エゼキエル書 31:1-6
第十一年の三月一日に主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、エジプトの王パロと、その民衆とに言え、あなたはその大いなること、だれに似ているか。 見よ、わたしはあなたをレバノンの香柏のようにする。麗しき枝と森の陰があり、たけが高く、その頂は雲の中にある。 水はこれを育て、大水がこれを高くする。その川々はその植えた所をめぐって流れ、その流れを野のすべての木に送る。 これによってそのたけは、野のすべての木よりも高くなり、その育つとき多くの水のために枝葉は茂り、枝は伸び、 その枝葉に空のすべての鳥が、巣をつくり、その枝の下に野のすべての獣は子を生み、その陰にもろもろの国民は住む。」
新改訳聖書では、31章の冒頭はアッシリヤをレバノンの香柏にたとえたように訳していますが、多くの翻訳ではここはエジプトと訳しており、前後の文脈から考えてもその方が理にかなっています。レバノン杉は中近東地方では最も高い木で、ソロモンの神殿にも多用された最高級の建築資材です。エジプトはナイル川の豊かな流れによってレバノン杉のように高く生育し、多くの国民を養う大国となりました。しかしエジプトを繁栄に導いたのは、ナイル川そのものではなく、大自然をも支配される神様です。私たちの置かれた環境も、その背後に働かれる神様のご計画の内にあることを覚えて、数々の恵みで満たしてくださる神様に感謝し、御心に聞き従う私たちでありますように。
http://bible.com/81/ezk.31.1-6.ja1955
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エゼキエル書 31:7-11
「これはその大きなことと、その枝の長いことによって美しかった。その根を多くの水に、おろしていたからである。 神の園の香柏も、これと競うことはできない。もみの木もその枝葉に及ばない。けやきもその枝と比べられない。神の園のすべての木も、その麗しきこと、これに比すべきものはない。 わたしはその枝を多くして、これを美しくした。神の園にあるエデンの木は皆これをうらやんだ。 それゆえ、主なる神はこう言われる、これは、たけが高くなり、その頂を雲の中におき、その心が高ぶりおごるゆえ、 わたしはこれを、もろもろの国民の力ある者の手に渡す。彼はこれに対してその悪のために正しい処置をとる。わたしはこれを追い出した。」
神様がエジプトを繁栄させてくださり、神の園にある木々にたとえられた全世界の人々が羨むほどとなりましたが、当の本人であるエジプトとその王はその事実に気付かず、むしろ自分の力で勝ち取ったのだと驕り高ぶった心に対し、神様はその悪に報いて正しい処置をとると断言されました。神様を認めないことは罪であるのに、この世の人々はこれを罪だと気付いていません。どうか一人でも多くの人が真実に目が開かれ、まことの救いを得ることができるよう福音宣教に励む私たちでありますように。
http://bible.com/81/ezk.31.7-11.ja1955
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エゼキエル書 31:12-14
「もろもろの国民の最も恐れている異邦人はこれを切り倒して捨てる。その枝はもろもろの山と、すべての谷とに落ち、その枝葉は砕けて、地のすべての流れにあり、地のすべての民は、その陰を離れて、これを捨てる。 その倒れた所に、空のもろもろの鳥は住み、その枝の上に、野のもろもろの獣はいる。 これは水のほとりのすべての木が、その高さのために誇ることなく、その頂を雲の中におくことなく、水に潤う木が、みずから高ぶり立つことのないためである。これらは皆、死に渡され、下の国に入り、穴に下る者と共に他の人々のうちにいる。」
レバノン杉のように立派に生育し、他の国々の羨望の眼差しの的となったエジプトがまさか滅びるとは、当時の人々は想定し得なかったことでしょう。しかし難攻不落の要塞都市エルサレムをバビロンが壊滅させるよりも半年以上前に、神様はエジプトの滅亡を預言されました。それはエジプトの驕り高ぶりを裁くためだけではなく、その没落を目の当たりにした人々が、エジプトのように心に驕り高ぶって滅ぼされないための教訓です。
http://bible.com/81/ezk.31.12-14.ja1955
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エゼキエル書 31:15-18
「主なる神はこう言われる、これが陰府に下る日にわたしが淵をこれがために悲しませ、その川々をせきとめるので、大水はとどまる。わたしはレバノンを、これがために嘆かせ、野のすべての木を、これがために衰えさせる。 わたしがこれを穴に下る者と共に陰府に落す時、もろもろの国民をその落ちる響きのために、打ち震えさせる。そしてエデンのすべての木、レバノンのすぐれて美しいもの、すべて水に潤うものは、下の国で慰められる。 彼らもこれと共に陰府に下り、つるぎで殺された者のところに至る。まことにもろもろの国民のうちで、その陰に住んだ者も滅びる。 エデンの木のうちで、その栄えと大いなることで、あなたはどれに似ているのか。あなたはこのように、エデンの木と共に、下の国に落され、つるぎで殺された者と共に、割礼を受けない者のうちに住む。これがパロとその民衆であると、主なる神は言われる」。
ピラミッドを見ればわかるように、エジプトの人々は死後の世界に驚くほど興味を持つ人々でした。死んだ後もこの世と同じように幸せに生活できるようにと、生前に莫大な費用と時間をかけて巨大なピラミッドを建造し、その遺体をミイラにし、数多くの副葬品を備えて共に埋葬しました。しかしどれほど死後に備えても、己の力に頼り神様を認めない者は、罪人たちと同様に陰府に下って永遠の滅びに至るだけだと主は言われます。私たちは何のために生きているのか、生前の時間をどのように過ごすか、見当違いの生き方を貫いて与えられた時間を無駄にしてはなりません。
