朝日新聞 2020年5月6日 9時00分
太平洋を見渡せる場所に立つアイヌ民族・吉良平治郎の「殉職記念碑」=北海道釧路町
大正期、郵便物を運ぶ仕事を始めたアイヌ民族の男性が、現在の北海道釧路町の山道で、吹雪のなか仕事に出かけて巻き込まれ遭難死した。釧路町は「責任と命の大切さを伝えたい」とアニメを制作する。男性の無謀とも思える行動の背景に何があったのか。
アイヌ民族の吉良(きら)平治郎は1886(明治19)年に生まれた。父親を幼いころ亡くし、左の手足が不自由だった。現在の釧路市春採の集落で暮らしていた。
身重の妻と前夫の幼い子を養っていた平治郎は1922(大正11)年1月、逓送人という職を得た。現在の釧路市と釧路町にある両郵便局約16キロを夜間に往復し、昼間に集荷された郵便物を運ぶ。悲劇は3日後に起きた。35歳だった。
平治郎は吹雪の夜、重さ約17キロの郵便物を担ぎ釧路郵便局を歩いて出発した。吹雪は激しくなり、平治郎は宿徳内(現在の釧路町)の山道で郵便物を下ろすとマントで包んで帯で縛り、竹杖の先に目印の手ぬぐいを結んで雪に立てた。郵便物を残し、集落を目指して雪の中を進んだ――。
後日、捜索隊が郵便物と平治郎の遺体を見つけた。悲劇は全国に報道され、遭難場所付近に記念碑も建てられた。戦前の高等小学校の修身の教科書には「責任」の題で紹介された。大正天皇の「責任ヲ重ジ」の言葉を引用し、「自分の担当した職務については、深く責任を感じ私を忘れて、公に奉ずる精神をもって之に当たらなければならない」と書かれている。
釧路アイヌ文化懇話会会長だった松本成美さん(故人)らは2005年に事実を検証しようと研究会を設けた。
1899(明治32)年制定の北海道旧土人保護法に基づき、アイヌ民族は同化政策で土地を奪われるなど差別や貧困にあえいだ。逓送人という公的な職を得た平治郎は、責任感が強く、吹雪で周りが止めたにもかかわらず、防寒具も満足にないまま家を出た。研究会は「平治郎は米を買う金がないほど生活が困窮しており、猛吹雪に挑まざるを得なかった」と結論づけた。
高等小学校の教科書の記述について松本氏は06年の講演で、「平治郎がアイヌであることに全く触れられていない」と指摘。アイヌ民族は自分の命を最大に尊ぶのに、「戦争の遂行のために、国のために命を捧げるという『滅私奉公』に平治郎は最大限に利用された」と批判している。
釧路演劇集団などはとらえ直した史実を題材に06年7月に演劇公演をした。釧路町も小学3、4年の郷土読本で「責任と命の大切さを伝えるアイヌ・吉良平治郎」と紹介している。
町は内閣府のアイヌ政策推進交付金を活用し、6月以降にアニメ会社に制作を依頼し、2年かけて作品を完成させる。町内の小中学校の教材や社会教育事業で活用し、SNSにも動画投稿したいという。「青少年の心に響かせたい」と町教委の江端邦仁管理課長は言う。
演劇の台本を手掛けた釧路演劇集団の尾田浩さんは「平治郎はアイヌ民族の仲間と助け合い、力強く正直に生きた。その生き様を知ってほしい」と話している。(高田誠)
https://digital.asahi.com/articles/ASN4X5CJ9N4FIIPE00J.html?pn=4

大正期、郵便物を運ぶ仕事を始めたアイヌ民族の男性が、現在の北海道釧路町の山道で、吹雪のなか仕事に出かけて巻き込まれ遭難死した。釧路町は「責任と命の大切さを伝えたい」とアニメを制作する。男性の無謀とも思える行動の背景に何があったのか。
アイヌ民族の吉良(きら)平治郎は1886(明治19)年に生まれた。父親を幼いころ亡くし、左の手足が不自由だった。現在の釧路市春採の集落で暮らしていた。
身重の妻と前夫の幼い子を養っていた平治郎は1922(大正11)年1月、逓送人という職を得た。現在の釧路市と釧路町にある両郵便局約16キロを夜間に往復し、昼間に集荷された郵便物を運ぶ。悲劇は3日後に起きた。35歳だった。
平治郎は吹雪の夜、重さ約17キロの郵便物を担ぎ釧路郵便局を歩いて出発した。吹雪は激しくなり、平治郎は宿徳内(現在の釧路町)の山道で郵便物を下ろすとマントで包んで帯で縛り、竹杖の先に目印の手ぬぐいを結んで雪に立てた。郵便物を残し、集落を目指して雪の中を進んだ――。
後日、捜索隊が郵便物と平治郎の遺体を見つけた。悲劇は全国に報道され、遭難場所付近に記念碑も建てられた。戦前の高等小学校の修身の教科書には「責任」の題で紹介された。大正天皇の「責任ヲ重ジ」の言葉を引用し、「自分の担当した職務については、深く責任を感じ私を忘れて、公に奉ずる精神をもって之に当たらなければならない」と書かれている。
釧路アイヌ文化懇話会会長だった松本成美さん(故人)らは2005年に事実を検証しようと研究会を設けた。
1899(明治32)年制定の北海道旧土人保護法に基づき、アイヌ民族は同化政策で土地を奪われるなど差別や貧困にあえいだ。逓送人という公的な職を得た平治郎は、責任感が強く、吹雪で周りが止めたにもかかわらず、防寒具も満足にないまま家を出た。研究会は「平治郎は米を買う金がないほど生活が困窮しており、猛吹雪に挑まざるを得なかった」と結論づけた。
高等小学校の教科書の記述について松本氏は06年の講演で、「平治郎がアイヌであることに全く触れられていない」と指摘。アイヌ民族は自分の命を最大に尊ぶのに、「戦争の遂行のために、国のために命を捧げるという『滅私奉公』に平治郎は最大限に利用された」と批判している。
釧路演劇集団などはとらえ直した史実を題材に06年7月に演劇公演をした。釧路町も小学3、4年の郷土読本で「責任と命の大切さを伝えるアイヌ・吉良平治郎」と紹介している。
町は内閣府のアイヌ政策推進交付金を活用し、6月以降にアニメ会社に制作を依頼し、2年かけて作品を完成させる。町内の小中学校の教材や社会教育事業で活用し、SNSにも動画投稿したいという。「青少年の心に響かせたい」と町教委の江端邦仁管理課長は言う。
演劇の台本を手掛けた釧路演劇集団の尾田浩さんは「平治郎はアイヌ民族の仲間と助け合い、力強く正直に生きた。その生き様を知ってほしい」と話している。(高田誠)
https://digital.asahi.com/articles/ASN4X5CJ9N4FIIPE00J.html?pn=4