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【COGHCC聖書通読】 2018/06/08

2018-06-08 07:55:05 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 17:1-6
時に主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、イスラエルの家になぞをかけ、たとえを語って、 言え。主なる神がこう言われる、さまざまの色の羽毛を多く持ち、大きな翼と、長い羽根とを持つ大わしがレバノンに来て、香柏のこずえにとまり、 その若枝の頂を摘み切り、これを商業の地に運び、商人の町に置いた。 またその地の種をとって、これを肥えた土に植えた。すなわち水の多い所にもって行って、柳を植えるようにこれを植えた。 これが成長して、たけ低く、はびこるぶどうの木となり、枝はわしに向かい、根はわしの下にあり、こうしてついにぶどうの木となり、枝を伸ばし、葉を出した。」

聖書の御言葉は時に人間には理解不能な多くの謎が掛けられています。主がエゼキエルに語られた「なぞをかけ、たとえを語って、 言え」という言い回しは、ヘブル語の原文では謎で謎掛けし、譬でたとえると、同じ意味を示す主語と動詞を二つ重ねる強意型で表現されているそうです。神様の真意は、人の知恵では理解不能で、聖霊なる神様の助けと導きなしには正しく理解することはできません。この箇所は後に11節以降で神様が解き明かしてくださっていますが、当時立てられていたユダ王朝最後の王ゼデキヤの治世をたとえたものです。大鷲はバビロン王ネブカデネザル、商人の町とはバビロン、香柏の若枝とは先代の王エホヤキンとその王子たち、その地の種とはゼデキヤを暗示したもので、ユダ王家の直系の王たちが第二期バビロン捕囚で移らせた後、ネブカデネザルが立てた傀儡政権の王ゼデキヤはバビロンの支配下でこそ繁栄することができるという意味です。私たちが聖書の御言葉に触れるとき、自分勝手に解釈することなく、聖霊様の導きをいただき、正統な神学に基づいて理解するように努めなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.17.1-6.ja1955

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エゼキエル書 17:7-10
「ここにまた大きな翼と、羽毛の多いほかの一羽の大わしがあった。見よ、このぶどうの木は、潤いを得るために、その根をわしに向かってまげ、その枝をわしに向かって伸ばした。 これが枝を出し、実を結び、みごとなぶどうの木となるために、わしはこれを植えた苗床から水の多い良い地に移し植えた。 あなたは、主なる神がこう言われると言え、これは栄えるであろうか。わしはその根を抜き、その枝を切り、その若葉を皆枯らさないであろうか。これをその根からあげるには、強い腕や多くの民を必要としない。 見よ、それが移し植えられたら、また栄えるであろうか。東風がこれを打つ時、それは枯れてしまわないであろうか。その育った苗床で枯れないであろうか」。

バビロンの庇護の下で辛うじて持ち直したユダ王朝でしたが、ゼデキヤ王は愚かにもバビロンの支配からの脱却を謀り、もう一羽の大鷲にたとえられたエジプトに援軍を求めました。そこで怒ったネブカデネザルは契約を破ったゼデキヤに報復するために、東風にたとえられたバビロンの大軍をエルサレムに送り、ついには根絶やしにして枯らしてしまいます。イスラエルには地中海から吹く湿気を多く含んだ西風と、砂漠から吹くシロッコと呼ばれる東風があり、カラカラに乾燥した東風が吹き荒れると草花はたちまち枯れてしまうそうです。聖書に記された様々な譬をより深く知るには、イスラエルの文化、地理、風俗、歴史などを詳しく知ることでより深く味わい知ることができます。

http://bible.com/81/ezk.17.7-10.ja1955

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エゼキエル書 17:11-14
主の言葉がまたわたしに臨んだ、 「反逆の家に言え。これらがなんであるかをあなたがたは知らないのか。彼らに言え、見よ、バビロンの王がエルサレムにきて、その王とつかさとを捕え、これをバビロンに引いて行った。 また王の子孫のひとりを捕えて、これと契約を結び、誓いを立てさせ、また国のおもだった人々を捕えて行った。 これはこの国を卑しくして、みずから立つことができないようにし、その契約を守ることによって立たせるためである。」

ここで大切なことは、人の立てた契約の背後にも神様の御心があり、人の内側から出る名誉欲や立身出世の願望、自分の思い通りに生きようとする様々な肉の思いに溺れて、安易に破ってはならないということです。バビロンと契約したゼデキヤ王の傀儡政権はバビロンの庇護の下でしか成立し得なかったように、神様と契約した私たちは神様の庇護の下でしか生きながらえることができないことを、決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/ezk.17.11-14.ja1955

