伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/06/15

2018-06-15 07:45:24 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 24:1-5

第九年の十月十日に、主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたはこの日すなわち今日の名を書きしるせ。バビロンの王は、この日エルサレムを包囲した。 あなたはこの反逆の家にたとえを語って言え。主なる神はこう言われる、かますをすえ、これをすえて、水をくみ入れよ。 その中に肉の切れを入れよ、すべて良い肉の切れ、すなわち、ももと肩の肉をこれに入れよ。良い骨をこれに満たせ。 羊の最も良いものを取れ。かまの下にまきを積み、その肉を煮たぎらせ、またその中の骨を煮よ。」

神様はエゼキエルに、エルサレムの滅亡を伝える預言をした日付を記録するように命じました。なぜならテレビも電話も飛行機もなかった旧約聖書の時代、遠い国で起きた出来事を伝える知らせが届くまで数ヶ月を要していましたから、後の日になって、神様の預言は真実であったことを人々が認めることができるからです。ゼデキヤ王の治世第9年目の10月10日は、バビロンがエルサレムを包囲した日付であることが、列王記下25章1節及びエレミヤ書52章4節に記されています。まさにその日に、バビロンの軍勢によって包囲されたエルサレムの人々が籠城したことを、釜の中に肉を入れて煮る行為によって示されたのです。釜は難攻不落な要塞都市エルサレム、良い肉とは神の民イスラエルを意味しています。神様の預言は時空を越えて、世界の歴史の中で必ずその通りに起こることを、私たちは後の日になって知るようになるのです。

http://bible.com/81/ezk.24.1-5.ja1955

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エゼキエル書 24:6-10

「それゆえ、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、流血の町、さびているかま。そのさびはこれを離れない。肉をひとつびとつ無差別に取り出せ。 その流した血はまだその中にある。彼女はこれを裸岩の上に流し、土でこれをおおうために、地面には注がなかった。 これは、わたしの怒りをつのらせ、あだを返すために、その流した血がおおわれないように、裸岩の上に流したのである。 それゆえ、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、流血の町。わたしもまた、まきをさらに積み重ねる。 まきを積み重ね、火を燃やし、肉をよく煮て、煮つくし、骨を焼け。」

神様がエゼキエルに釜の中に肉を入れて煮るようにと命じられたのは、料理のためではなく、釜の錆を取り除くためであると解き明かされました。これは聖なる都エルサレムを偶像礼拝の場とし、罪なき人の血を流して汚したユダの人々に対する神様の裁きのたとえです。人々の心に染み着いた罪という錆を落とすために、更に火を強くして煮るように命じられたのは、エルサレムの包囲の手が更に激しさを増すことを意味します。神様から責め立てられるならば、耐えうる人はいません。罪に対する神様の裁きは徹底していることを、私たちは学ばなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.24.6-10.ja1955

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エゼキエル書 24:11-14

「そしてかまを熱くするため、それをからにして炭火の上に置き、その銅を焼いて、汚れをその中に溶かし、そのさびを去れ。 しかしわたしのほねおりは、むだであった。その多くのさびは火によって消えない。 そのさびとは、あなたの不潔な淫行である。わたしはあなたを清めようとしたが、あなたはあなたの不潔から清められようとしないから、わたしの怒りをあなたに漏らし尽すまでは、あなたは汚れから清まることはない。 主なるわたしはこれを言った。そしてこれは必ず成る。わたしはこれをなす。わたしはやめない、惜しまない、悔いない。あなたのおこないにより、あなたのわざによって、あなたをさばくと、主なる神は言われる」。

煮ても取れない釜の錆を落とすために、神様は釜を空にして火で熱するようにとエゼキエルに命じられました。しかしその骨折りも無駄で、釜に強くこびりついた錆は落ちませんでした。これはいかにエルサレムの人々の心の奥深くまで、罪がこびりついていたかを意味する言葉です。エレミヤや預言者たちの悔い改めを促す言葉を聞いても悔い改めなかったエルサレムは、ついに姿形がなくなるまで徹底的に破壊されなければならなくなってしまったのです。懲らしめの火をもっても罪から離れられないエルサレムを、神様はもはや惜しまない、悔いないと断言されました。これは神様の強い意志であり、後戻りできない裁きの予告です。罪を指摘されながらも離れられない不信仰は、裁きを免れることはできません。

http://bible.com/81/ezk.24.11-14.ja1955

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エゼキエル書 24:15-18

また主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、見よ、わたしは、にわかにあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。 声をたてずに嘆け。死人のために嘆き悲しむな。ずきんをかぶり、足にくつをはけ。口をおおうな。嘆きのパンを食べるな」。 朝のうちに、わたしは人々に語ったが、夕べには、わたしの妻は死んだ。翌朝わたしは命じられたようにした。」

