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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

登別、紋別…地名に「別」が多い北海道 地図にすると一目瞭然! 

2023-01-30 | アイヌ民族関連
神戸新聞2023 . 1 . 29

北海道で「別」がつく地名はこんなにも…はたしてその意味とは?(地理Bの旅さん提供)
北海道の「別」がつく地名の多さがSNS上で大きな注目を集めている。
「これは北海道の『別』が付く地名を地理院地図で検索した結果です。」と「別」がつく地名を表示した地図を紹介したのは地理関係の仕事に就き、日々、地理や地図の魅力を発信している地理Bの旅さん(@chiri_b_geo)。
北海道で「別」がつく地名と言えば登別、紋別などは全国的に有名。「別」はアイヌ語で川を意味する「ペッ」に漢字をあてたものであることが多く、河川流域など水辺にの地名によく見られるようだ。今回の地図には「特別養護老人ホーム」などの「別」も含まれてしまっていたようだが、これはこれで興味ある結果と言えるだろう。
地理Bの旅さんの投稿に、SNSユーザー達からは
「札幌もサッポロペツだったと聞いたことがあるなぁと今思い出しました。」
「『水が豊か』とも言い換えられる。他の地域にあまり詳しくないが。」
「他に『幌』や『内』の付く地名ならどうなのかな?興味あります。」
「北東北でもやってほしい」
など数々の驚きの声が寄せられている。
■投稿者さんに聞いた
地理Bの旅さんに話を聞いた。
ーー今回、このテーマに着目されたきっかけをお聞かせください。
地理Bの旅:以前から地理院地図の検索機能で地名分布図を作成するのが好きで、アイヌ語地名にも興味がありました。
ーー結果をご覧になったご感想をお聞かせください。
地理Bの旅:「別」がつく地名はとてもたくさんあり、アイヌ語由来の地名がたくさんあることが理解できて楽しかったです。
ーー投稿の反響へのご感想をお聞かせください。
地理Bの旅:たくさんの方が関心を寄せてコメントをくださり勉強になりました。また初めに投稿した地図には「特別」など地名でないものも含まれていることが分かり、より良い地図を再投稿して正確な分布図を作成できてうれしかったです。
地理Bの旅さんはこの他にも地図や地名に関するさまざまな情報を発信中。最近では末尾が「谷」と「沢」の地名を地図化すると、きれいな東西差ができることを紹介しており興味深かった。
なお地理Bの旅さんが地図作成に用いているサイト「地理院地図」は、国土地理院が保有している地図情報の数々が紹介されているだけでなく、誰でも自由に素材として利用できる。地図や地理が好きな方はぜひチェックしていただきたい。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202301/0016004203.shtml

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堀田 みえこ ブログ2023-1-28#ぷらっとほーむ企画#奈良県御所市 水平社宣言から100.年、リニューアルも...

2023-01-30 | アイヌ民族関連
選挙ドットコム2023/1/29
#ぷらっとほーむ企画 #奈良県御所市  
水平社宣言から100.年、リニューアルもされた水平社博物館で「水平社100年におもう」というテーマで駒井館長のお話を聞き、博物館の見学をする会に参加しました。
ここ数日の、雪混じりの天候にハラハラしましたが,無事25名もの参加者で、水平社発祥の地での講演会ができました。 
公共交通を乗り継いで京都からの参加者もありました。 
駒井館長の,お話は水平社宣言の綱領,宣言、則、決議を説明,宣言を資料をもとにお話されました。
この宣言に励まされた人たちがたくさんいたということを、12月に金城実さんの水平社宣言を琉球語に訳した記念のお披露目会で知ったが,アイヌの言葉にも訳されていると言います。 
世界人権博物館には英語でも展示されているのです。
特殊部落民なる名称が賤視的観念より乖離するであろうよき日を目指した崇高な宣言が、広まることはこれからなのかもしれない。
https://go2senkyo.com/seijika/157168/posts/538338

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アメリカ大陸の先住民に日本の影響? 米国で発見された16,000年前の石器との「共通点」が示唆すること

2023-01-30 | 先住民族関連
WIRED.jp2023年1月29日 8時0分
米国で発掘された16,000年前の矢じりや槍の先端に用いられた尖頭器と呼ばれる石器について、興味深い発見がこのほど論文で発表された。日本で発掘された尖頭器と似ていたことから、日本を含むアジアとアメリカ大陸の先住民が何らかの交流があった可能性が示唆されている。
https://news.livedoor.com/article/detail/23614963/

