Casa11/1(火) 16:55配信

抽象的な作風の独自の“木彫り熊”の世界を切り拓いた作家、柴崎重行。その魅力にいち早く触れた伝説の名著が、改訂復刻され発売!
Casa BRUTUS 2022年1月号の『部屋と置物。』特集で、大々的に紹介した北海道、八雲の木彫り熊。大正時代に第一号の木彫り熊が生まれてからというもの、その姿は表現法が豊かになるとともに刻々と変化し、抽象的な作風も生まれながら作家性を帯びていった。そしてここ数年前からこうした“抽象熊”が再注目されている。その代表的な作家が柴崎重行だ。
八雲町にある温泉宿〈銀婚湯〉で柴崎の木彫り熊に会った途端に一目惚れし、そこから資料を集め、関係者に会いに行き、果てはその成果を本にしてしまった人がいる。竹沢美千子さん。『木霊の再生 柴崎熊の魅力を探る』(2002年刊、文芸社)は、札幌にある竹沢花木園を営みながら、柴崎熊と木彫り熊にまつわる魅力と歴史を読み解いた竹沢さんの知的冒険譚である。いまでは手に入りにくい“幻の名著”と言われているが、20年を経て改訂版が出されることとなった。
そこで、竹沢さんと、改訂版の話を持ちかけ、竹沢さんの背中をそっと押し続けた版元〈プレコグ・スタヂオ〉の編集者、安藤夏樹さんに話を聞いた。安藤さんは、2019年に『熊彫図鑑』を発刊したり、木彫り熊の展覧会を各地で開いたりと、現在の木彫り熊ブームの火付け役でもある。
───2002年に本を出そう、としたきっかけを教えてください。
竹沢 銀婚式で行った八雲の〈銀婚湯〉で柴崎さんの木彫り熊を見た瞬間、「わー、円空さんみたい!」と思ったんです。もともと仏師、円空さんの荒削りで自由な作風の仏像が大好きでした。日ごろ園芸業で木に接していることもあり、私は小細工をしていない作品が好き。柴崎さんの熊はまさに“木をいじめていない”、とひと目で感じました。木の個性を知り尽くしている。そういった点も含め、もう一瞬で虜になってしまったんですね。あと、八雲への旅の最後に、徳川公園を散策していたら「木彫り熊北海道発祥の地」という碑に出会いました。ちょっと寂れた感じだったので、「発祥の地であればなぜもっとこの碑を大切にしないのか?」とふつふつと疑問が湧いてくるわけです(現在は八雲町公民館に移設され、立派な佇まいとなっている)。そもそも木彫り熊発祥はアイヌの人たちでは? という先入観もあったので、とにかく調べたい、知りたい欲求が膨らんでいきました。
───『木霊の再生』というタイトルにされたのはどうしてですか?
竹沢 私が花木園の仕事で行っている「剪定」というのは木を生かすための作業です。反対に木を切り倒す(伐採)ということは、木の生命を終わらせてしまうこと。私たちは木を切るときは、一週間前からお酒をお供えして拝むほど、木に感謝の気持ちを伝えるんですよ。そんなこともあり、作家さんが木彫りの作品を作るという行為は、木を「再び生かす」ということなんだと思いました。そして、木には確実に霊が宿っています。なので「木霊」と付けました。
───安藤さんはどうして『木霊の再生』を復刊されようと提案したのでしょう?
安藤 僕が木彫り熊のことを調べ始めた2015年ごろは、資料はほとんどなかったんですね。そんな状況の中で知り得た一冊が『木霊の再生』でした。当時すでに入手困難で、札幌の古書店でようやく見つけたんです。植物を生業とする女性が、銀婚式をきっかけに柴崎の木彫り熊を見つけて関心を持ち、資料を探し、街で会った人たちと話をしたりなどして少しずつ知識を蓄えていく、というプロセスが僕が木彫り熊を知るために歩んできた道とすごく似ていた。読んでいてとても興奮したことを覚えています。いまでは希少本となっていますが、せっかくなので、木彫り熊に興味のある多くの人たちにぜひ読んでほしい、と思ったので竹沢さんに会いに行きました。
───『木霊の再生』を読んで安藤さんが感動したところをひとつ教えてください。
安藤 今ではレジェンドの一人に数えられている引間二郎さん、柴崎さんの活動の後援者であった浅尾一夫さん、「木彫り熊の匠」とも称されている旭川の平塚賢智さん。僕が話を聞けなかったこの3人に竹沢さんは直接会いに行っているんです。この部分のストーリーだけでも十分に価値がある。彼ら3人の木彫り熊に対する思いがリアルに伝わってきて、ドキドキしました。
安藤 竹沢さん、引間二郎さんはどんな方だったんですか?
竹沢 木屑やら木の塊、掘りかけの作品などの真ん中に座っていらして、ふんわかとした素朴な感じの方でした。柴崎さんとの経緯なども訥々と話してくださいました。太い体に丸々とした上向きの顔、しっかりとした両足を踏ん張っている熊。創意工夫の最中のような、その頃の作風だったのか、お人柄のようなおっとりとした熊がわが家で今も健在です。
安藤 平塚賢智さんの印象は?