神様は突然、エゼキエルの最愛の妻のいのちを直ちに奪うと予告され、妻のために悲しんではならない、喪に服してはならないと命じられました。そしてエゼキエルはそのことを朝のうちに周囲の人々に伝えたところ、果たして主の言葉の通り、エゼキエルの妻は夕方に亡くなりました。イスラエルの祭司は、その勤めの間、家族が死んでも死によって汚されないために葬儀に出てはなりませんでしたが、嘆き悲しむことさえも禁じられたエゼキエルの行為を見て、人々に教訓を与えるための預言的行動でした。神に仕える僕たる私たちは、徹底的な神様に聞き従わなければならないことを、改めて教えられました。

http://bible.com/81/ezk.24.15-18.ja1955

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エゼキエル書 24:19-24

人々はわたしに言った、「あなたがするこの事は、われわれになんの関係があるのか、それをわれわれに告げてはくれまいか」。 わたしは彼らに言った、「主の言葉がわたしに臨んだ、 『イスラエルの家に言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはあなたがたの力の誇、目の喜び、心の望みであるわが聖所を汚す。あなたがたが残すむすこ娘たちは、つるぎに倒れる。 あなたがたもわたしがしたようにし、口をおおわず、嘆きのパンを食べず、 頭にずきんをかぶり、足にくつをはき、嘆かず、泣かず、その罪の中にやせ衰えて、互にうめくようになる。 このようにエゼキエルはあなたがたのためにしるしとなる。彼がしたようにあなたがたもせよ。この事が成る時、あなたがたはわたしが主なる神であることを知るようになる』。」

人々は最愛の妻を失ったエゼキエルの行動を見て、それは我々に何の意味があるのかと問いました。神様の預言を、自分と何の関係があるのかと問いただすことは、信仰者にとって大切な心構えです。神様はエゼキエルのとった預言的行動の意味を、やがてエルサレムの神殿が破壊され、残された親族たちがバビロンの剣によって情け容赦なく殺害されることを預言され、その日にはあなたがたもエゼキエルと同じように行動しなければならないと命じられました。そしてその預言が実際に起きたとき、エゼキエルに御言葉を授けた神様こそ、まことの主であることを知るようになると言われました。聖書の御言葉を単なる「いいお話」で終わらせることなく、自分の実生活に当てはめて行動することが、私たちにとって必要不可欠なことです。

http://bible.com/81/ezk.24.19-24.ja1955

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エゼキエル書 24:25-27

「人の子よ、わたしが、彼らのとりで、彼らの喜びと栄え、彼らの目の喜びであり、その心の望みであるもの、また彼らのむすこ娘たちを取り去る日、 その日に難をのがれて来る者が、あなたのもとにきて、あなたに事を告げる。 その日あなたは、そののがれてきた者に向かって口を開き、語り、もはや沈黙しない。こうしてあなたは彼らのためにしるしとなり、彼らはわたしが主であることを知る」。

神様はエゼキエルに、やがてエルサレム陥落の知らせを告げる者が彼の元に来るときまで沈黙するようにと命じられました。それは既に語られた神様の御言葉が最終的な決定事項であり、実際に現実のものとなるまで決して取り消したり変更できないことを意味するものでした。真理は聖書の御言葉の中に既に開かれており、私たちはその中から神様の御心を真摯に尋ね求めることが必要です。

http://bible.com/81/ezk.24.25-27.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/15

2018-06-15 06:35:05 | 今日の聖句
エレミヤ書 32:17 新共同訳‬‬

「ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません。」

今まさにバビロンによって滅ぼされようとしている末期状態のエルサレムにいながら、エレミヤはこの地が再びイスラエルの所有となることを信仰をもって受け止め、神様には何一つできないことはないと告白しました。絶望的な状況の中にあってもなお全知全能の神にすべてを委ね、信仰をもって未来に希望を抱く私たちでありますように。

http://bible.com/1819/jer.32.17.新共同訳
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