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【COGHCC聖書通読】 2018/06/09

2018-06-09 07:25:17 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 18:1-4

主の言葉がわたしに臨んだ、 「あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。 主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。 見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂は必ず死ぬ。」

神様はエゼキエルに当時のイスラエル人たちの諺を挙げて、神様の御心は何であるかを告げられました。『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』という諺の意味は、父祖たちが行った悪の報いを自分たちが受けているのだという言い訳じみたものでした。しかし神様は、人が裁かれるのは自ら行った罪のためであると、明確に答えられます。日本でも「親の因果が子に報い」という言葉がありますが、神様はそのように人を見てはおられません。御言葉の教えを守り、神様の御心に適う者となって、永遠の滅びではなく永遠のいのちを自ら獲得する私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.18.1-4.ja1955

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エゼキエル書 18:14-18
「しかし彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て、恐れ、そのようなことを行わず、 山の上で食事せず、目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人の妻を犯さず、 だれをもしえたげず、質物をひき留めず、物を奪わず、かえって自分の食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、 その手をひいて悪を行わず、利息や高利をとらず、わたしのおきてを行い、わたしの定めに歩むならば、彼はその父の悪のために死なず、必ず生きる。 しかしその父は人をかすめ、その兄弟の物を奪い、その民の中で良くない事を行ったゆえ、見よ、彼はその悪のために死ぬ。」

5節から続く長い神様の例話が私たちに示す教訓は、親の罪が子に報いることはないと同時に、親の義が子の罪を救うことはできないということです。正しい信仰は、遺産相続のように自動的に受け継がれるようなものではなく、神様を真摯に求めて自ら獲得しなければ、決して得られせん。親の信仰に依存して今の平穏な暮らし向きにあぐらをかいているような生活とは決別し、心から主を求めて義の業に励み、栄光の人生を自ら切り開く私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.18.14-18.ja1955

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エゼキエル書 18:19-22

「しかしあなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。 罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。 しかし、悪人がもしその行ったもろもろの罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。 その犯したもろもろのとがは、彼に対して覚えられない。彼はそのなした正しい事のために生きる。」

イスラエルの人々の主張は、神様の裁きを今の自分たちが受けるとしたら、それは父祖たちの犯した罪のためだという、悪の責任転嫁でした。しかし神様の基準は、義を行う者は義とされ、悪を行う者は罪に定められるという、実に単純明快な基準です。更に進んで、たとい今は罪を犯していたとしても、悔い改めて罪の生活を捨てるならば義と認められ、もはや過去の罪は覚えられないという、実に恵みと希望に満ちた福音です。この神様の憐れみにすがり、罪を捨て義に生きる人生の方向転換を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.18.19-22.ja1955

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エゼキエル書 18:23-28

「主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。 しかし義人がもしその義を離れて悪を行い、悪人のなすもろもろの憎むべき事を行うならば、生きるであろうか。彼が行ったもろもろの正しい事は覚えられない。彼はその犯したとがと、その犯した罪とのために死ぬ。 しかしあなたがたは、『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、聞け。わたしのおこないは正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。 義人がその義を離れて悪を行い、そのために死ぬならば、彼は自分の行った悪のために死ぬのである。 しかし悪人がその行った悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼は自分の命を救うことができる。 彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。」

私たち人間は、自分が不幸な目に遭うとき、他の人のせいにしたり、置かれた環境のせいにしたり、挙げ句の果てには神様が間違っているのだとさえ口走る、実に罪の自覚のない、無責任な存在です。神様は決して正しくないお方ではなく、私たちの側が自分の都合の良いように正しさの基準をねじ曲げて解釈するから、神様が間違っているのだと考えてしまうのです。曲がった定規を当てて線を引けば、直線を描くことはできません。世界のはじめから変わることのない義の基準であられる神様の御言葉に聞き従い、悪を離れて義を行い、神様の厳しい裁きと永遠の滅びを免れさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.18.23-28.ja1955

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エゼキエル書 18:29-32

「しかしイスラエルの家は『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしのおこないは、はたして正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。 わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。

神様の真意は「あなたがたは翻って生きよ」という最後の御言葉に如実に示されています。神様の御心は人を罪に定めて裁くことではなく、何とかして人が罪から離れて永遠のいのちに与ることです。災難が降りかかるとき、あるいは目を覆うような惨劇が繰り広げられるとき、人はこの世に神はいない、神がいるならなぜこんな目に遭わなければならないのかと思いがちですが、それはサタンが私たちに神様を疑わせようと暗躍しているからです。何度も繰り返しますが、人は自ら犯した罪の故に裁かれるのであって、神様は決して理由なく人を裁かれるお方ではありません。「翻って生きよ」との神様の悲痛な叫びに耳を傾け、罪を悔い改めて永遠のいのちの道に進む私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.18.29-32.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/09

2018-06-09 06:00:48 | 今日の聖句
イザヤ書 54:17 新共同訳‬‬
「どのような武器があなたに対して作られても
 何一つ役に立つことはない。
 裁きの座であなたに対立するすべての舌を
 あなたは罪に定めることができる。
 これが主の僕らの嗣業
 わたしの与える恵みの業だ、と主は言われる。」

世界中でユダヤ人ほど非難される国民はありません。なぜなら罪の世は義なる神の民と相容れないからです。パレスチナ人はこの特質を利用して、世界の報道に一方的な情報操作を行っています。しかし彼らの卑劣な攻撃も、神様の御前には一切通用しません。イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われるという聖書の原則を忘れることなく、天地万物を統べ治められる神様に呪われることのないよう、いのちを守る私たちでありますように。

http://bible.com/1819/isa.54.17.新共同訳
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