伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/06/24

2018-06-24 23:40:30 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 33:1-9‬

主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたの民の人々に語って言え、わたしがつるぎを一つの国に臨ませる時、その国の民が彼らのうちからひとりを選んで、これを自分たちの見守る者とする。 彼は国につるぎが臨むのを見て、ラッパを吹き、民を戒める。 しかし人がラッパの音を聞いても、みずから警戒せず、ついにつるぎが来て、その人を殺したなら、その血は彼のこうべに帰する。 彼はラッパの音を聞いて、みずから警戒しなかったのであるから、その血は彼自身に帰する。しかしその人が、みずから警戒したなら、その命は救われる。 しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。 それゆえ、人の子よ、わたしはあなたを立てて、イスラエルの家を見守る者とする。あなたはわたしの口から言葉を聞き、わたしに代って彼らを戒めよ。 わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。 しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。」

神様はエゼキエルに、あなたをイスラエルの家の「見守る者」として任命すると託されました。見守る者は、人々の罪を指摘して戒める損な役回りです。しかし見守る者がその責任を果たさなければ、誰一人として救われることなくただ滅び行くところを見過ごすだけです。神様は見守る者に、罪を指摘しなかった責任を負わせると言われました。それは当時のイスラエルに対するエゼキエルに対してだけでなく、現代に生きる私たち、一足先に救いに与ったクリスチャンに対しても、神様はその責任ある役割を託しておられます。私たちが福音宣教に励むべき理由も、そこにあります。自分だけ救われればそれでいい、平安な日々を過ごせれば充分と、身勝手な、愛の冷えた心で漫然と日々を過ごすのではなく、救霊の熱い想いを胸に抱いて、この日本の、そして世界の救いのために祈り、御言葉を宣べ伝える使命に燃える私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.33.1-9‬.ja1955

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エゼキエル書 33:10-11

「それゆえ、人の子よ、イスラエルの家に言え、あなたがたはこう言った、『われわれのとがと、罪はわれわれの上にある。われわれはその中にあって衰えはてる。どうして生きることができようか』と。 あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。」

神様はどうしてエゼキエルに預言者あるいは見守る者としての過酷な使命を与えられたのでしょうか。それは神様が何人たりとも罪の中にあるまま死に行くことなく、悪の道を離れて生きることを切に望んでおられるからです。神様の御心は、神の民イスラエルが心を翻して悪から離れ、生きよ、死んではならない、との嘆願とも呻きともとれる切なる願いです。この神様の御心を知った私たちもまた、神様の御思いと心を一つにして、一人でも多くの人が罪を悔い改めて救いに与ることができるようにと、自分の担うべき十字架を負って主にお従いする者でありたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.33.10-11.ja1955

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エゼキエル書 33:12-20

「人の子よ、あなたの民の人々に言え、義人の義は、彼が罪を犯す時には、彼を救わない。悪人の悪は、彼がその悪を離れる時、その悪のために倒れることはない。義人は彼が罪を犯す時、その義のために生きることはできない。 わたしが義人に、彼は必ず生きると言っても、もし彼が自分の義をたのんで、罪を犯すなら、彼のすべての義は覚えられない。彼はみずから犯した罪のために死ぬ。 また、わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼がその罪を離れ、公道と正義とを行うならば、 すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。 彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。彼は公道と正義とを行ったのであるから、必ず生きる。あなたの民の人々は『主の道は公平でない』と言う。しかし彼らの道こそ公平でないのである。 義人がその義を離れて、罪を犯すならば、彼はこれがために死ぬ。 悪人がその悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼はこれによって生きる。 それであるのに、あなたがたは『主の道は公平でない』と言う。イスラエルの家よ、わたしは各自のおこないにしたがって、あなたがたをさばく」。