竹沢 平塚さんはもう本当に優しい方で大好きでした。八雲と旭川(アイヌ)の木彫り熊の違いや「木彫りのこころ」などなんでも教えてくれました。弟子にすると自分色に染まってしまう、ということで、弟子は作らないけれど、出身とか関係なく思いのあるすべての人にできる限り個性を伸ばせるようにアドバイスされていた。木彫り熊の世界では、平塚さんの存在はとても大きかったんだと思います。
安藤 もし柴崎さんに会えたとしたら、どんなことを聞きたかったですか?
竹沢 柴崎さんが28歳のとき、エドヴァルド・ムンクに会いたくて、父親に頼み込んだことがあったそうです。渡航の許可はもらったようですが、残念ながら実現しなかった。なぜムンクに会いたかったのか、聞いてみたかったですね。結局、柴崎さんは究極の何かを探していらしたのではないでしょうか。ムンクが表現しているような抽象的な愛、とか死、とか。
安藤 ムンクは表現主義に分類される画家で、心のままを表現するという手法。労働者をモチーフにした作品も残しています。見る人の感情に訴える作品が多かったので、そういったところに惹かれたのかもしれませんね。
───柴崎熊は竹沢さんにとってアートでしょうか?
竹沢 はい、アートです。また、身近にあると心が暖かくなるもの、ですね。
───改訂版を出すにあたってのご苦労はありましたか?
竹沢 とても重大な間違いがあったんです。それに気づいたときに、安藤さんに「私はもう書く資格ないです」と言いました。とにかくしばらく落ち込んで、やっと立ち直り、正直にそのことを書かなければいけないと決意し、新しく判明した事実に添って書き直しました(そのあたりの竹沢さんの葛藤も本書で触れている)。
───安藤さん、改訂版が出来上がっての感想は?
安藤 竹沢さんのストーリーは読んでいて謎解きをしているようでわくわくする。そこが揺るぎないものとしてあります。歴史は新しい発見によってどんどん塗り変わっていくものなので、よりよくアップデートした素晴らしい一冊になったと思っています。
『木霊の再生』
〈代官山蔦屋〉〈ビームスジャパン〉〈オンサンデーズ〉などで取り扱っている。問い合わせはプレコグ・スタヂオへ。
text_Kazumi Yamamoto
https://news.yahoo.co.jp/articles/8fa875308597856085ff983ba7fa7d4269f0935e


抽象的な作風の独自の“木彫り熊”の世界を切り拓いた作家、柴崎重行。その魅力にいち早く触れた伝説の名著が、改訂復刻され発売!
Casa BRUTUS 2022年1月号の『部屋と置物。』特集で、大々的に紹介した北海道、八雲の木彫り熊。大正時代に第一号の木彫り熊が生まれてからというもの、その姿は表現法が豊かになるとともに刻々と変化し、抽象的な作風も生まれながら作家性を帯びていった。そしてここ数年前からこうした“抽象熊”が再注目されている。その代表的な作家が柴崎重行だ。
八雲町にある温泉宿〈銀婚湯〉で柴崎の木彫り熊に会った途端に一目惚れし、そこから資料を集め、関係者に会いに行き、果てはその成果を本にしてしまった人がいる。竹沢美千子さん。『木霊の再生 柴崎熊の魅力を探る』(2002年刊、文芸社)は、札幌にある竹沢花木園を営みながら、柴崎熊と木彫り熊にまつわる魅力と歴史を読み解いた竹沢さんの知的冒険譚である。いまでは手に入りにくい“幻の名著”と言われているが、20年を経て改訂版が出されることとなった。
そこで、竹沢さんと、改訂版の話を持ちかけ、竹沢さんの背中をそっと押し続けた版元〈プレコグ・スタヂオ〉の編集者、安藤夏樹さんに話を聞いた。安藤さんは、2019年に『熊彫図鑑』を発刊したり、木彫り熊の展覧会を各地で開いたりと、現在の木彫り熊ブームの火付け役でもある。
───2002年に本を出そう、としたきっかけを教えてください。
竹沢 銀婚式で行った八雲の〈銀婚湯〉で柴崎さんの木彫り熊を見た瞬間、「わー、円空さんみたい!」と思ったんです。もともと仏師、円空さんの荒削りで自由な作風の仏像が大好きでした。日ごろ園芸業で木に接していることもあり、私は小細工をしていない作品が好き。柴崎さんの熊はまさに“木をいじめていない”、とひと目で感じました。木の個性を知り尽くしている。そういった点も含め、もう一瞬で虜になってしまったんですね。あと、八雲への旅の最後に、徳川公園を散策していたら「木彫り熊北海道発祥の地」という碑に出会いました。ちょっと寂れた感じだったので、「発祥の地であればなぜもっとこの碑を大切にしないのか?」とふつふつと疑問が湧いてくるわけです(現在は八雲町公民館に移設され、立派な佇まいとなっている)。そもそも木彫り熊発祥はアイヌの人たちでは? という先入観もあったので、とにかく調べたい、知りたい欲求が膨らんでいきました。
───『木霊の再生』というタイトルにされたのはどうしてですか?
