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春採アイヌ学校の永久保秀二郎 教育差別抗議、気骨の教師

2013-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞(2013/08/20)
ピヤラ アイヌ民族の今
退職後は文化保存尽力
 明治から大正期にかけ、釧路市内でアイヌ民族の教育に尽くした人がいた。春採アイヌ学校で教師を務めた永久保秀二郎(1849~1924年)。在職中、国の理不尽な教育差別に抗議した一方、退職後は春採のアイヌ集落にとどまり、民族文化の保存に努めた。(桜井則彦)

 宮城県出身の永久保は函館で教師となった後、釧路へ移住。キリスト教団体の釧路聖公会が1891年(明治24年)に設立した春採アイヌ学校で、開校時から1920年(大正9年)まで教師を務めた。読書や作文、算数などを教え、時にはコタンの家を自ら回り、子供たちに入校を勧めたという。
「雑録」まとめる
 永久保が在職中の16年(同5年)、旧土人児童教育規定により初等教育の修業年限が、アイヌ民族は6年から4年に短縮された。一般の修業年限は6年のままで、明らかな差別だった。
 今月4日、市立釧路図書館で開かれた、釧路アイヌ文化懇話会の例会で永久保の足跡を紹介した郷土史研究家中村一枝さん(82)=札幌在住=によると、永久保は、文部省の督学官が視察のため来校した際、アイヌ民族の児童も修業年限を6年とするよう抗議したという。
 当時学校を経営していた聖公会は、英国人宣教師ジョン・バチェラー、ルーシー・ペインらがアイヌ語をローマ字表記した福音書を使い、聖書の授業を行った。母語尊重の教育環境の中、永久保もアイヌ語への関心を深めていった。
 退職後も春採のアイヌ集落で教え子や集落のアイヌ民族と交流を継続。アイヌ民族4人の協力でアイヌ語を聞き取り、「アイヌ語雑録」をまとめた。
 中村さんは「雑録のアイヌ語は日常生活、伝承、教訓など1800語にも上る。永久保がアイヌ文化を大事にしているのがよく分かる」と話す。
教え子ら顕彰碑
 春採アイヌ学校があった付近には現在、永久保の業績をたたえる石碑が建つ。建立は永久保の死後13年たった37年(昭和12年)。教え子たちが中心となって資金を集め、集落総出の労力奉仕で完成したという。
 永久保やアイヌ学校が果たした役割について鈴木史朗・道教大名誉教授(釧路在住)は、「アイヌ文化の保存やアイヌ語の記述に大きな足跡を残している」としている。
◇アイヌ学校◇
 1877年(明治10年)、対雁(現在の江別市)に置かれ、その後道内各地に官公立と私立の学校が広がった。その数は少なくとも40校に上るとみられる。各学校で経営や教育内容には差異があり、授業料の徴収がなかった春採ではアイヌ民族以外の就学も少なくなかった。釧根管内では春採のほか茂尻矢(釧路市)、白糠などに設置された。各学校は昭和初期までには廃止あるいは尋常小学校などへ移管した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/207722.html
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