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「メッシとマラドーナは知ってるけど…」実は“うろ覚えなアルゼンチンとW杯史” 優勝3回も“もっと勝っていたはず”不運の時代とは

2023-01-30 | 先住民族関連
ナンバーウェブ2023/01/29 11:00
リオネル・メッシ、ディエゴ・マラドーナというフットボールが誇る2大天才を生んだアルゼンチン。W杯優勝国である一方、“2人が出る前のW杯史”については世間的に意外と知られていない。南米在住の日本人ライターがNumberWebでその歴史を紹介する。
 ワールドカップ(W杯)カタール大会で、メッシ率いるアルゼンチンが世界の頂点に立った。自国開催の1978年、マラドーナを擁した1986年に続く36年ぶり3度目の制覇で、過去5回優勝のブラジル、4回優勝のドイツとイタリアに次ぐ世界4番目のフットボール大国となった。
 これだけでも十分にすごいが――南米では「アルゼンチンは、W杯でもっと優勝していておかしくない」という声が多いのをご存知だろうか。
マラドーナは先住民、メッシにはイタリアの系譜が
 南米最南端に位置する逆三角形の国で、面積は日本の7倍以上あるが人口は3分の1強の約4700万人。人口密度は、日本の約23分の1しかない。
「パンパ」と呼ばれる大草原が広がり、牧畜が盛ん。しかし、近年は経済が低迷し、2022年のインフレ率は72%を超えた(このような苦しい状況に置かれているだけに、W杯優勝は国民を大いに勇気づけた)。
 気候は、北部が亜熱帯、首都ブエノスアイレス周辺が温帯で、南部が寒帯。哀愁を帯びたタンゴのメロディーとキレのあるダンス、肉の塊を炭や薪で焼く豪快な肉料理「アサード」、そしてテクニカルだが激しいフットボールがこの国の代名詞だ。
 人種は約85~90%がイタリア系、スペイン系などの欧州系で、残りが先住民インディオとその混血。マラドーナの風貌には先住民インディオの血が色濃く表われており、メッシはイタリア系だ。日系人もいるが、総数は2万人余りで人口の0.5%程度でしかない(隣国ブラジルの日系人は約200万人で、人口の約1%)。
 1863年にイングランドで統一ルールが制定されると、そのわずか4年後、ブエノスアイレスに南米最初のフットボールクラブが設立された。1891年には、5クラブによるリーグ戦が始まった。
戦争での中断期間に頭角を現したディ・ステファノ
 1916年、アルゼンチンの独立宣言100周年を記念してウルグアイ、ブラジル、チリの代表チームを招待して国際トーナメントを開催し、これが南米選手権(1975年にコパ・アメリカと改称)へと発展した。当時の南米のフットボールは、アルゼンチンとウルグアイが双璧。ブラジルは三番手に過ぎなかった。
 1930年にウルグアイで第1回W杯が開催され、アルゼンチンは決勝まで勝ち上がったが地元ウルグアイに2-4で敗れた。しかし、1934年のイタリア大会では1回戦で敗退。「W杯は欧州と南米の持ち回りで開催されるべきだ」と主張して1938年の大会を誘致したが、FIFAがフランスを開催国に選ぶと大会をボイコットした。こういうプライドの高さが、いかにもアルゼンチンらしい。
 その後、1940年代には爆発的な攻撃力を発揮して「ラ・マキナ」(ザ・マシン)と呼ばれたリーベルプレートをベースとする代表チームが黄金時代を迎え、6度の南米選手権のうち4度制覇するなど圧倒的な強さを誇った。
 ところが第二次世界大戦が勃発したため、FIFAは1942年と1946年のW杯を中止した。南米では、「もし1942年と1946年にW杯が開催されていたら、どちらもアルゼンチンが優勝していたのではないか」と言われている。
 この頃に出現した世界的なスターが、アルフレッド・ディ・ステファノである。
