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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ古式舞踊、70年前の映像上映 釧路市立博物館でイベント

2023-01-16 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年1月15日 23:16(1月15日 23:44更新)

70年ほど前に撮影されたアイヌ古式舞踊の映像について学芸員が解説した市立博物館のイベント
 釧路市立博物館は14日、1950年代の釧路管内で撮影されたアイヌ古式舞踊について、同館の学芸員が解説する「映像上映と古式舞踊のお話会」を同館で開いた。
・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/787535

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言葉の流れ 今も脈々と 〈アイヌ語を語り継ぐ〉中川裕=思索のノート

2023-01-16 | アイヌ民族関連
有料会員記事 信濃毎日新聞2023/01/15 20:04
 2022年11月3日に公益財団法人アイヌ民族文化財団主催のアイヌ語弁論大会「イタカンロー」が北海道千歳市で催された。「イタカンロー」はアイヌ語で「みんなで話しましょう」を意味する。これは同財団が1997年に財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構として設立された時から毎年開催している大会で、アイヌ語の振興を目的としたものである。
 開始当初はなかなか参加者も集まらず、ほそぼそとした催しだったのだが、そのうちにどんどん参加者が増えた。それにつれて弁論の部と口承文芸の部が分けられ、さらに子供の部が設けられ、アイヌ語の指導者であるなどの理由で参加資格がない人のための口演の部などが増やされていった。
 2022年はその子供の部で北沢たみちゃん(9)が最優秀賞をとった。たみちゃんは鎌倉の生まれだが、おかあさんの瀧口夕美さんは北海道の阿寒町(現釧路市)に生まれ、アイヌコタンと呼ばれる、アイヌが運営するお土産屋街のまっただ中で育った人である。福永壮志監督の「アイヌモシㇼ」という映画を見れば、その町の様子がよくわかる。
 夕美さんは早くに故郷を離れ、東京の大学を卒業後…
(残り1261文字/全文1744文字)この記事は会員限定記事です
 
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023011500117

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円環する阿寒の森(前編) ファッションデザイナー高谷健太と巡る“ときめき、ニッポン。”第10回

