一民族だと思われていたけど、違う民族が混在している島国なんだと意識してもらいたい」(森岡健治館長)
「アットゥシ織り」とは
アイヌ文化の保存・継承に力を入れてきた平取町も、今回の新法を心待ちにしていました。
Q.平取町がアイヌ文化を大切にしてきた経緯は?
「人口5000人程度の町なのですが、アイヌの人が多く住んでいる地域。自分たちのアイヌ文化を守ろうと、熱心に活動されている」(平取町役場アイヌ施策推進課 武田弘幸さん)
平取町には現在、約1000人のアイヌ民族が暮らしています。そのため、町ではアイヌ語教室を開催するなど、文化を守ってきました。町の工芸品「二風谷イタ」と「二風谷アットゥシ」は、北海道で初めて経産省の「伝統工芸品」に指定されました。イタはアイヌ文様が彫られた木製のお盆です。アットゥシは木の樹皮から作った糸で編んだ反物で、どちらも100年以上継承されてきたアイヌの伝統工芸品です。
アットゥシ織りの技術を伝承している藤谷るみ子さん(70)。この地で生まれ育ったアイヌ民族です。
Q.昔は各家庭でアットゥシ織りをしていた?
「子どものころはこの土地の人は、ほとんど機(はた)を織っていました」(藤谷るみ子さん)
アットゥシ織りに使う糸は、「オヒョウ」という木の皮から作ります。水で煮た内皮を細かく開き、乾燥させて糸を作ります。この糸で着物や帯などの工芸品が作られます。
新法の施行で期待される「文化の継承」
明治時代に始まった開拓で、伝統的な生活などを奪われ、いわれなき差別を受けたアイヌの人々。北海道の2017年の調査では、いまも2割以上のアイヌの人が「差別を経験した」と回答しています。
「(昔は)いろんなことはあったでしょうけど、私はそれをあまり苦にしないできましたので。ここで生まれて、ここから出なかったから(差別を受けず)恵まれていたのかもしれないし…」(藤谷るみ子さん)
アイヌ新法には差別の禁止はもちろん、文化の継承を支援する交付金制度なども盛り込まれました。町はこの交付金制度に大きな期待を寄せています。
「(アイヌの人たちは)自然素材を使って家を建てたり、着物を作ったりお盆を作ったりしている。地域に自然素材が少なくなってきて、素材をどう確保するか(が課題)」(平取町アイヌ施策推進課 武田弘幸さん)
実は、アットゥシ織りに欠かせない「オヒョウ」という木は、年々数が少なくなってきていて、町では10年前からオヒョウの苗を植え始めました。今後は、その経費などに交付金を充てたいといいます。
「(アイヌ文化関連予算は)毎年1億7000万円の支出。(自然素材の確保には)やはり大きな予算が必要ですので、交付金が支給されるとそういう取り組みもできていく」(武田弘幸さん)
藤谷さんも、法整備によってアイヌの文化が末永く継承されることを願っていました。
「民族として残ってきたもの、“自然崇拝”とか。先人たちから聞いたことを大事に守っているからこそ、ここにこれだけのもの(文化が)残っている。それを後の人に継承したい。(新法の施行で)よりよくなることを願っています」(藤谷るみ子さん)
(6月4日放送 MBSテレビ「ミント!」内『辻憲のちょいサキ!』より)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010002-mbsnews-soci