伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/06/02

2018-06-02 19:20:49 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 11:1-4
時に霊はわたしをあげて、東に向かう主の宮の東の門に連れて行った。見よ、その門の入口に二十五人の者がいた。わたしはその中にアズルの子ヤザニヤと、ベナヤの子ペラテヤを見た。共に民のつかさであった。 すると彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの者はこの町の中で悪い事を考え、悪い計りごとをめぐらす人々である。 彼らは言う、『家を建てる時は近くはない。この町はなべであり、われわれは肉である』と。 それゆえ、彼らに向かって預言せよ。人の子よ、預言せよ」。

エゼキエルは神の御霊に引き上げられて神殿の北側から東の門に連れられました。そこには宮の中で偶像礼拝をしていたサンヘドリンの議員たちとは別のユダの指導者、ヤザニヤとペラテヤがいました。神様は彼らを、悪い計りごとを巡らす者であると断罪しました。彼らの言い分である「この町は鍋であり、我々は肉である」という表現は今の私たちにはわかりにくいですが、肉は最高の食べ物を意味し、鍋はエルサレムを守る堅固な城壁を意味すると考えられ、すなわち彼らの主張は、自分たちは難攻不落の城壁に守られた特権階級だという自意識過剰な思い上がりでした。そのような高慢なエルサレムの人々に向かって預言せよと、神様はエゼキエルに命じられれました。主の御言葉は止められることなく語り継げられ、人々を悔い改めに導くために決して廃れることはありません。

http://bible.com/81/ezk.11.1-4.ja1955

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エゼキエル書 11:8-12
「あなたがたはつるぎを恐れた。わたしはあなたがたにつるぎを臨ませると、主は言われる。 またわたしはあなたがたをその中から引き出して、他国人の手に渡し、あなたがたをさばく。 あなたがたはつるぎに倒れる。わたしはあなたがたをイスラエルの境でさばく。これによってあなたがたはわたしが主であることを知るようになる。この町はあなたがたに対してなべとはならず、あなたがたはその肉とはならない。わたしはイスラエルの境であなたがたをさばく。 これによって、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。あなたがたはわたしの定めに歩まず、またわたしのおきてを行わず、かえってその周囲の他国人のおきてに従って行っているからである」。

エゼキエルがこれらの幻を見せられたのはエルサレム陥落の5年前のことでしたが、神様はすでに城壁が破られたときにヒゼキヤ王が民衆を置き去りにして逃亡を図ること、しかし荒野で捕らえられてイスラエル国境の町リブラでバビロン王の前に引き出されて裁かれることを預言しておられます。それはユダの民が主の定められた教えに聞き従わず、異境の民たちのおきてに従う人生を送ったからで、これらの預言が成就するとき、民の司たちが「私たちは鍋の中の肉である」と語ったことが何の根拠もない戯れ言であること、そして主こそまことの神であることを知るようになると予告されました。

http://bible.com/81/ezk.11.8-12‬.ja1955

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エゼキエル書 11:13-17
このようにわたしが預言していた時、ベナヤの子ペラテヤが死んだので、わたしは打ち伏して、大声で叫んで言った、「ああ主なる神よ、あなたはイスラエルの残りの者をことごとく滅ぼそうとされるのですか」。 時に主の言葉がわたしに臨んで言った、 「人の子よ、あなたの兄弟、あなたの友、あなたの兄弟である捕われ人、イスラエルの全家、エルサレムの住民は言った、『彼らが主から遠く離れた。この地はわれわれの所有として与えられているのだ』と。 それゆえ、言え、『主なる神はこう言われる、たといわたしは彼らを遠く他国人の中に移し、国々の中に散らしても、彼らの行った国々で、わたしはしばらく彼らのために聖所となる』と。 それゆえ、言え、『主はこう言われる、わたしはあなたがたをもろもろの民の中から集め、その散らされた国々から集めて、イスラエルの地をあなたがたに与える』と。」