どんなに正しく生きてきた人であっても、ひとたび罪を犯したら永遠のいのちに与ることはできません。しかしどんなに悪を重ねてきた人であっても、その罪を離れ、償い、公義を行うならば、決して死ぬことなく、必ず生きると神様は告げられました。すなわち、罪を離れて主に従って生きるならば、誰にでも救いの道が目の前に備えられているのです。なんと素晴らしい恵みでしょうか。今すでに救われている者はその道を踏み外すことなく、まだ救われていない者は悔い改めて主に立ち返り、罪の生活から離れて義に生きることにより、この世のすべての人が永遠のいのちに与ることができますようにと願ってやみません。

http://bible.com/81/ezk.33.12-20.ja1955

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エゼキエル書 33:21-29‬

「わたしたちが捕え移された後、すなわち第十二年の十月五日に、エルサレムからのがれて来た者が、わたしのもとに来て言った、「町は打ち破られた」と。 その者が来た前の夜、主の手がわたしに臨んだ。次の朝、その人がわたしのもとに来たころ、主はわたしの口を開かれた。わたしの口が開けたので、もはやわたしは沈黙しなかった。 主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、イスラエルの地の、かの荒れ跡の住民らは、語り続けて言う、『アブラハムはただひとりで、なおこの地を所有した。しかしわたしたちの数は多い。この地はわれわれの所有として与えられている』と。 それゆえ、あなたは彼らに言え、主なる神はこう言われる、あなたがたは肉を血のついたままで食べ、おのが偶像を仰ぎ、血を流していて、なおこの地を所有することができるか。 あなたがたはつるぎをたのみ、憎むべき事をおこない、おのおの隣り人の妻を汚して、なおこの地を所有することができるか。あなたは彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる、わたしは生きている。かの荒れ跡にいる者は必ずつるぎに倒れる。わたしは野の面にいる者を、獣に与えて食わせ、要害とほら穴とにいる者は疫病で死ぬ。 わたしはこの国を全く荒す。彼の誇る力はうせ、イスラエルの山々は荒れて通る者もなくなる。 彼らがおこなったすべての憎むべきことのために、わたしがこの国を全く荒す時、彼らはわたしが主であることを悟る。」

バビロンによってエルサレムが陥落したとの知らせは、遠くバビロンの地にいるエゼキエルたち第二期捕囚のイスラエル人の元にも伝えられました。彼らは神殿のあるエルサレムは神様が守ってくれるから大丈夫、イスラエルの地は神様がアブラハムの子孫に与えると約束された土地だから他国人に奪われることはないと主張していました。しかしエルサレムが異邦人であるバビロンの手に落ち、破壊し尽くされたとのニュースは、そのように信じていたイスラエル人にとってあまりにも衝撃的な出来事でした。しかし神様は、律法を守り行わず、偶像礼拝と忌まわしい悪事の数々を平然と行っていた者に、神様の約束を受ける権利があるかと問いただしました。神様との約束を平気で破りながら、都合のいいときだけその約束を持ち出す彼らの信仰ほど、腐りきったものはありません。溜まった膿を出し切ることができなければ神様の約束は白紙撤回され、そして主が真実なお方であることが明らかにされるのです。

http://bible.com/81/ezk.33.21-29‬.ja1955

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エゼキエル書 33:30-33

「人の子よ、あなたの民の人々は、かきのかたわら、家の入口で、あなたの事を論じ、たがいに語りあって言う、『さあ、われわれは、どんな言葉が主から出るかを聞こう』と。 彼らは民が来るようにあなたの所に来、わたしの民のようにあなたの前に座して、あなたの言葉を聞く。しかし彼らはそれを行わない。彼等は口先では多くの愛を現すが、その心は利におもむいている。 見よ、あなたは彼らには、美しい声で愛の歌をうたう者のように、また楽器をよく奏する者のように思われる。彼らはあなたの言葉は聞くが、それを行おうとはしない。 この事が起る時-これは必ず起る-そのとき彼らの中にひとりの預言者がいたことを彼らは悟る」。

聞くだけで行動を伴わない信仰ほど、空しいものはありません。心の中で信じているだけでは、何一つ実を結ぶことなく立ち枯れになったイチジクの木と同じです。口先だけで幾千万の愛の言葉を語っても、実践を伴わない愛ほど冷え切った偽りの心は誰の心を温めることができるでしょうか。見ても動かず、聞いても行わず、心にもないきれい事を並べ立てる見せかけだけの信仰に陥ることなく、言動一致するまことの信仰者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.33.30-33.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/24

2018-06-24 06:35:42 | 今日の聖句
ヨハネの手紙一 2:1-2 新共同訳

「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」

人間は不完全な存在ですから、意図せずに罪を犯し、過ちを行ってしまいやすい者です。そのような弱さを持つ私たちのために、神様は尊い御子イエスをこの世に遣わされ、私たちの罪を償う供え物としてくださいました。この福音に耳を傾け、己の罪を素直に認めて主の憐れみを受ける私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1jn.2.1-2.新共同訳
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