2023-01-16 | アイヌ民族関連
WWD1/15(日) 20:00配信
山本寛斎事務所のクリエイティブ・ディレクター高谷健太とともに、日本全国の伝統文化や産地を巡る連載“ときめき、ニッポン。”。10回目は、北海道・阿寒の森について。
10月初旬、出張で北海道東部の阿寒に赴いた。札幌出身の僕は、北海道特有のスカッとした空気を吸うと「帰ってきたー!」という気持ちになる。辺りの木々はすでに色づき、ひと足先に冬の気配が漂っていた。
出張のハイライトは阿寒摩周(あかん・ましゅう)国立公園の散策だ。普段は立ち入りできないのだが、現地ツアーに参加して特別に入園を許可された。霧雨まじりの早朝の森は、樹木が発散する香り“フィットンチッド”が充満し、耳を澄ますとキツツキ科のクマゲラが木を突く音やカケスの鳴き声、風が木々を払う響き、地中から湧き出る水の音などを聞き分けることができる。八百万の神をはじめ、日本は自然界すべての物に魂が宿ると考えるアミニズムの思想を色濃く残しているが、この深い森の中で自然と共に暮らしてきたアイヌ民族には、まさにその真髄といえる教えが根付いているのだろう。
"エゾジカによる環境被害 未来に森を残すための一手"
そんな美しい阿寒の森は、いくつか問題を抱えている。その一つが、エゾジカだ。この森は鳥獣保護区の指定を受けており、狩猟が禁止されているため、10月に周辺の森で狩猟が解禁されると、この区域に逃げ込んで来るのだという。エゾシカは木の皮を剥がして食い荒らすため木々が枯れてしまうほか、地面に生えた草木まで食べ尽くすので、森の保水機能も失われる。そこで、2005年から北海道から特別な許可を得て、年間1200頭までの狩猟が解禁になった。地元の猟師と協力しながら、囲い罠で捕獲したあと、食肉業者に引き渡され、牧場で飼育して需要に合わせて出荷されるという。
この森を管理する新井田利光・前田一歩園財団・理事長は、「今では理解がだいぶ進みましたが、当初は反対の声も多かった」と振り返る。「自然に一切手をつけないのが理想だという意見もありますが、ある程度人の手を加えなければ森を健全に維持できないのも事実。200~300年先にも森を残すためには、頭数制限は必要な手段だと考えています」。また阿寒に限らず、道内各地の森でもエゾシカによる被害が広がっているといい、「人間と森はこれからも付き合っていかなければならないし、より多くの人が自然との向き合い方を考えてもらえたらと願っています」。
"エゾジカ問題に向き合う ブランドビジネス"
捕獲したエゾジカをなんとか有効活用できないか。その課題意識から2019年に始動したのが「阿寒レザー(AKAN LEATHER)」だ。同ブランドを立ち上げた山内明光プロデューサーは、北海道を中心に地域活性化事業などを手掛けてきた人物だ。山内氏は「阿寒でのイベントをきっかけに、エゾシカの問題を知った」と振り返る。「5年前から阿寒に通い始め、森の中でエゾシカの食害を何度も目の当たりにし、夜になればたくさんのエゾシカが道路を歩いている状況を見てきました。そうするうちに、この問題に正面から向き合い、解決を模索していくことは、僕にとって必然だと思いました」。
山内氏の声掛けで、私も昨年から「阿寒レザー」のキービジュアルのクリエイティブディレクションなどに携わっている。今まで産業廃棄物として処分されてきたエゾシカの革を用いたブランドの理念に共鳴し、より多くの人にこの問題を知ってもらいたいと思い参加した。
山内氏が最初に立ち上げたのは、エゾシカの脂を使ったスキンケア、ヘアケアブランド「ユク コスメティクス(YUK COSMETICS)」だった。「中国では、鹿の角は漢方薬にも使われる貴重な原料ということを知り、コスメとしての可能性を感じました。“捕獲した動物のすべてを、余すことなく生活に活かす”というアイヌの知恵もヒントになりました」。その後、「阿寒レザー」へと製品の幅を広げていった。動物由来の商品に抵抗感を持つ人はまだまだ多いが、「エゾシカの問題解決という社会的な意義があるほか、商品の品質も評価されています。両ブランドを通して、価値観を少しずつ変えていきたい」と展望する。
取材を終えて】
日本各地に赴き、地域に根付いた伝統文化とそこに息づく精神性を掘り下げていくと、縄文から今日へと脈々と続く日本のアニミズムや、“円環する命”という考えが多いことに気づく。そのたびに私は「未来を豊かに暮らしていくためにどうすればいいのか」という問いに、すでに先人たちが答えを提示してくれているように感じている。
阿寒にまつわる取材を通して強く思うのは、環境破壊をはじめとする社会問題の多くは、「“知らない”ということが無関心を生む」ということだ。未来を創造する上で大切なのは、幅広いことに関心を持ち、その中でさまざまな声を上げ、社会全体を変化させることだと思う。今がその過渡期だからこそ、私たちは思考を止めることなく、直面する問題に真摯に向き合う必要がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4fb2918a014e973453bf36d337ee44060f3f9da

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たいわんほそ道~屏東恒春~帝国の欲望が生まれ、潰えた半島を歩く(前編)