エルサレムの民の司の一人ペラテヤが死んだとき、エゼキエルは神様に「イスラエルの残りの者をことごとく滅ぼされるのですか」と悲しみながら執り為しの祈りを捧げました。主の答えは、今エルサレムの残っている者が残りの民ではないということでした。なぜなら当時エルサレムに残っていた彼らは!第二期までのバビロン捕囚で連れ去られた人々の土地や財産を、これは神様が自分たちに分かち与えたものだと都合の良い言い訳を付けて略奪した悪しき心の持ち主だったからです。「レムナント」と呼ばれる残りの者とは、たとい周囲の人々が神様の教えに聞き従わず世俗的な人生を謳歌していても、御言葉に堅く立ち主の教えに聞き従い続ける人々を意味します。そして主は、たとい「残れる者」を遠くの地に移しても、再び散らされた地から集めてイスラエルの地を再びあなたに与えると約束されました。今日に至るまで祖国を持たず世界中に散らされていたイスラエル人が、今や続々とイスラエルに帰還しています。これは世の終わりが近づいていることのしるしの一つです。私たちもまた「残れる者」と共に主に聞き従い、世の終わりの裁きから免れさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.11.13-17.ja1955

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エゼキエル書 11:18-21
「彼らはその所に来る時、そのもろもろのいとうべきものと、もろもろの憎むべきものとをその所から取り除く。 そしてわたしは彼らに一つの心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの肉から石の心を取り去って、肉の心を与える。 これは彼らがわたしの定めに歩み、わたしのおきてを守って行い、そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの神となるためである。 しかしいとうべきもの、憎むべきものをその心に慕って歩む者には、彼らの行いに従ってそのこうべに報いると、主なる神は言われる」。

残れる者がエルサレムに帰還するとき、神様の忌み嫌われる偶像や異教の神々はすべて取り除かれ、神の宮はきよめられます。人々の頑なな心も取り除かれ、新しい霊を授けられて、一つ思いになって主の定めを守り、名実共に神の民となります。しかし神様に聞き従わず、偶像礼拝と罪から離れられない者は、その行いに応じて裁かれます。私たちはどちらを選択すべきでしょうか?

http://bible.com/81/ezk.11.18-21.ja1955

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エゼキエル書 11:22-25
時にケルビムはその翼をあげた。輪がそのかたわらにあり、イスラエルの神の栄光がその上にあった。 主の栄光が町の中からのぼって、町の東にある山の上に立ちどまった。 その時、霊はわたしをあげ、神の霊によって、幻のうちにわたしをカルデヤの捕われ人の所へ携えて行った。そしてわたしが見た幻はわたしを離れてのぼった。 そこでわたしは主がわたしに示された事をことごとくかの捕われ人に告げた。

神様がその上に座しておられるといわれるケルビムが、翼を上げてエルサレムの神殿を後にすると、神の栄光もエルサレムから取り去られ、都の東にあるオリブ山にとどまりました。神様の栄光の輝きを失った都に、もはや神の加護などあるはずがありません。その後エゼキエルは現実に引き戻され、再びバビロン捕囚にある人々の元に引き戻され、これらの幻を人々に語り告げました。これは厳しい宣告であると同時に、再びエルサレムに帰還する見込みのある希望でもありました。神様は罪を裁くと同時に、希望を残されるお方です。

http://bible.com/81/ezk.11.22-25.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/02

2018-06-02 07:30:15 | 今日の聖句
イザヤ書 41:13 新共同訳
わたしは主、あなたの神。
あなたの右の手を固く取って言う
恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。

全知全能なる神様が、私たちの右の手を固く握りしめて、必ずあなたを助けるから恐れるな、と約束してくださるとは、なんと頼もしいことでしょうか。万軍の主にすべてをお委ねして、いかなる困難も試練も平安のうちに乗り越える勇気と力をいただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/isa.41.13.新共同訳
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