竹沢 私が花木園の仕事で行っている「剪定」というのは木を生かすための作業です。反対に木を切り倒す(伐採)ということは、木の生命を終わらせてしまうこと。私たちは木を切るときは、一週間前からお酒をお供えして拝むほど、木に感謝の気持ちを伝えるんですよ。そんなこともあり、作家さんが木彫りの作品を作るという行為は、木を「再び生かす」ということなんだと思いました。そして、木には確実に霊が宿っています。なので「木霊」と付けました。
───安藤さんはどうして『木霊の再生』を復刊されようと提案したのでしょう?
安藤 僕が木彫り熊のことを調べ始めた2015年ごろは、資料はほとんどなかったんですね。そんな状況の中で知り得た一冊が『木霊の再生』でした。当時すでに入手困難で、札幌の古書店でようやく見つけたんです。植物を生業とする女性が、銀婚式をきっかけに柴崎の木彫り熊を見つけて関心を持ち、資料を探し、街で会った人たちと話をしたりなどして少しずつ知識を蓄えていく、というプロセスが僕が木彫り熊を知るために歩んできた道とすごく似ていた。読んでいてとても興奮したことを覚えています。いまでは希少本となっていますが、せっかくなので、木彫り熊に興味のある多くの人たちにぜひ読んでほしい、と思ったので竹沢さんに会いに行きました。
───『木霊の再生』を読んで安藤さんが感動したところをひとつ教えてください。
安藤 今ではレジェンドの一人に数えられている引間二郎さん、柴崎さんの活動の後援者であった浅尾一夫さん、「木彫り熊の匠」とも称されている旭川の平塚賢智さん。僕が話を聞けなかったこの3人に竹沢さんは直接会いに行っているんです。この部分のストーリーだけでも十分に価値がある。彼ら3人の木彫り熊に対する思いがリアルに伝わってきて、ドキドキしました。
安藤 竹沢さん、引間二郎さんはどんな方だったんですか?
竹沢 木屑やら木の塊、掘りかけの作品などの真ん中に座っていらして、ふんわかとした素朴な感じの方でした。柴崎さんとの経緯なども訥々と話してくださいました。太い体に丸々とした上向きの顔、しっかりとした両足を踏ん張っている熊。創意工夫の最中のような、その頃の作風だったのか、お人柄のようなおっとりとした熊がわが家で今も健在です。
安藤 平塚賢智さんの印象は?
竹沢 平塚さんはもう本当に優しい方で大好きでした。八雲と旭川(アイヌ)の木彫り熊の違いや「木彫りのこころ」などなんでも教えてくれました。弟子にすると自分色に染まってしまう、ということで、弟子は作らないけれど、出身とか関係なく思いのあるすべての人にできる限り個性を伸ばせるようにアドバイスされていた。木彫り熊の世界では、平塚さんの存在はとても大きかったんだと思います。
安藤 もし柴崎さんに会えたとしたら、どんなことを聞きたかったですか?
竹沢 柴崎さんが28歳のとき、エドヴァルド・ムンクに会いたくて、父親に頼み込んだことがあったそうです。渡航の許可はもらったようですが、残念ながら実現しなかった。なぜムンクに会いたかったのか、聞いてみたかったですね。結局、柴崎さんは究極の何かを探していらしたのではないでしょうか。ムンクが表現しているような抽象的な愛、とか死、とか。
安藤 ムンクは表現主義に分類される画家で、心のままを表現するという手法。労働者をモチーフにした作品も残しています。見る人の感情に訴える作品が多かったので、そういったところに惹かれたのかもしれませんね。
───柴崎熊は竹沢さんにとってアートでしょうか?
竹沢 はい、アートです。また、身近にあると心が暖かくなるもの、ですね。
───改訂版を出すにあたってのご苦労はありましたか?
竹沢 とても重大な間違いがあったんです。それに気づいたときに、安藤さんに「私はもう書く資格ないです」と言いました。とにかくしばらく落ち込んで、やっと立ち直り、正直にそのことを書かなければいけないと決意し、新しく判明した事実に添って書き直しました(そのあたりの竹沢さんの葛藤も本書で触れている)。
───安藤さん、改訂版が出来上がっての感想は?
安藤 竹沢さんのストーリーは読んでいて謎解きをしているようでわくわくする。そこが揺るぎないものとしてあります。歴史は新しい発見によってどんどん塗り変わっていくものなので、よりよくアップデートした素晴らしい一冊になったと思っています。
『木霊の再生』
〈代官山蔦屋〉〈ビームスジャパン〉〈オンサンデーズ〉などで取り扱っている。問い合わせはプレコグ・スタヂオへ。
text_Kazumi Yamamoto
https://news.yahoo.co.jp/articles/8fa875308597856085ff983ba7fa7d4269f0935e