2023-01-16 | 先住民族関連
ニッポン.コム2023.01.15栖来 ひかり
道とすべきは常の道にあらず。いにしえに生まれた道をさまよいつつ、往来した無数の人生を想う。時間という永遠の旅人がもたらした様々な経験を、ひとつの街道はいかに迎え入れ、その記憶を今、どう遺しているのだろう?近代アジアの歴史を大きく動かした屏東県恒春半島を歩く連載紀行エッセーを前・後編でお届けする。
古城のファッションショー
古色を帯びた城壁のうえを、熱帯に棲む鳥や魚のように色鮮やかな衣をまとったモデルたちがひらひらとゆきかう。足元の壁にはモデルの着ている服にもなっている恒春の海や風土をあらわすビジュアル・パターンが、一面に投影され幻想的だ。
モデルが身につける衣装を手掛けたのは黃偉豪(ダニエル・ウォン)。カナダ華僑として生まれヨーロッパや香港など多様な文化を吸収しながら成長し、アレキサンダー・マックイーン、ヴェルサーチの元パターンデザイナーとしても知られ、近年は台湾を拠点のひとつとして活躍している。
屏東県恒春で年に一度開催される「半島歌謡祭」、今回のショーには地元の若者もモデルとして参加した。友人や家族がおおぜい観に来ているのだろうか、特定のモデルたちが出てくるたび城壁下から歓声があがる。小雨の中、人でいっぱいになった会場を見渡すと、居並ぶ観客たちの顔が様々な民族の坩堝(るつぼ)のようなこの土地の多様性を語りかけてくる。
交じり合った民族・文化を象徴する恒春の民謡
パイワン族やアミ族、ルカイ族、マカタウ平埔族、シラヤ平埔族といった原住民族(先住民の台湾における正式名称)が暮らしてきた台湾最南部の恒春半島は、古い名を瑯嶠(らんきゃう/Ljungkiaw)といい、パイワン語で「蘭の花」を意味する。瑯嶠では17世紀より部分的にオランダ人の統治を受け、ホーローや客家といった漢人が中国大陸より移り住み、1895年以降は日本統治を受けるなど様々な民族や文化が交じり合い風土が形成されてきた。
それを象徴するのが恒春の「民謡」だ。かつて瑯嶠へと移民したひとびとの暮しは厳しく、移民たちは過酷な労働のあいまを縫って月琴を片手に故郷のしらべを懐かしんだ。
早期移民らの大部分は独身男性で、原住民族の女性を娶ることが多かった。恒春半島には大まかに恒春民謡と満洲民謡の柱があり、更に細かく系統が分かれていく。どれもホーロー民謡や客家山歌をもとに、瑯嶠各地の原住民集落の伝統歌謡が反映され特色を生み出しているという。
民謡に復活の兆し
カラオケの隆盛に押され廃れかけていた恒春の民謡だが、復活の兆しを見せている。2000年以降にはじまった民謡コンテストや、映画監督・侯孝賢の作品音楽で知られる音楽家・陳明章の立ち上げた民謡イベントなどを前身とし、屏東県の主催で2018年より新旧融合をテーマとする年に一度の「半島歌謡祭」が開催されるようになった。現在、屏東では子供から高齢者まで老若男女が民謡を楽しみ、「半島歌謡祭」のコンテストで競い合う。
ファッションショー後のライブでは、沖縄県石垣島出身の夏川りみも登場し、「涙そうそう」といった有名曲のほか、『雨夜花』や『四季春』などの台湾の曲を歌い上げた。ステージのあと、夏川さんにインタビューする機会に恵まれた。
琉球の民謡と恒春の民謡の共通点について夏川さんに尋ねると、「恒春の民謡は7つの旋律から成り立っていて、そこに自分の心情を織り込みつつ自由に歌詞をあてると聞いた。琉球の伝統的な民謡にも音数律があり、民謡の大会でも参加者は自分の好きな歌詞をのせて出来を競うのはそっくりだ」と答えた。
古代より東アジアや東南アジアのあちこちに存在した音数律に従って歌を掛け合う風習を「歌垣」という。歌垣はもともと、若い男女が集まりお互いに求愛をする歌の掛け合いでカップルを作る行事だが、歌謡のなかに労働や収穫、葬祭など暮らしの悲喜こもごもを唄い込んだ。日本の「和歌」も元をたどれば歌垣に行き着くというが、恒春や琉球の民謡もまた、ルーツはそこにあるのかもしれない。
ところで夏川さんはこの日、ファッションショーを手掛けたダニエル・ウォンが恒春をイメージしてデザインした鮮やかなピンクのサテン地のドレスを着ていた。ドレスの生地にプリントされた「帆船」と「鎖」をモチーフしたパターンを見ながら、わたしは、琉球出身の夏川さんの歌を恒春県城で聴くことの歴史的な意味合いを感じずにいられなかった。
牡丹社事件の影響で建造された恒春県城
1871年、那覇から宮古島へ戻る途中だった一艘の船が台風に遭った。流れ着いたのは現在の屏東県満洲郷のあたり。陸にあがりパイワン族の人々が暮らす牡丹社(現在の牡丹郷)に迷い込んだ宮古島の船員たち66人は、当地のパイワン族の村人との間に齟齬を生じ、うち54人が殺されてしまう。
その後、この琉球漂流民殺害事件を知った明治政府は、台湾の原住民族を「懲らしめる」ことを理由に台湾出兵を強行し、西郷隆盛の弟で当時の陸軍中将だった西郷従道を派遣。社寮(現在の車城郷重渓口)に上陸した西郷らは3658人の兵を率い、石門で牡丹社および高士仏社の人々と戦争となり双方多数の死傷者をだす。翌月ふたたび牡丹社に攻め込んだ日本軍は、牡丹社の老若男女を殺害し重火器で村を焼き払うなどして生活の場を奪い、村を投降させた。また日本側も、マラリアなどの感染症で500人以上の死者を出した。近代日本にとって初めての海外派兵だった。

