伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/06/25

2018-06-25 07:45:22 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 34:1-6
主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して彼ら牧者に言え、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。牧者は群れを養うべき者ではないか。 ところが、あなたがたは脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふるが、群れを養わない。 あなたがたは弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、彼らを手荒く、きびしく治めている。 彼らは牧者がないために散り、野のもろもろの獣のえじきになる。 わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない。」

羊飼いの役目は羊を養うことです。なぜなら強い角や速い足など身を守る術を持たない羊は、人間の庇護の元でしか生き残ることができないからです。しかしイスラエルを義の道に導くはずの王や指導者たちが私腹を肥やすことに心を傾けた結果、国民を守るどころかむしろ搾取するようになり、国全体の利益を考えなくなってしまった様子を神様は嘆かれました。地に散らされた羊とはもちろん、一義的には世界中に散らされたイスラエルを意味します。そして当時のイスラエルも同様、私利私欲に走る国の指導者たちが絶えない現代社会に生きる私たちもまた、飼う者のない羊のように置き去りにされて途方に暮れるしかない現実があります。経済的には豊かであっても世界一自殺率の多い日本の人々は、人生の道を見失って路頭に迷う羊のようですから、今日の御言葉は私たちに対する慰めともなります。

http://bible.com/81/ezk.34.1-6.ja1955

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エゼキエル書 34:7-12
「それゆえ、牧者よ、主の言葉を聞け。 主なる神は言われる、わたしは生きている。わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。 それゆえ牧者らよ、主の言葉を聞け。 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め、彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ、再び牧者自身を養わせない。またわが羊を彼らの口から救って、彼らの食物にさせない。 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。 牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。」

神様はイスラエルの指導書たちに対し、羊を自らの食い物とする羊飼いなど必要ないと退けられました。それが南ユダ王国とエルサレムが滅ぼされた理由です。そして今度は、主が自ら散らされた羊を探し出して養うと預言されました。この御言葉の成就が、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。」と約束された主イエスの到来です。イエス様はエゼキエル書でも羊を養う羊飼いとして預言されたのです。

http://bible.com/81/ezk.34.7-12.ja1955

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エゼキエル書 34:13-22
「わたしは彼らをもろもろの民の中から導き出し、もろもろの国から集めて、彼らの国に携え入れ、イスラエルの山の上、泉のほとり、また国のうちの人の住むすべての所でこれを養う。 わたしは良き牧場で彼らを養う。その牧場はイスラエルの高い山にあり、その所で彼らは良い羊のおりに伏し、イスラエルの山々の上で肥えた牧場で草を食う。 わたしはみずからわが羊を飼い、これを伏させると主なる神は言われる。 わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。主なる神はこう言われる、あなたがた、わが群れよ、見よ、わたしは羊と羊との間、雄羊と雄やぎとの間をさばく。 あなたがたは良き牧場で草を食い、その草の残りを足で踏み、また澄んだ水を飲み、その残りを足で濁すが、これは、あまりのことではないか。 わが羊はあなたがたが、足で踏んだものを食い、あなたがたの足で濁したものを、飲まなければならないのか。 それゆえ、主なる神はこう彼らに言われる、見よ、わたしは肥えた羊と、やせた羊との間をさばく。 あなたがたは、わきと肩とをもって押し、角をもって、すべて弱い者を突き、ついに彼らを外に追い散らした。 それゆえ、わたしはわが群れを助けて、再びかすめさせず、羊と羊との間をさばく。」

この箇所は有名な詩篇23篇を思い起こさせる御言葉です。人を造られた神様が自ら人を義の道に導く主となって養ってくださるとは、何たる恵みでしょうか。羊飼いはただ羊を養うだけでなく、良い羊と悪い羊を見分けて裁くとは、どういう意味でしょうか。これは神様に捧げられる傷も染みもないきよい羊を、傷や斑のためにきよくないとされた羊から聖別されることを意味しているのではないでしょうか。聖なる神様の御前に捧げられるのは、きよい羊だけです。そして羊と山羊の間を裁くとはもちろん、神様の御心を行う義人を顧み、主の御心を知りながら行わず私腹を肥やすために人々から搾取した罪人を裁くという意味です。残念ながら羊の中にも、弱い者を角で突き追い出そうとした羊がいたようです。それは他人の苦しみを見ながら助けの手を伸べず、見殺しにする愛のない人々を指すのではないでしょうか。そのような憐れみの心のない者も、神様は裁くと言われます。私たちは自分は主の牧場の羊だと自負しながら、神様の恵みを独占するために他の羊を追い出して、かえって神様から裁かれる者とならないように注意しなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.34.17-22.ja1955

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エゼキエル書 34:23-31
「わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。 主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。 わたしは彼らと平和の契約を結び、国の内から野獣を追い払う。彼らは心を安んじて荒野に住み、森の中に眠る。 わたしは彼らおよびわが山の周囲の所々を祝福し、季節にしたがって雨を降らす。これは祝福の雨となる。 野の木は実を結び、地は産物を出す。彼らは心を安んじてその国におり、わたしが彼らのくびきの棒を砕き、彼らを奴隷とした者の手から救い出す時、彼らはわたしが主であることを悟る。彼らは重ねて、もろもろの国民にかすめられることなく、地の獣も彼らを食うことはない。彼らは心を安んじて住み、彼らを恐れさせる者はない。 わたしは彼らのために、良い栽培所を与える。彼らは重ねて、国のききんに滅びることなく重ねて諸国民のはずかしめを受けることはない。 彼らはその神、主なるわたしが彼らと共におり、彼らイスラエルの家が、わが民であることを悟ると、主なる神は言われる。 あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。

神様は良き羊飼いの代表格としてダビデの名を挙げました。その通りダビデほど生涯を通して神様の御心に忠実に従い、国民のことを思って行動した王はいませんでした。しかしダビデ王はとうの昔に死んで葬られています。ここで指すダビデとは、ダビデの末裔としてこの世にお生まれになるメシヤ、すなわち主イエス様を指しています。イエス様は一度この世に来られ、私たちの罪の奴隷から解放し購うために十字架で死なれた後、よみがえられて天に戻られ、今は神の右に座しておられますが、再び地上に来られると約束してくださっています。このイエス様こそ私たちの羊飼いであると信じ、神の牧場である永遠の天に憩い場を得させていただく希望を抱いて、日々主の御言葉に聞き従う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.34.23-31.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/25

2018-06-25 06:35:06 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 5:8-9 新共同訳

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。」

私たちの戦うべき相手は、目の前にいる人に対してではなく、その背後で糸を引く闇の勢力、サタンの支配です。神を信じ救われた者の人生は必ずしも薔薇色ではなく、必ず苦難が待ち受けていますが、信仰に堅く立ち、罪の誘惑と堕落を促す悪魔に最後まで抵抗して、神の栄光を世に証する私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1pe.5.8-9.新共同訳
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