日本のそれぞれの地に、
朝日ヶ丘があり、
夕陽が丘がある、
そして人には、その人の太陽がある、
思い出の太陽が、時を経てよみがえってくる、
この時期、朝日が美しい、
6時少し過ぎ、
古代の人たちの「太陽神に礼賛」の気持ちも理解、
陽が昇る瞬時、
東京の闇に溶けた屋根に真紅の輝きが射す、
御見事、
みなさん、
明日の朝の楽しみに、如何ですか、
附けたり
「キリスト教保育」10月号『風』
「一緒に過ごした時間」
にわかに肌寒き夕暮れ、みなさんは何をされているのでしょうか。
慌ただしく夕食の準備でしょうか。
それとも子どもたちの帰った教室で明日の準備をされているのでしょうか。
保護者の皆さん、先生方は、
どのようなことを心がけて子どもたちに接しておられますか。
親として教師として、こうありたいと思っていても、
怒りにまかせて叱ってしまうことはありませんか。
毎日が子どものことでイライラ、きりきりしてしまうことばかりかもしれません。
そのような時、
つい感情的になって子どもに八つ当たりしてしまったことはありませんか。
その結果、逆にそのような自分を責めてしまいがちですが、
しかし、
この子育てや教えることの悩みを通して、
私たちも育っているのです。
このことは忘れないでください。
聖書にも、こんな言葉があります。
「わたしたちは落胆しません。
たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、
わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。
コリントⅡ4:16」
そして同じコリントⅡの12:10に、
「わたしは弱いときにこそ強いからです。」とあります。
自分で自分の性格や言動が嫌になることもあるでしょうが、
そのことで落ち込んでしまわないで、
その弱さを知ったことを背中に背負ってみましょう。
すぐに結論を出さないことも必要なことです。
その弱さを知ったことが、
あなた自身を少しずつ内面から変えていくのです。
その時を待ちましょう。
弱さと一緒に過ごした時間こそが、
あなたにとって大切なのです。
人は、居直ることなく、
ましてや奢ることなく、
急に変えられないことは、
静かに受け入れてみることです。
時に、ひとり朝陽を見つめてみてください。