西郷従道率いる日本軍が、牡丹社および高士仏社の人々と戦いを繰り広げた石門古戦場。
この勝利を受けて日本は清国に対して強硬な外交交渉に臨み、結果的にこの派兵の軍費を賠償として清国が支払い、琉球が日本に帰属するとして沖縄県を設置した「琉球処分」への足掛かりとなった。
牡丹社事件処理のために多大な損害を被った清国は、改めて台湾を統治することの重要性を考えるようになった。そうして欽差大臣に任命された沈葆禎によって建てられたのが、この恒春県城だ。
それを考えれば、夏川さんのドレスの「帆船」に宮古島漂流民たちの悲しい運命を、そしてそこに連なる「鎖」のモチーフに台湾や琉球の流転する歴史を連想せずにはおれない(とはいえ、デザイナーもそこまで考えてはいなかったろう)。
日本から半島歌謡祭に招かれた石垣島出身の夏川さんが、恒春県城で歌っている。この地に堆積した複雑な歴史のうえに夏川さんの琉球語の歌と中央山脈から吹き降りてくる強い風「落山風」が交じり合い、響きわたる。
アジアの運命の大転換点 ローバー号事件
牡丹社事件より前に、じつは台湾と日本、ひいてはアジアの運命の大転換点となった事件がこの恒春半島の地で起こっていた。アメリカの商船が遭難し、現地のパイワン族クアール社の人々に殺された「ローバー号事件」(1867年)である。
クアール社ではローバー号事件より50年ほど前、台湾南部を統治していたオランダ人によってジェノサイドに近い攻撃を受けた経験があった。そのため遭難したアメリカ人にかつて自分らを襲ったオランダ人の姿を重ね、復讐のため起こした事件もであった。その後、事件の処理にあたったアメリカ領事のチャールズ・ルジャンドルは、クアール社も含む当地の原住民族による連合「下瑯嶠十八社連盟」のリーダーであるトキトク(Tou-ke-tok)大頭目と話し合い、今後は外国船が遭難しても船員を殺さず保護するといった内容の取り決めがなされた。台湾が初めて外国と交わした国際条約とも言われている。(※1)
その後、ルジャンドルは明治政府の外交顧問として迎えられる。清国の支配が及んでいない原住民族はじめ各族群の事情を熟知していたルジャンドルは、7度の訪台で得た調査資料や地図をすべて明治政府に提供し、以下のように台湾への出兵を強く勧める。
「各国之内ニ 権威ヲ東方ニ逞フセント欲スルアラバ、必ズヤ北ニ於テハ朝鮮、南ニ在リテハ 彭湖及台湾ノ両島ニ居留ヲ占ムルニ勝ル処アルベカラズ」「若支那政府ニ テ牡丹人ノ日本従民ヲ害セシ一件ニ付十分満足ノ所置ヲ為サズンバ日本ヨリ速ヤカニ台湾彭湖ノ両島ヲ拠有スベシ」(「台湾蕃地処分要略」大日本外交文書より)
日本の野心とルジャンドル
要するに、日本が東アジアで力を振るいたいならば、まずは北の朝鮮と南の台湾を所有するのが先決で、ちょうど台湾で先住民が琉球民を殺した事件が起こったが、清国にその処理は出来ないので速やかに日本から出兵して台湾と彭湖島を領有するように、とアドバイスしているのである。
つまりこの後に第二次戦争の終結と共に潰える大日本帝国によるアジア侵略の野望は、じつにルジャンドルがローバー号事件に関わったことで芽生えたとの解釈も成り立つ。ルジャンドルはその後、日本女性と結婚し子供をもうけた。そのひとりが戦前を代表する歌舞伎役者の十五代市村羽左衛門であり、また声楽家の関谷敏子は孫にあたる。日本文化にも大きな影響を与えたルジャンドルだが、日本でもその存在はほとんど忘れ去られている。
台湾の命運を大きく左右したこのローバー号事件だが、これまで台湾でもほとんど注意を払われてこなかった。それを世に知らしめたのが、医師で小説家の陳耀昌による長編歴史小説『傀儡花』(日本語タイトル『フォルモサに咲く花』下村作次郎・訳 / 東方書店)である。2021年には台湾公視テレビが『斯卡羅 SEQALU』のタイトルでドラマ化し、この歴史事件の重要性が広く台湾の人々に知られるようになった。
陳耀昌は小説のあとがきで、この恒春半島南端の砂浜で起こったアメリカ人の遭難事故が、歴史を大きく動かした「バタフライ・エフェクト」の起点であったと書いた。後編では蝶が最初に羽ばたいたその現場、現代の墾丁國家公園を歩く。
※ 半島歌謡祭と楊明珠からの提供写真以外は筆者撮影
バナー写真:屏東県城の城壁を利用した半島歌謡祭ファッションショー。(写真提供 : 半島歌謡祭)
(※1) ^ 陳耀昌・著『傀儡花』(日本語タイトル『フォルモサに咲く花』下村作次郎・訳/東方書店)より
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02243/

