伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/06/20

2018-06-20 07:45:12 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 29:1-5

第十年の十月十二日に、主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたの顔をエジプトの王パロに向け、彼とエジプト全国に対して預言し、 語って言え。主なる神はこう言われる、エジプトの王パロよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。あなたはその川の中に伏す大いなる龍で、『ナイル川はわたしのもの、わたしがこれを造った』と言う。 わたしは、かぎをあなたのあごにかけ、あなたの川の魚を、あなたのうろこにつかせ、あなたと、あなたのうろこについているもろもろの魚を、あなたの川から引きあげ、 あなたとあなたの川のもろもろの魚を、荒野に投げ捨てる。あなたは野の面に倒れ、あなたを取り集める者も、葬る者もない。わたしはあなたを地の獣と空の鳥のえじきとして与える。」

神様がエゼキエルにエジプトに対する裁きの第一の預言を授けられたのはゼデキヤの治世10年目の10月ですから、エルサレムがバビロン軍に包囲されて約1年経った後のことです。神様は南ユダ王国が救援を求めていたエジプトを裁くと告げられました。その理由は、エジプトの王パロが、自分がナイル川を造ったと豪語していたからです。エジプトは砂漠地帯の中にありますが、ナイル川流域だけが緑の青々と茂る栄えた地域でした。ですからエジプト人はナイル川なしには生きてゆけないのです。そのナイル川を自分が造ったと言って所有権を主張するパロに対し、天地万物を造られたまことの神様がパロの傲慢を裁かれたのです。神様はパロをナイル川に住む龍にたとえて、川から引きずり出し、荒野に投げ捨てると言われました。聖書の中で龍はサタンの化身を意味しますから、神様はパロの傲慢の中にサタンを見出し、その悪に報いられるのです。事実、当時のエジプト王であったホフラはクーデターに遭い、その死骸は荒野に投げ捨てられて、王族のミイラの中にも存在しないそうです。傲慢は神様の忌み嫌われる罪、サタンの心と変わらないことに、私たちは十分に注意を払わなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.29.1-5.ja1955

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エゼキエル書 29:6-10

「そしてエジプトのすべての住民はわたしが主であることを知る。あなたはイスラエルの家に対して葦のつえであった。 彼らがあなたを手にとる時、あなたは折れ、彼らの肩はことごとく裂ける。彼らがまたあなたに寄りかかる時、あなたは破れ、彼らの腰をことごとく震えさせる。 それゆえ、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはつるぎをあなたに持ってきて、人と獣とをあなたのうちから断つ。 エジプトの地は荒れて、むなしくなる。そして彼はわたしが主であることを知る。あなたは『ナイル川はわたしのもの、わたしがこれを造った』と言っているゆえに、 見よ、わたしはあなたとあなたの川々の敵となって、エジプトの地をミグドルからスエネまで、エチオピヤの境に至るまで、ことごとく荒し、むなしくする。」

神様はエジプトを葦にたとえて、実に頼りない存在であることを示されました。エジプトの葦にはナイフのような葉があり、葦を杖として寄りかかったときに折れると、その葉が寄りかかった人の身を傷つけることから、バビロンの支配から逃れようとしてエジプトに頼ったユダの国が被害を被ることをたとえで表現されたのです。事実、バビロンの大軍に包囲されたエルサレムの人々がエジプトに援軍を要請しても、弱体化したエジプトは他国のために出兵することなく、エルサレムを見殺しにしたのです。自分がナイル川を造ったなどと豪語しながら、同盟国の援軍要請にも応えられないエジプトを滅ぼすと、神様は預言されました。大言壮語する身の程知らずの者は、神様の裁きの対象となってしまいますから、私たちは自らの言動に気を付けなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.29.6-10.ja1955

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エゼキエル書 29:17-21

「第二十七年の一月一日に、主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、バビロンの王ネブカデレザルは、その軍勢をツロに対して大いに働かせた。頭は皆はげ、肩はみな破れた。しかし彼もその軍勢も、ツロに対してなしたその働きのために、なんの報いをも得なかった。 それゆえ、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはバビロンの王ネブカデレザルに、エジプトの地を与える。彼はその財宝を取り、物をかすめ、物を奪い、それをその軍勢に与えて報いとする。 彼の働いた報酬として、わたしはエジプトの地を彼に与える。彼らはわたしのために、これをしたからであると、主なる神は言われる。 その日、わたしはイスラエルの家に、一つの角を生じさせ、あなたの口を彼らのうちに開かせる。そして彼らはわたしが主であることを知る」。

時代は流れ、エゼキエルが預言者として召されてから第27年目の正月に、神様はエジプトをバビロン王の報酬として渡すと預言されました。この間に何が起きたかというと、既にエルサレムは滅ぼされ、次にバビロンが矛先を向けたのは海洋都市ツロでした。しかし地中海に浮かんだ島であったツロ陥落までは13年を要し、その間に人々は資産を他の島々に移していたため、ネブカデネザル王がツロの市街地に入ったときには既にもぬけの殻で、何一つ戦利品を獲ることができませんでした。13年間も戦士たちに苦労をかけたことを、頭は禿げ、肩は疲れたと表現していますが、骨折り損のくたびれ儲けとなってしまったバビロンに対し、神様はツロの財宝の代わりにエジプトを戦利品として与えると告げられたのです。なぜ神様はそこまでバビロンに目をかけてくださったのか、それは神様が世の国々の罪を裁く実働部隊としてバビロンを用いられたからです。たとい罪の中にあっても、主の御心を実現するために用いた者にはその報酬を与える神様は実に恵み深いお方です。もちろん罪の中にとどまっているならば、最後には自らが滅ぼされてしまいますから、神様の忍耐と憐れみに与っているうちに、私たちは罪を悔い改めて主に立ち返らなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.29.17-21.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/20

2018-06-20 06:45:38 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 4:16 新共同訳
「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」

神様の憐れみと恵みの座は、真の救いを求めて神に近付くすべての人に開かれています。身に覚えのある過去の過ちも、気付かずに見過ごしている罪をも心から悔い改め、きよめと赦しを真摯に求めて神に近付く私たちでありますように。

http://bible.com/1819/heb.4.16.新共同訳
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