毎日新聞 2012年2月23日 東京夕刊
<ゴードン門田さんは関西学院高等部(兵庫県)を卒業後、1952年にカナダに戻った>
「日本で大学を出よう」と思わないでもなかったのですが、その時点で5人の兄のうち3人がいたカナダに帰りました。父を継いで製材の仕事がしたかったので、製材所で働きつつ、ブリティッシュコロンビア大学で学びました。夏休み中は働き、秋に大学に戻る生活です。
バンクーバーから約100キロ北のウィスラー近郊にある製材所で先住民族と一緒に働いたことがあります。1日10時間、週6日、製材所で住み込みで働き、土曜日の終業後、15マイル(約24キロ)離れた彼らの保留地「マウントクーリー」に向かいます。「まだか」「もうすぐだ」と問答しながら歩き、午後10時半ごろ、製材所から12マイル先のペンバートンという町に着きました。
彼らの目的地は当時町に1軒しかないビアホールでした。ビアホールは閉店が午後11時で、先住民族には一度に2杯しか注文できない厳しい規則が課せられていました。彼らは店を追い出される11時半までの1時間、一気飲みを続けました。
その後、フラフラになりながら3マイル歩き、保留地にたどり着きました。あばら家に案内され、臭く、度数の強い自家製酒をふるまわれました。酔っぱらった彼らは「やつら(白人)は何も分かってない」と繰り返していました。抑圧された生活を送る彼らの唯一のうさ晴らしが酒でした。
<日系人をカナダ沿岸部から160キロ以東に強制移動させた戦時令は49年に解除された。その後、一部の日系人はバンクーバーなどの沿岸に戻ったが、多くはカナダ各地に分散されたままだった>
差別は根強く残っていました。日系人仲間でクリスマスパーティーを開こうと会場に電話で申し込みました。「大歓迎」と言われたのですが、数日後に打ち合わせに行くと、会場の持ち主は日系人と見て顔色を変え、「絶対にジャップ(日本人の蔑称)には貸さない」と言いました。58年か60年ごろの話です。
製材から貿易に仕事の興味が移り、やがて61年に旅行業を始め、日本からの観光客誘致に力を入れました。日本でドルの持ち出し額が制限されていた64年、バンクーバー市を説得して観光誘致使節団を結成し、日本各地で「カナダに来てください」と訴えました。翌年はカナダ連邦政府の観光誘致団も日本に連れて行きました。次第に日本からの観光客が増えるようになりました。【バンクーバーで山科武司】=つづく
http://mainichi.jp/select/world/news/20120223dde007040020000c.html
<ゴードン門田さんは関西学院高等部(兵庫県)を卒業後、1952年にカナダに戻った>
「日本で大学を出よう」と思わないでもなかったのですが、その時点で5人の兄のうち3人がいたカナダに帰りました。父を継いで製材の仕事がしたかったので、製材所で働きつつ、ブリティッシュコロンビア大学で学びました。夏休み中は働き、秋に大学に戻る生活です。
バンクーバーから約100キロ北のウィスラー近郊にある製材所で先住民族と一緒に働いたことがあります。1日10時間、週6日、製材所で住み込みで働き、土曜日の終業後、15マイル(約24キロ)離れた彼らの保留地「マウントクーリー」に向かいます。「まだか」「もうすぐだ」と問答しながら歩き、午後10時半ごろ、製材所から12マイル先のペンバートンという町に着きました。
彼らの目的地は当時町に1軒しかないビアホールでした。ビアホールは閉店が午後11時で、先住民族には一度に2杯しか注文できない厳しい規則が課せられていました。彼らは店を追い出される11時半までの1時間、一気飲みを続けました。
その後、フラフラになりながら3マイル歩き、保留地にたどり着きました。あばら家に案内され、臭く、度数の強い自家製酒をふるまわれました。酔っぱらった彼らは「やつら(白人)は何も分かってない」と繰り返していました。抑圧された生活を送る彼らの唯一のうさ晴らしが酒でした。
<日系人をカナダ沿岸部から160キロ以東に強制移動させた戦時令は49年に解除された。その後、一部の日系人はバンクーバーなどの沿岸に戻ったが、多くはカナダ各地に分散されたままだった>
差別は根強く残っていました。日系人仲間でクリスマスパーティーを開こうと会場に電話で申し込みました。「大歓迎」と言われたのですが、数日後に打ち合わせに行くと、会場の持ち主は日系人と見て顔色を変え、「絶対にジャップ(日本人の蔑称)には貸さない」と言いました。58年か60年ごろの話です。
製材から貿易に仕事の興味が移り、やがて61年に旅行業を始め、日本からの観光客誘致に力を入れました。日本でドルの持ち出し額が制限されていた64年、バンクーバー市を説得して観光誘致使節団を結成し、日本各地で「カナダに来てください」と訴えました。翌年はカナダ連邦政府の観光誘致団も日本に連れて行きました。次第に日本からの観光客が増えるようになりました。【バンクーバーで山科武司】=つづく
http://mainichi.jp/select/world/news/20120223dde007040020000c.html