エゼキエル書 35:1-4
主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたの顔をセイル山に向け、これに対して預言し、 これに言え。主なる神はこう言われる、セイル山よ、見よ、わたしはあなたを敵とし、わたしの手をあなたに向かって伸べ、あなたを全く荒し、 あなたの町々を滅ぼす。あなたは荒れはてる。そしてわたしが主であることを悟る。」
セイル山とは死海の南側にある山地で、イスラエル12部族の父祖ヤコブの兄エサウの子孫にあたるエドム人の領地でした。なぜ神様はイスラエルと血縁関係にあるエドム人を敵とし、その領地を荒らし、滅ぼすと預言されたのでしょうか?それは今まで学んできたように、彼らは近しい親族であるはずのイスラエルの繁栄を妬み、執拗に憎み続けたからでした。憎しみや妬みの心を抱く者は、祝福を奪われ、滅びを招きます。人を憎み続けるならば、むしろ自分の首を絞めることになります。もし憎しみや妬みなど人に対するマイナスの感情があるならば、直ちに主にきよめていただいて、滅びを免れさせていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/ezk.35.1-4.ja1955
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エゼキエル書 35:5-9
「あなたは限りない敵意をいだいて、イスラエルの人々をその災の時、終りの刑罰の時に、つるぎの手に渡した。 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしはあなたを血にわたす。血はあなたを追いかける。あなたには血のとががあるゆえ、血はあなたを追いかける わたしはセイル山を全く荒し、そこに行き来する者を断ち、 その山々を殺された者で満たす。つるぎで殺された者が、あなたのもろもろの丘、もろもろの谷、もろもろのくぼ地に倒れる。 わたしはあなたを、永遠の荒れ地とし、あなたの町々には住む者がなくなる。そしてあなたがたは、わたしが主であることを悟る。」
エドム人が滅ぼされた理由は、バビロンによるエルサレム陥落の際にその滅亡を喜び、更に難を逃れた人々を虐殺したからでした。それら故なく殺されたイスラエル人の血の責任を取らせると、神様は厳しい裁きの預言をエゼキエルに語られたのです。今のセイル山地方は、当時の街々は廃墟と化し、住む人のない荒れ地となっています。神様の預言はその通りに成就したのです。まだ見ぬ遠い先に起こるべきことさえも予告される、権威あるお方です。この神様から裁きの預言を授かるか、永遠の祝福の預言をいただくか、選択肢は私たち人間の側にあります。
http://bible.com/81/ezk.35.5-9.ja1955
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エゼキエル書 35:10-12
「あなたは言う、『これら二つの国民、二つの国はわたしのもの、われわれはこれを獲よう』と。しかし主はそこにおられる。 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたが彼らを憎んで、彼らに示した怒りと、ねたみにしたがって、わたしはあなたを扱う。わたしがあなたをさばく時、わたし自身をあなたに示す。 あなたがイスラエルの山々に向かって、『これは荒れはてて、われわれの食となる』と言ったもろもろのそしりを、主なるわたしが聞いたことをあなたは悟る。」
ここでいう二つの国民、二つの国とは、北イスラエル王国と南ユダ王国の2つを意味しています。エドム人はエルサレム滅亡の後、イスラエルとユダの領地が自分のものであると主張し、実際に略奪を働きました。これらの行為に対して主は、エドム人の主張した通りのことを彼らの頭に帰すると答え、彼らがイスラエルに対して行った情け容赦ない行為に主が自ら報いられると告げられたのです。自分の口から発した言葉は、必ず自分に返ってきます。人を呪うならば自分が呪われ、人を憎むならば自分が憎まれ、人から略奪するならば自分が略奪されます。裏を返せば、人を愛するならば自分が愛され、人を祝福するならば自分が祝福され、人に惜しみなく与えるならば自分もまた惜しみなく与えられます。悪の連鎖に身を置くか、善の連鎖に身を置くか、選択するのは自分です。
http://bible.com/81/ezk.35.10-12.ja1955
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エゼキエル書 35:13-15
「あなたがたは、わたしに対して口をもって誇り、またわたしに対して、あなたがたの言葉を多くした。わたしはそれを聞いた。 主なる神はこう言われる、全地の喜びのために、わたしはあなたを荒れ地とする。 あなたが、イスラエルの家の嗣業の荒れるのを喜んだように、わたしはあなたに、そのようにする。セイル山よ、あなたは荒れ地となる。エドムもすべてそのようになる。そのとき彼らは、わたしが主であることを悟るようになる。」
エドムの罪はイスラエルに対する憎しみだけにとどまらず、イスラエルの神、主に対してまで汚し言を語り、自ら誇り高ぶって罪を重ねました。それ故主はエドムの罪を裁き、イスラエルの荒廃を喜んだエドムが廃墟と化すことを世界中が喜ぶと告げられ、そのことによってまことの神、主の存在を世界中が認めることになると預言されました。人に対する罪は真摯に謝罪するならば許されますが、神を汚す罪は決して赦されることはありません。神の裁きを免れるためには自ら悔い改めて主に立ち帰る他にありません。