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第十一年の三月一日に主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、エジプトの王パロと、その民衆とに言え、あなたはその大いなること、だれに似ているか。 見よ、わたしはあなたをレバノンの香柏のようにする。麗しき枝と森の陰があり、たけが高く、その頂は雲の中にある。 水はこれを育て、大水がこれを高くする。その川々はその植えた所をめぐって流れ、その流れを野のすべての木に送る。 これによってそのたけは、野のすべての木よりも高くなり、その育つとき多くの水のために枝葉は茂り、枝は伸び、 その枝葉に空のすべての鳥が、巣をつくり、その枝の下に野のすべての獣は子を生み、その陰にもろもろの国民は住む。」
新改訳聖書では、31章の冒頭はアッシリヤをレバノンの香柏にたとえたように訳していますが、多くの翻訳ではここはエジプトと訳しており、前後の文脈から考えてもその方が理にかなっています。レバノン杉は中近東地方では最も高い木で、ソロモンの神殿にも多用された最高級の建築資材です。エジプトはナイル川の豊かな流れによってレバノン杉のように高く生育し、多くの国民を養う大国となりました。しかしエジプトを繁栄に導いたのは、ナイル川そのものではなく、大自然をも支配される神様です。私たちの置かれた環境も、その背後に働かれる神様のご計画の内にあることを覚えて、数々の恵みで満たしてくださる神様に感謝し、御心に聞き従う私たちでありますように。
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エゼキエル書 31:7-11
「これはその大きなことと、その枝の長いことによって美しかった。その根を多くの水に、おろしていたからである。 神の園の香柏も、これと競うことはできない。もみの木もその枝葉に及ばない。けやきもその枝と比べられない。神の園のすべての木も、その麗しきこと、これに比すべきものはない。 わたしはその枝を多くして、これを美しくした。神の園にあるエデンの木は皆これをうらやんだ。 それゆえ、主なる神はこう言われる、これは、たけが高くなり、その頂を雲の中におき、その心が高ぶりおごるゆえ、 わたしはこれを、もろもろの国民の力ある者の手に渡す。彼はこれに対してその悪のために正しい処置をとる。わたしはこれを追い出した。」
神様がエジプトを繁栄させてくださり、神の園にある木々にたとえられた全世界の人々が羨むほどとなりましたが、当の本人であるエジプトとその王はその事実に気付かず、むしろ自分の力で勝ち取ったのだと驕り高ぶった心に対し、神様はその悪に報いて正しい処置をとると断言されました。神様を認めないことは罪であるのに、この世の人々はこれを罪だと気付いていません。どうか一人でも多くの人が真実に目が開かれ、まことの救いを得ることができるよう福音宣教に励む私たちでありますように。
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エゼキエル書 31:12-14
「もろもろの国民の最も恐れている異邦人はこれを切り倒して捨てる。その枝はもろもろの山と、すべての谷とに落ち、その枝葉は砕けて、地のすべての流れにあり、地のすべての民は、その陰を離れて、これを捨てる。 その倒れた所に、空のもろもろの鳥は住み、その枝の上に、野のもろもろの獣はいる。 これは水のほとりのすべての木が、その高さのために誇ることなく、その頂を雲の中におくことなく、水に潤う木が、みずから高ぶり立つことのないためである。これらは皆、死に渡され、下の国に入り、穴に下る者と共に他の人々のうちにいる。」
レバノン杉のように立派に生育し、他の国々の羨望の眼差しの的となったエジプトがまさか滅びるとは、当時の人々は想定し得なかったことでしょう。しかし難攻不落の要塞都市エルサレムをバビロンが壊滅させるよりも半年以上前に、神様はエジプトの滅亡を預言されました。それはエジプトの驕り高ぶりを裁くためだけではなく、その没落を目の当たりにした人々が、エジプトのように心に驕り高ぶって滅ぼされないための教訓です。
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エゼキエル書 31:15-18
「主なる神はこう言われる、これが陰府に下る日にわたしが淵をこれがために悲しませ、その川々をせきとめるので、大水はとどまる。わたしはレバノンを、これがために嘆かせ、野のすべての木を、これがために衰えさせる。 わたしがこれを穴に下る者と共に陰府に落す時、もろもろの国民をその落ちる響きのために、打ち震えさせる。そしてエデンのすべての木、レバノンのすぐれて美しいもの、すべて水に潤うものは、下の国で慰められる。 彼らもこれと共に陰府に下り、つるぎで殺された者のところに至る。まことにもろもろの国民のうちで、その陰に住んだ者も滅びる。 エデンの木のうちで、その栄えと大いなることで、あなたはどれに似ているのか。あなたはこのように、エデンの木と共に、下の国に落され、つるぎで殺された者と共に、割礼を受けない者のうちに住む。これがパロとその民衆であると、主なる神は言われる」。
ピラミッドを見ればわかるように、エジプトの人々は死後の世界に驚くほど興味を持つ人々でした。死んだ後もこの世と同じように幸せに生活できるようにと、生前に莫大な費用と時間をかけて巨大なピラミッドを建造し、その遺体をミイラにし、数多くの副葬品を備えて共に埋葬しました。しかしどれほど死後に備えても、己の力に頼り神様を認めない者は、罪人たちと同様に陰府に下って永遠の滅びに至るだけだと主は言われます。私たちは何のために生きているのか、生前の時間をどのように過ごすか、見当違いの生き方を貫いて与えられた時間を無駄にしてはなりません。
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