 1945年からリーベルプレートで頭角を現わし、1949年からコロンビアの海賊リーグ(元のクラブに移籍金を払わず引き抜いたため、FIFAが公認しなかった)でプレーした後、1953年にスペインへ渡ってレアル・マドリーで中心選手として大活躍。1955年に創設されたヨーロピアン・カップ(現在の欧州チャンピオンズリーグの前身)で5連覇を遂げる立役者となった。
 1945年に第二次世界大戦が終わり、1950年に隣国ブラジルで戦後初のW杯が開催された。しかし、アルゼンチンは大会をボイコット。その理由は明らかにされなかったが、ディ・ステファノら主力選手の多くがコロンビアの海賊リーグでプレーしていたためW杯に招集するのが困難だったこと、時の独裁者フアン・ペロンがアルゼンチンサッカー協会に「参加するのなら、絶対に優勝しろ。それが無理なら参加するな」と圧力を加えたことなどが考えられている。
“格下”だと見ていたブラジルに先を越されたが
ブラジルは、1950年大会の最終戦でウルグアイに逆転負けを喫して準優勝に終わった。しかし、1958年スウェーデン大会で17歳の天才少年ペレを擁して初優勝。一方、アルゼンチンはグループステージ(GS)敗退と明暗が分かれた。
 続く1962年チリ大会でも、ブラジルは右ウイングのガリンシャの活躍で連覇を遂げたが、アルゼンチンはまたもやGSで敗退。長い間、“格下”とみなしていたブラジルに追い抜かれたのである。
 その後は1966年大会でベスト8に食い込んだが、1970年大会では南米予選で敗れて出場を逃した(アルゼンチンが南米予選で敗退したのはこの大会だけ)。ブラジルがペレ、リベリーノ、トスタンらの活躍で3度目の優勝を飾ったのとは天地の開きがあった。
 1974年大会も2次リーグで敗退したが、1978年大会の誘致に成功すると、時の軍事政権がセサール・ルイス・メノッティ監督に優勝を厳命する。2次リーグでブラジルと勝ち点で並んだが得失点差で上回って勝ち上がり、決勝でオランダを延長の末に倒して悲願の初優勝を遂げた。
マラドーナが伝説となり、堕ちた英雄となったW杯
 続く1982年スペイン大会では、21歳の若きマラドーナが初出場。しかし、2次リーグのブラジル戦で相手選手を蹴って退場処分を受け、チームも敗れ去った。
 それから4年後のメキシコ大会では、そのマラドーナが伝説となる。
 準々決勝の相手は1982年にフォークランド紛争(アルゼンチン側の呼称ではマルビナス紛争)を戦ったイングランドだったが、マラドーナは敵のゴール前に上がったボールをイングランドのGKピーター・シルトンと競り合いながら、巧妙に左手の拳で叩いてゴールへ入れた。このトリックを主審が見破ることができず得点を認めてしまった。
 いわゆる“神の手ゴール”が生まれた瞬間だった。さらに自陣から5人抜きのスーパーゴールを決めて2-1で撃破した。アルゼンチン国民は、前述のマルビナス紛争で無残な敗北を喫してプライドをズタズタにされた。その社会状況下にあってマラドーナは――憎きイングランドを狡猾な手口で出し抜き、なおかつ華麗なテクニックを見せつけて葬ったことで、スポーツの枠を超える国民的英雄となった。 
 マラドーナは準決勝ベルギー戦でも2得点を記録すると、決勝の西ドイツ戦でも決勝点をアシスト。円熟期を迎えて絶好調だったエースの獅子奮迅の活躍で、2度目の優勝を遂げた。
 1990年イタリア大会でも、1984年からナポリの救世主となってセリエAのタイトルを二度手にしていたマラドーナが注目の的だった。故障のため体調不良だったが何とか勝ち進み、ナポリで行なわれた準決勝で地元イタリア相手にPK戦の末に勝利したものの、西ドイツ相手に0-1で4年前のリベンジを果たされ、連覇の夢はついえた。
名将ビエルサ、若きメッシをもってしても
