先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道土産にアイヌテディベア 新千歳空港限定商品

2013-07-27 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2013年 7/24)
 新千歳空港ターミナルビル連絡施設3階のシュタイフネイチャーワールドは、オープンから2周年を記念して「アイヌテディベア」を発売した。限定100体の新千歳限定商品。アイヌ文様の衣装で、北海道らしさをPRしている。
 多くの人にシュタイフを知ってもらおうと、既存の縫いぐるみ「テディベア・モーリー」に、特注のアイヌ文様をあしらった衣装を着せた。高さ24センチで、7875円。
 電話でも受け付ける。シュタイフネイチャーワールドは「比較的お求めやすい価格に設定しました。ぜひお手に取ってみて」としている。問い合わせは 電話0123(45)8510。
http://www.tomamin.co.jp/2013073050

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ピヤラ アイヌ民族の今 アイヌ文化と縄文文化考えるシンポ

2013-07-27 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 2013/07/09)
「アイヌ文化は私たちの祖先の縄文文化を保存してきた」と語る梅原猛氏
シンポジウムで意見を交わす(左から)永田、阿部、本田、藤村の各氏
「共生と循環の思想」に光
 【弟子屈】アイヌ文化と縄文文化について考える文化講演会とシンポジウム(いずれも実行委主催)が6月22日、町内のホテルで開かれた。哲学者の梅原猛氏が両文化の「共生と循環の思想」について語り、4人の専門家が意見を交わした。主な発言を紹介する。(長谷川裕紀)