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「現実的な指導力発揮できる」

2023-01-16 | 先住民族関連
日刊マニラ新聞2023.1.16
元国軍参謀総長で前内務自治相を務めたエドゥアルド・アニョ氏が大統領顧問(安全保障担当)に就任した
元国軍参謀総長で前内務自治相を務めたエドゥアルド・アニョ氏が14日、大統領顧問(安全保障担当)に就任した。大統領広報室によると、アニョ氏の任命は「下院議会政策予算調査局に加わり、学問的研究を継続したい」として辞任したクラリタ・カルロス氏の後任人事。
 今年に入ってバカロ国軍参謀総長が「(自分の知らないうちに)更迭された」としてファウスティノ国防相代行も辞表を提出するなど、マルコス政権内では閣僚級の交代や辞任が相次いでいる。
 また、殺人容疑などで解任された前矯正局局長に代わり、カタパン元国軍参謀総長が同局長に収まるなど、ドゥテルテ政権下からの元国軍トップの重用が現政権でも引き継がれている。
 ガルベス国防相は15日、アニョ氏の就任について「わが国のさまざまな安全保障上の懸念に対応するため、決断力に富み、情報に基づいた、現実的で的確な指導力を発揮できる人物」とし「緊密な協力を期待している」と述べた。
 特に「共産系ゲリラとテロリズムがもたらす武力紛争に対する全国的なアプローチの確固たる提唱者」でもある点を強調した。
▽アニョ氏人事に反発も
 一方、人権団体カラパタンは15日、アニョ氏の大統領顧問就任を受けて「歴代政権下でアニョ氏が関わった残忍な人権侵害の記録から、多くのフィリピン人には死刑宣告に等しい」と声明で批判した。
 同声明によると、アニョ氏はドゥテルテ政権下で内務自治相として、超法規的殺害や違法薬物取締キャンペーンが継続される環境を作り上げてきた。それ以前にも、アロヨ政権の陸軍情報局長だった2007年には、農民活動家だったジョナス・ブルゴスさんのら致・失踪事件の首謀者として、また15年6月にダバオ市パキバトで先住民3人が殺害、12歳の子どもが負傷した事件でも関与した第69歩兵大隊を率いた責任が問われている。
 カラパタンはその上で「われわれは指導的立場にあるアニョ氏に、治安部隊に殺され、誘拐され、行方不明となった何千人もの犠牲者への正義を求める」と訴えた。
 また、カラパタンは10日、国家警察犯罪捜査隊(CIDG)のロメオ・カラマト隊長およびカーリト・ガルベス国防相の任命を危惧する声明を発していた。
 カラパタンは声明で、カラマト隊長がドゥテルテ政権下にブラカン州警察本部長を務めていた際、同州で一度の違法薬物取締捜査で容疑者32人が「虐殺」された事件を挙げた。また、ガルベス国防相は、和平プロセス担当大統領顧問室(OPAPP)の顧問として、和平推進の印象が強いものの、国軍西ミンダナオ本部の司令官時代に、ミンダナオ島で度重なる爆撃作戦を実施。南ラナオ州のマラウィ市占拠事件でも、マウテグループなどテロリストに対する17年の掃討作戦で、住宅地に意図的に火を放つなど、焦土作戦を敢行したとしている。 (岡田薫)
https://www.manila-shimbun.com/category/politics/news268761.html

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