 これ以降、アルゼンチンはW杯の舞台で苦しむ。1994年大会では、マラドーナがGSナイジェリア戦の後のドーピング検査で陽性反応が出て大会から追放され、チームもラウンド16で消えた。1998年大会は準々決勝でオランダに78年決勝の雪辱を果たされ、2002年大会はマルセロ・ビエルサ監督のもとで優勝候補と目されながらGSで敗退した。
 そしてメッシにとってW杯デビューとなった2006年大会は準々決勝で敗れ去り、マラドーナが監督を務めた2010年大会は準々決勝でドイツに0-4の大敗を喫した。
 2014年のブラジル大会ではメッシが4得点をあげる活躍を演じて決勝まで勝ち上がったが、ドイツに延長で敗れた。2018年ロシア大会はラウンド16でフランス(この大会で優勝)と壮絶な撃ち合いを演じた末、3-4で敗れた。
 しかし2022年カタール大会では自身5度目の出場で「今度こそは」と闘志をむき出しにしてにしてプレーし、「マラドーナが乗り移った」とまで言われたメッシの獅子奮迅の活躍で世界の頂点に立った。
ブラジルのドリブラーと天才2人の“違い”とは
 マラドーナとメッシに共通するのは、いずれも小柄だが完璧なテクニックでボールを自在に操り、まるでピッチの上から俯瞰しているように的確に状況を判断する。そしてボールが足に吸いついて離れない圧巻のドリブルと精緻なパスで敵の守備陣を崩し、硬軟織り交ぜたシュートを決め切ること。
 ドリブルに関して言えば、ブラジル人選手の多くが上半身を揺すってマーカーを幻惑して逆を取ろうとするのに対し、アルゼンチン人選手は細かいタッチでボールのコースを小刻みに変えながらマーカーの重心の反対側を突いて抜き去ることが多い。
 アルゼンチンのブラジルとの通算対戦成績は、109回対戦して40勝26分43敗(得点162、失点166)とほぼ互角だ。
 W杯の優勝回数はアルゼンチンが3でブラジルが5だが、準優勝はアルゼンチンが3回でブラジルが2回。1938年、1950年、1954年の3度のボイコットと1940年代の戦争による2度の中止がなければ、ブラジルと同数かそれ以上に優勝していてもおかしくない。
 コパ・アメリカの優勝回数は、アルゼンチンとウルグアイが15回ずつで、ブラジルの9回に大きく水をあけている(ブラジルの優勝回数が少ない理由の1つは、自国開催の大会以外ではベストメンバーを招集しないことが多いため)。
 また、クラブ南米王者を争うコパ・リベルタドーレスの国別優勝回数は、アルゼンチンが25でブラジルの22を上回る。
 この隣国の強さを、ブラジル人は熟知している。W杯カタール大会前、ブラジルのメディアと国民は優勝争いの最大のライバルをアルゼンチンとみなして警戒していた。両国が順当に勝ち進めば準決勝で激突するはずだったが、ブラジルが準々決勝でクロアチアに延長、PK戦の末に敗退したため、対決は実現しなかった。
 アルゼンチンにとっての最大の仇敵はマルビナス紛争で敗れたイングランドで、他にもブラジル、ウルグアイ、隣国チリと多くのライバルがいる。一方、ブラジルにとってはほぼ唯一の宿敵がアルゼンチンだ(かつてはウルグアイも手強いライバルだったが、近年は実力差が広がった)。 
 そんなブラジル人ですら、W杯カタール大会でのメッシの奮闘には強い感銘を受け、決勝ではアルゼンチンを応援する人が多かった。そして、フットボールに関しては極めて熱狂的な彼らが、W杯優勝後のアルゼンチン人たちの途方もない狂喜乱舞に驚いていた。
 ペレ、ガリンシャ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョらを生んだブラジルに対し、ディ・ステファノ、マラドーナ、バティストゥータ、メッシらを育んだアルゼンチン。「フットボール王国」ブラジルが最も警戒する隣国が、世界の盟主を目指して力強い進撃を始めた。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
https://number.bunshun.jp/articles/-/856291