http://bible.com/81/ezk.35.13-15.ja1955
主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたの顔をセイル山に向け、これに対して預言し、 これに言え。主なる神はこう言われる、セイル山よ、見よ、わたしはあなたを敵とし、わたしの手をあなたに向かって伸べ、あなたを全く荒し、 あなたの町々を滅ぼす。あなたは荒れはてる。そしてわたしが主であることを悟る。」
セイル山とは死海の南側にある山地で、イスラエル12部族の父祖ヤコブの兄エサウの子孫にあたるエドム人の領地でした。なぜ神様はイスラエルと血縁関係にあるエドム人を敵とし、その領地を荒らし、滅ぼすと預言されたのでしょうか?それは今まで学んできたように、彼らは近しい親族であるはずのイスラエルの繁栄を妬み、執拗に憎み続けたからでした。憎しみや妬みの心を抱く者は、祝福を奪われ、滅びを招きます。人を憎み続けるならば、むしろ自分の首を絞めることになります。もし憎しみや妬みなど人に対するマイナスの感情があるならば、直ちに主にきよめていただいて、滅びを免れさせていただく私たちでありますように。
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エゼキエル書 35:5-9
「あなたは限りない敵意をいだいて、イスラエルの人々をその災の時、終りの刑罰の時に、つるぎの手に渡した。 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしはあなたを血にわたす。血はあなたを追いかける。あなたには血のとががあるゆえ、血はあなたを追いかける わたしはセイル山を全く荒し、そこに行き来する者を断ち、 その山々を殺された者で満たす。つるぎで殺された者が、あなたのもろもろの丘、もろもろの谷、もろもろのくぼ地に倒れる。 わたしはあなたを、永遠の荒れ地とし、あなたの町々には住む者がなくなる。そしてあなたがたは、わたしが主であることを悟る。」
エドム人が滅ぼされた理由は、バビロンによるエルサレム陥落の際にその滅亡を喜び、更に難を逃れた人々を虐殺したからでした。それら故なく殺されたイスラエル人の血の責任を取らせると、神様は厳しい裁きの預言をエゼキエルに語られたのです。今のセイル山地方は、当時の街々は廃墟と化し、住む人のない荒れ地となっています。神様の預言はその通りに成就したのです。まだ見ぬ遠い先に起こるべきことさえも予告される、権威あるお方です。この神様から裁きの預言を授かるか、永遠の祝福の預言をいただくか、選択肢は私たち人間の側にあります。
http://bible.com/81/ezk.35.5-9.ja1955
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エゼキエル書 35:10-12
「あなたは言う、『これら二つの国民、二つの国はわたしのもの、われわれはこれを獲よう』と。しかし主はそこにおられる。 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたが彼らを憎んで、彼らに示した怒りと、ねたみにしたがって、わたしはあなたを扱う。わたしがあなたをさばく時、わたし自身をあなたに示す。 あなたがイスラエルの山々に向かって、『これは荒れはてて、われわれの食となる』と言ったもろもろのそしりを、主なるわたしが聞いたことをあなたは悟る。」
ここでいう二つの国民、二つの国とは、北イスラエル王国と南ユダ王国の2つを意味しています。エドム人はエルサレム滅亡の後、イスラエルとユダの領地が自分のものであると主張し、実際に略奪を働きました。これらの行為に対して主は、エドム人の主張した通りのことを彼らの頭に帰すると答え、彼らがイスラエルに対して行った情け容赦ない行為に主が自ら報いられると告げられたのです。自分の口から発した言葉は、必ず自分に返ってきます。人を呪うならば自分が呪われ、人を憎むならば自分が憎まれ、人から略奪するならば自分が略奪されます。裏を返せば、人を愛するならば自分が愛され、人を祝福するならば自分が祝福され、人に惜しみなく与えるならば自分もまた惜しみなく与えられます。悪の連鎖に身を置くか、善の連鎖に身を置くか、選択するのは自分です。
http://bible.com/81/ezk.35.10-12.ja1955
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エゼキエル書 35:13-15
「あなたがたは、わたしに対して口をもって誇り、またわたしに対して、あなたがたの言葉を多くした。わたしはそれを聞いた。 主なる神はこう言われる、全地の喜びのために、わたしはあなたを荒れ地とする。 あなたが、イスラエルの家の嗣業の荒れるのを喜んだように、わたしはあなたに、そのようにする。セイル山よ、あなたは荒れ地となる。エドムもすべてそのようになる。そのとき彼らは、わたしが主であることを悟るようになる。」
エドムの罪はイスラエルに対する憎しみだけにとどまらず、イスラエルの神、主に対してまで汚し言を語り、自ら誇り高ぶって罪を重ねました。それ故主はエドムの罪を裁き、イスラエルの荒廃を喜んだエドムが廃墟と化すことを世界中が喜ぶと告げられ、そのことによってまことの神、主の存在を世界中が認めることになると預言されました。人に対する罪は真摯に謝罪するならば許されますが、神を汚す罪は決して赦されることはありません。神の裁きを免れるためには自ら悔い改めて主に立ち帰る他にありません。
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