自宅マンションンの前の道路を、
真っすぐ西に歩いて行くと、
右手に見えるのが、
通称東別院、
広大な敷地に、
本堂が迫る、
東の脇門、
敷地内に石碑、
織田信秀(信長の父)が今川の城であった那古野城を手に入れ、
それを吉法師(信長)に譲ったのが天文四年(1535)、
このとき信秀が新たに居城としたのが古渡城、
四方に二重の堀をめぐらしただけの平城、
天文十五年、
那古野城の吉法師が後見役の平手政秀らに伴われ、
ここ古渡城で元服、
これより吉法師は織田三郎信長と名乗る、
東別院を少し北に進むと、
日置神社に行く着く、
由緒、
永禄3年(1560年)5月、
織田信長が桶狭間の戦いへ出陣する折、
早朝に清洲城を出て本社に到り、
敦盛を舞って戦勝祈願を行い、
軍勢の集結を待ってから熱田神宮へ向かったとされる、
自宅近くにも戦国時代が待ち構える、