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「メラネシアってどんな地域?」2分で学ぶ国際社会

2023-01-30 | 先住民族関連
ダイヤモンド2023.1.30 2:30
ニュースで見聞きした国、W杯やオリンピックの出場国、ガイドブックで目にとまった国――名前だけは知っていても「どんな国なのか?」とイメージすることは意外と難しい。『読むだけで世界地図が頭に入る本』(井田仁康・編著)は、世界地図を約30の地域に分け、地図を眺めながら世界212の国と地域を俯瞰する。各地域の特徴や国どうしの関係をコンパクトに学べて、大人なら知っておきたい世界の重要問題をスッキリ理解することができる画期的な1冊だ。この連載では、本書から一部を抜粋して、世界の国を紹介する。

Photo: Adobe Stock
メラネシアってどんな地域?
 メラネシアはオーストラリアの北東部、ほぼ180度の経線より西、ほぼ赤道より南の太平洋の地域を指します。パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツといった国のほか、フランス領のニューカレドニアがメラネシアに分類されます。
 メラネシアという用語は「黒い島々」を意味します。ポリネシア、ミクロネシアとともに19世紀半ばにフランスの航海者が使い始めたとされ、住民の肌の色に由来するといわれています。ただし、島々が交流したことにより肌の色にも多様性があることが指摘されています。
 環太平洋造山帯に位置するため、火山島の大きな島が比較的多く、標高の高い山が見られる島もあります。鉱物資源に恵まれ、ニューカレドニアは世界的なニッケルの生産地です。
 気候帯としては熱帯に属しますが、メラネシア西部のニューギニア島の高地は温帯です。ニューギニアの東半分はパプアニューギニアでオセアニアですが、西半分はインドネシアなのでアジアに属します。しかし、ニューギニア島の文化や先住民の暮らしは東と西で分けられるわけではないので、ニューギニア島はメラネシアとすることが多いです。
 1970年代はじめに発足した太平洋諸島フォーラム(PIF、2000年に南太平洋フォーラムから改称)は、太平洋諸国・地域の政治・経済・安全保障など域内共通関心事の討議を行います。太平洋諸島フォーラムの本部は、メラネシアのフィジーの首都スバに置かれています。
伝統的な相互扶助の社会
 メラネシアには、ヤムイモ、タロイモといった根菜を主要作物とする農耕文化が根付いています。
 この根栽農耕文化を背景に相互扶助の社会組織が発展し、ワントークといわれる同一言語集団の成員による相互扶助に基づいた社会規範が存在します。
 また、数百人から成る集団を組織し、ビッグマンといわれる首長が統括していることもメラネシアの特徴とされます。
(本稿は、『読むだけで世界地図が頭に入る本』から抜粋・編集したものです。)
https://diamond.jp/articles/-/316157

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【声優】「津田健次郎」が演じたテレビアニメキャラクターで一番好きなのは? 3人を紹介

2023-01-30 | アイヌ民族関連
ねとらぼ1/29(日) 17:30配信
声優業を中心に、舞台やテレビドラマ、映画でも活躍している声優兼俳優の津田健次郎さん。「スター・ウォーズ」シリーズの「カイロ・レン」の吹き替えでも有名です。
 津田さんは数多くのテレビアニメキャラクターを演じてきていますが、あなたが好きなキャラクターは誰ですか? 本記事では津田さんが演じたテレビアニメキャラクターの中から、編集部がピックアップした3名を紹介します。
●海馬瀬人(遊☆戯☆王デュエルモンスターズ)
 「遊☆戯☆王」シリーズで、主人公・武藤遊戯の永遠のライバルにして、城之内克也の天敵として登場する「海馬瀬人」。作品を代表する人気キャラクターの1人で、傲岸不遜かつ大胆不敵な性格に惹きつけられた人も多かったのではないでしょうか。
 台詞回しが非常に独特で芝居がかっており、「海馬社長の名言」として、ネットではまとめサイトや動画も作られていました。年齢の割に大人びた瀬人の雰囲気に、津田さんの声はぴったりでしたね。
●尾形百之助(ゴールデンカムイ)
 野田サトルさんの漫画を原作としたアニメ「ゴールデンカムイ」。明治末期の北海道および樺太を舞台に、アイヌが隠したといわれる金塊をめぐり、あらゆる強者がサバイバルバトルを繰り広げる骨太なストーリーが魅力です。
 津田さんが演じたのは「孤高の山猫スナイパー」「孤高の凄腕スナイパー」などと呼ばれる、第七師団の上等兵「尾形百之助」。常にポーカーフェイスかつ寡黙で、金塊を狙う目的が今ひとつわからず、腹の底が知れないミステリアスな性格をしています。一方で猫っぽいところがあったり、蝶々を追いかけたりと、稀にかわいいところを見せることもあます。
●七海建人(呪術廻戦)
 人間の負の感情から発生する「呪霊」を、呪術を使って祓い倒す、同名のダークファンタジーバトル漫画を原作としたテレビアニメ「呪術廻戦」。津田さん演じる1級呪術師の「七海建人」は、薄茶色のスーツを身に纏い、ツルのないゴーグルのようなメガネが特徴です。
 常に真顔を崩さず、冷静沈着で物事を俯瞰的に見る能力に長けています。一度呪術師をやめて社会人として働いていたという経歴を持ち、無愛想なところもありますが、内心は責任感や情熱にあふれています。
●津田健次郎さんが演じたテレビアニメキャラクターで一番好きなのは?
 津田健次郎さんが演じたキャラクターから3人を紹介しました。あなたが好きな津田さんのテレビアニメキャラクターは誰ですか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/16a02b49814275b29458100e2c6b39d7eac33cd0

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