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エゼキエル書 17:15-18
「しかし彼はバビロンの王にそむき、使者をエジプトに送って、馬と多くの兵とをそこから獲ようとした。彼は成功するだろうか。このようなことをなす者は、のがれることができようか。 契約を破ってなおのがれることができようか。主なる神は言われる、わたしは生きている、必ず彼は自分を王となした王の住む所、彼が立てた誓いを軽んじ、その契約を破った相手の王のいるバビロンで彼は死ぬ。 多くの命を断つために塁を築き、雲梯を建てるとき、パロは決して大いなる軍勢と、多くの人とをもって、彼を助けて戦いをしない。 彼は誓いを軽んじ、契約を破り、その手を与えて誓いながら、なおこれらの事をしたゆえ、のがれることはできない。」

傀儡政権の窮屈さから逃れようとしたゼデキヤ王は、自分を王に立てたバビロンに反逆し、エジプトに寝返りましたが、だからといってエジプトがバビロン以上にユダ王朝を守るとの確約を得たものではありませんでした。安直に契約を破る者を信頼してより強固な契約を結ぼうとする者など、存在する訳がありません。結局のところ、ゼデキヤはエジプトからの援軍を得ることができず、バビロンの総攻撃を受けて、辛うじて生きながらえたユダ王朝は滅ぼされてしまいました。

http://bible.com/81/ezk.17.15-18.ja1955

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エゼキエル書 17:19-21
「それゆえ、主なる神はこう言われる、わたしは生きている、彼がわたしの誓いを軽んじ、わたしの契約を破ったことを、必ず彼のこうべに報いる。 わたしはわが網を彼の上に打ちかけ、彼をわがわなに捕えて、バビロンに引いて行き、彼がわたしにむかって犯した反逆のために、その所で彼をさばく。 彼のすべての軍隊のえり抜きの兵士は皆つるぎに倒れ、生き残った者は八方に散らされる。そしてあなたがたは主なるわたしが、これを語ったことを知るようになる」。

ゼデキヤ王のしでかした大きな過ちは、神様の御心により自分を立てたバビロンを裏切り、罪の象徴であるエジプトに頼ったことでした。これもまた神様に対する背信行為、偶像礼拝と何ら変わらない構造です。信仰的にも、政治的にも、契約を破り、神様を裏切り続けたユダ王朝には、もはや滅びの道から逃れることはできませんでした。私たちはユダの歴史から賢く学び、自らの教訓としなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.17.19-21.ja1955

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エゼキエル書 17:22-24
主なる神はこう言われる、「わたしはまた香柏の高いこずえから小枝をとって、これを植え、その若芽の頂から柔らかい芽を摘みとり、これを高いすぐれた山に植える。 わたしはイスラエルの高い山にこれを植える。これは枝を出し、実を結び、みごとな香柏となり、その下にもろもろの種類の獣が住み、その枝の陰に各種の鳥が巣をつくる。 そして野のすべての木は、主なるわたしが高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木を緑にすることを知るようになる。主であるわたしはこれを語り、これをするのである」。

21節までは当時のユダ王朝に関する事柄のため神様の解き明かしがありましたが、22節以降にはありません。それは御言葉を聞く私たち自身が考えなさいということです。すなわち聖霊様の助けをいただき、御言葉を自分のものとして受け止めることを求めておられます。ヒントとなるキーワードは「若枝」です。これは聖書の中ではダビデ王朝を意味する言葉で、一度滅びたダビデ王朝が再び芽を吹き、見事な香柏となるという譬は、間違いなく来るべきメシヤ、イエス・キリストの到来を指し示した譬です。神様は、何度も裏切り続けた私たち人間を愛するが故に、キリストの血潮による新しい契約を結ぼうとしてくださっているのですから、なんという恵みでしょうか。私たちはこの福音を感謝して受け取り、主に立ち返って罪を悔い改め、キリストの十字架を見上げてまことの救いと永遠の祝福を得させていただきたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.17.22-24.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/08

2018-06-08 06:35:04 | 今日の聖句
イザヤ書 43:2 新共同訳

「水の中を通るときも、
 わたしはあなたと共にいる。
 大河の中を通っても、
 あなたは押し流されない。
 火の中を歩いても、焼かれず
 炎はあなたに燃えつかない。」

出エジプトで紅海を渡り、ヨシュアと共にヨルダン川を渡り、バビロンの地では燃えさかる炉の中を歩いたように、神の民イスラエルはこのイザヤの預言を文字通り体験しました。主が共にいてくださるならばいかなる艱難からも守られる約束の確かさを、信仰をもって受け止めさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/isa.43.2.新共同訳
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