多くの人たちが、
古都に惹かれ、
京都を訪ねる、
しかし昨今、
これまでの名所旧跡とは違った所に、
人が訪れている、
ネットが人の流れを変えているのだろうか、
それとも、
京都、
嵯峨野そして嵐山、
その嵐山の大堰川沿いに小倉山、
その低い頂に、
大河内山荘があり、
竹林が広がる、
大河内山荘の庭園奥の展望台、
そして小倉山の展望台から眼下に保津川が望められる、
船着き場が見える、
保津峡(川)は嵐山において大堰川と名を変え、
渡月橋からは桂川とさらに名は変わっていく、
最後は淀川となり大阪湾に至る、
先ほどの展望台からの景色、
左手の山中に小さな堂が識別で見ますでしょうか、
拡大すると、
ここ小倉山に何度か来た時、
川沿いにトロッコ列車が走るのを見たり、
保津川下りの和船を眺めたりする中、
気になっていたのが山中にぽつんと見える、
不思議な堂でした、
渡月橋から大堰川(保津川)の右岸、
ほとんど人通りのない川沿いの細い道を辿る、
左岸には料亭、旅館が並び、
多数の旅行者が行き来する、
船乗り場がひっそりと控えている、
1㎞ばかり緩い起伏の道を行くと、
保津峡となり渓谷の様子を示す、
途中見上げると、
対岸に先ほどの小倉山の展望台を遠くに認める、
拡大すると、
一軒の旅館専用の船着き場、
旅館への入り口、
傍らに、
大悲閣道とある、
つづら折りの石段を行く、
「花の山 二町のぼれば 大悲閣」 芭蕉
小さな山門より鐘楼が垣間見える、
鐘を突いてみると、
染み透るような梵鐘の音が谷間に溶けていく、
先を見ると、
遠くに比叡山が見える、
懸崖の堂、
大悲閣、
眼下に保津峡、
角倉了以、
法衣姿に石割斧を持ち、
片膝を立てて太綱の上に座す、
大堰川・富士川・天竜川・高瀬川の河川開削工事を行った、
角倉了以が晩年隠棲のがこの寺院、
東山三十六峰を手に取る、
御見事、
了以殿、