哲学者・梅原猛氏講演 示唆に富む二つの文化
 西洋の近代はフランスの哲学者デカルトが基礎づけた。「我思う、ゆえに我あり」といい、自分が中心、人間中心主義だ。自然を命のない無機的な存在と捉え、法則を研究すれば征服できると考える。この考えで近代文明ができ、豊かで便利な生活を与えてくれた。その半面で環境破壊が起きた。
 日本は西洋文明を取り入れたが、国の成り立ちは違う。縄文時代は漁労・採集の生活をしていて、自然の中で生きていかなければいけなかった。縄文文化は日本の基層文化だ。日本は周囲を海に恵まれ、東日本ではサケマスが遡上(そじょう)し、世界で最も豊かだった。縄文土器は芸術的で、芸術家の岡本太郎も「すばらしい」と言っていた。
 縄文文化を最も現代に伝えているのはアイヌ文化だということが分かってきた。縄文人が土着でいて、和人が稲作を持ってやってきて混血した。和人とアイヌ民族には神様の名前など言語に類似点が多い。日本語の研究者が必ずアイヌ語を調べる時代が来ている。和人はアイヌ民族と関係がないというのは傲慢(ごうまん)な考えだ。
 縄文人同様、アイヌ民族は貝塚を使っていた。貝塚には貝殻だけではなく、獣や人の骨や土器のかけらもあった。貝塚は単なるごみ捨て場ではなく、命ある物を供養する祈りの場所だ。
 また、縄文時代の土偶の多くは妊娠した女性で、腹に傷がある。あるアイヌ民族のおばあさんに話を聞くと、妊娠した女性が亡くなると、遺体を墓に埋め、2、3日後に掘り出して、腹から胎児を取り出すという。女性の遺体に抱かせてあらためて葬るのだ。それは胎児に祖先の霊が帰ってきており、母親の腹から出してあの世に行けるようにするのだそうだ。これを聞いて土偶の謎が解けた。
 アイヌ民族の思想は教えられることが多く、今の人々にも残っている。道内で苦労をして開発し、農業をできる豊かな土地にしたことは和人の功績だが、アイヌ民族の自然と共生する思想も必要になっている。
藤村久和氏=北海学園大名誉教授、民俗学者 暮らし守る多様な神
 アイヌ民族にとって神様は立ち向かえないすべてのこと。クマ、空を飛ぶ鳥、深いところまで泳ぐ魚などは人にない力や技を持っている。さらに机やコップなどの物も神様だと考える。だから物を簡単に捨てようとはならない。物に対しても「カムイ(神)」という言葉を使い、霊送りや鎮魂をすることで、物も感謝をして私たちの行く末を見守ってくれる。亡くなった人も神様になる。
 私たちが多様な神様に守られているおかげで、無事に暮らせると考えるのが、アイヌ民族の基本的な思想だ。
 アイヌ民族にとって、自然は人を育む暮らしの舞台だ。自然という言葉はないが、自分たちが暮らす場所として、イオル(生活するための領域)という言葉がある。
 祈りの中で神は神だけでは生きることができないともいう。人がまつって初めて神様は地位を得る。
 石碑に名を残したり銅像を残したりすることが名前が残るということではない。亡くなった後でも人々の話に出てくるというのが重要だ。人は感謝し祈りの言葉をささげることで、明日の平安を神々が見守ってくれている。人と神、物が三すくみになってお互いに手を尽くすことで平穏が訪れると考える。
本田優子氏=札幌大副学長、アイヌ文化研究家 神に礼節尽くす義務
 私は金沢市の生まれだが、大学卒業後の1983年から11年間、日高管内平取町二風谷の故萱野茂さんのところでアイヌ語教室とアイヌ語辞典の編さんの手伝いをした。なぜアイヌ文化に心をひかれるのかと考えると、私の深い部分に縄文の精神があり、アイヌ文化と共振しているのだと気づいた。
 二風谷に住み、アイヌ民族のおじいさんやおばあさんと過ごすうちに和人との違いを感じた。沙流川に遊びに行ったとき、息子が川に向かっておしっこをしようとすると、萱野さんに怒られた。川には水の神様がいるので不浄なものを流していけないということだった。私はさらに「土には土の神様がいるのではないか」と尋ねると、萱野さんは「土は汚い物はきれいに変え、水の神様に持って行く」と言っていた。確かに土で有機的に分解されるのだと思う。
 アイヌ民族にとって人とカムイはセット。ただ人が礼節を尽くすことが大前提にあり、きちっと祈り供物をささげなければいけないと考える。幕末の探検家松浦武四郎の書物を読むと、当時のアイヌ民族は和人のふるまいを許せなかったのではないかと感じる。先住民族の知恵をただ利用しようというだけではいけない。
永田等氏=弟子屈町の郷土史研究家 遺跡に世界観が反映
 弟子屈町の屈斜路コタンの遺跡を2年がかりで調査をした。約30基の墓が出たが、埋葬された遺体の頭の位置がすべて屈斜路湖の中島を向いている。その先には藻琴山もある。アイヌ民族は山や湖もみんな神様にしていることを物語っている気がする。
 松浦武四郎が1858年に弟子屈町を訪れて「久摺(くすり)日誌」という書物を残したので、昔どのような場所だったのかが分かる。
 町内には50カ所の遺跡があり、縄文時代中期ぐらいになると遺跡が多くなる。生活が安定して、人口が増え始めたと推測される。遺跡の一つ一つは土に埋まっているから肉眼では分かりづらいが、屈斜路コタン周辺の遺跡の配置を見ると、釧路川の流れの変遷も分かる。墓が出てくるので長い時間住んでいたことも分かる。2千年前、本州ではちょうど弥生時代だが、道内はコメができなかったので続縄文時代になった。
 松浦武四郎が町内を訪れて155年たった。縄文、アイヌ文化は1万年も続いてきている。最近の歴史のスピード感だと時代がすぐ終わってしまうような感覚だが、当時の人たちにとっては今の生活を続けていくと言うことが大切で、もっと肩の力が抜けていたのではないかと思う。
阿部千春氏=函館市縄文文化交流センター館長 「持続可能性」に注目
 自然観とはどのような手段で食料を得るかということに帰結する。地球の歴史は10万年を一つのサイクルにして、8万年の氷河期と2万年の温暖期を繰り返している。氷河期は寒い上に気候変動が激しいので植物に頼った定住はできず、マンモスなど動物を追いかけて移動して生活していた。
 1万4、5千年前に温暖化が始まり、植物が多く生えてきた。植物を食料として活用する方法は農耕と漁労・採集の2種類がある。農耕は自然を支配し食料を増産しようと考える。日本は温暖湿潤で四季がはっきりしているので多様な植物があり、縄文時代は1万年以上、漁労・採集や狩猟を続けてきた。この1万年間の差は大きい。
 4月に米国のハワイで考古学会があったが、海外の人も縄文文化に注目していた。エジプトやメソポタミアの都市文明は3千年くらいで大規模な戦争になり滅亡している。農耕、牧畜をやるために広大な土地が必要になるから争いも起きる。縄文時代が1万年続いたことは昔は遅れていると言っていたが、今は逆にサスティナブル(持続可能)ですごいと思うようになった。
 自然の中に人が生かされているという哲学を縄文、アイヌ文化から学ぶべきだ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/203357.html

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内閣官房アイヌ総合政策室が千歳末広小児童の踊りをネット放映

2013-07-27 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2013年 7/18)
 千歳末広小学校(山口輝校長)で16日、児童約330人が踊るアイヌの伝統舞踊「ホリッパ(輪踊り)」の撮影が行われた。撮影された映像は、アイヌ文化のPRを目的に内閣官房アイヌ総合政策室が展開する「イランカラプテ(アイヌ語で「こんにちは」の意味)キャンペーン」の一環として、8月中旬から同政策室のホームページで公開される。
 同校はアイヌ文化学習に力を入れており、アイヌの外部講師を招いて児童にホリッパを教えている。今年の運動会では全校生徒と保護者、地域住民が参加して1000人以上がホリッパの踊りの輪をつくった。
 こうした取り組みや、校内に再現されたアイヌの伝統家屋「チセ」を使った学習は先進的な教育として全国的に知られており、同キャンペーンのPR映像の主要な部分で児童たちの姿が全国に発信されることになった。
 撮影は?分ほど行われ、児童たちはグラウンドにたくさんの輪をつくり、アイヌ語の歌に合わせて手拍子や合いの手を入れながら踊った。千歳アイヌ文化伝承保存会と苫小牧アイヌ協会の会員18人が協力し、伝統の衣装を身に着けて輪の中心で手本の踊りを披露した。
http://www.tomamin.co.jp/2013072830

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