ふろしき王子のブログ◎
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程度の差こそあれ、人生は冒険である。

ゆえに、帰る家そのものは安息の居場所であり
おうちに冒険を求める必要はない。
心身をリセットするにふさわしい機能と防御の安定性が第一だ。

素材は機能性に優れ、形はシンプルなのがよい。

機能的な素材とは

石(人力で運べる程度のサイズ)
木(天然乾燥、またはそれに準じたもので、水分は抜けているが精油成分は保っているもの)
  願はくば、土台に栗 水場に杉 柱にひのき 梁に松 他 樫やけやき。
布(日本においては吸湿と乾燥=透湿に優れた、大麻、亜麻など)
紙(樹皮の不織布ともいえる和紙)
他植物 ヨシ 竹 い草 マコモなど
土 粘土 砂

家を建てる土地周辺、極力近い所の材料を得られるのが理想。

低地、元湿地はなるべく避け、水はけのよい小高い丘が家を長持ちさせる。
また、津波を考えれば、家は標高50メートル以上の土地がのぞましい。
低地は田畑として活用すれば、場所によって下流の洪水を生かすこともできる。

どんな職業の人も、午前中は家から田畑に降りて農作業をして
午後に各自の仕事をしたらよいとも思う。
そのとき、もしも地震や津波があったときにすぐに避難できるよう
たくさんの種類の道を用意しておく。
車の道。大型車の道。自転車の道。徒歩の道。生き物の道。風の道。水の道。

普段は、道の種類によって市場などに生かす。

風景に調和していれば、家そのものの造り、外観は土地ごとに
みな同じでよい。
服と同じで、見た目よりもまず着心地で大切であるし、
着心地がよいから顔色も冴えて美しく見せるのが本当の服、
家も、住み心地が第一であり、個性を出したいなら
部屋の中に好きなものを飾ったりすればよい。
家そのものは、シンプルでしなやかかつ強くあるべき。

絶対に壊れないほど頑強につくるか、簡単に、安全に壊れて、
すぐに作り直せるもののどちらかがよい。

しかし日本の場合は冬もあるから、ジャングルの中で
植物を編んだだけのような家は、海の家や
季節限定の作業小屋ならばよいけれど、住む家はつよいほうがよい。
真の強さを求めるなら、地震の衝撃を吸収する柔軟性と
湿度を調節する素材や造りの機能性が要る。

家を使い捨てで買うならよいけれど、高い買い物であるし
何代にも渡り、メンテナンスもしやすく、年を経るほどに
資産価値まで生まれるような家を建てたいのであれば
直接工務店や大工さんに注文すると同時に、
素人ながらも希望条件をきちんと伝えて、それを
嫌に思わない職人、専門家を選ぶべきである。

これはとっても個人的な趣向なのだけど、
僕は、本当は材木も使わなくてよいと思っている。

家が生きるために不可欠ならば、誰もが
易しく作れるものであるべきという考えなので、
風で折れた枝や幹で、人力で運べる程度のものは使うけれど、
材を挽く作業は大がかりに感じてしまうのだ。
いつの時代の人間よ?と思われるかな。

それよりも、竹の骨にヨシの壁を麻で編むような、
どちらかというと樹よりも草を使いたくなる。
草原の騎馬民族の遺伝子なのか。

あとは、土や貝殻の粉に麻の繊維(スサ)や海藻(のり)を
こねた土壁を塗り、土台は川原の石を焼いて、割れなかったものを積む。

家に冒険は要らない、と書いたが
傍目にはとっても冒険しているように見えちゃうでしょう。
たとえ崩れても大怪我せず、煙を吸っても死なない安全な家だょ。

だけど、このくらい極端な希望を叩き台として、
建築基準法に落とし込んでいったほうが
真に心身に嬉しいおうちになるでしょう。

注文住宅は高くなると思う人もいるでしょうが、
それはハウスメーカーにおいて、規格外となる場合であり、
直接大工さんや工務店の、良心的な人や会社を
探し求めて注文すれば、同じ予算で、きっと
もっと住み心地よくて長持ちする家が建てられる。

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おはようございます。

熱や頭痛はありませんが、喉はまだ傷んでいて
痰が出ます。
マイペースに坦々と、確実に蘇生して参ります。

ここの所、夕立がなくて
今朝も一瞬小雨があったかなと思ったら止んでいた。

雨は汚染物質も落とすけれど、大切な水を注いでくれる。

原発事故による放射能汚染も、上空のジェット氣流などに乗るから
原発周辺は確かに桁違いであるが、
先日、マップを見たところ、
東京も沖縄の宮古島も、あまり変わらない量の汚染がある。
また、チェルノブイリ原発事故に伴うロシアの基準に則れば
静岡までは避難区域となる。



僕が大好きなカエル。

この 蛙が  物いわず たんたんと 暮らしているのですが(雨や恋の時期には鳴くかも)、
同じ生態系の環にある。草も虫もカエルも小鳥もヘビも、
安心して午睡したり歌ったりはばたいたり泳いだりできる環境にもどさないと。
震災以前の環境汚染も含めて。

人はいま、確かにお金が無いと生きていかれないかもしれないが、
その為に、色んなことに目をつぶったり、騙したり、諦めたり、
他の命を犠牲にしたり、優先順位が偏ったりすることは
いのちにとって、大自然、地球にとって、結局自分や家族友達子孫にとって
暴力的破壊的につながることはいっぱいある。
それでも事なかれ主義で心がとてつもなく濁る。
本当に追い詰められないと、〆切り前夜のように また共通の敵がないと
動き出せないものなのか。
もちろん、誰かに煽られ扇動されて、おかしなベクトルに一丸となってしまう
危険性は、ネット社会では急速に進むこともあるから
冷静、慎重さを保つことは大切。



結局はどこで判断するかということ。
頭で考えて? 心で思って?  魂で感じて?   細胞に任せて?
自我を超えて?     人はいまのステージで、一歩ずつしか進めない。

解決方法が分からないことに対面した人間は、祈りや瞑想、言霊の世界に入ることはよくあるが、
それが妄想の中での至福に別離されることのないよう、きちんとそこで得た氣づきを
現実世界へ還元させるべきである。

さもないと、かえって表面的な印象判断に陥って、
にこにこ笑顔の美声の裏にある本音の黒い部分を見抜けなくなる。

どんな状況にもただ感謝するのは、支配者に好都合な現状維持の奴隷たるまま、と以前書いたが
最近流行りの、引き寄せの法則というものも おそらく 呪文  魔術的な技法であり
動物霊に助けられるがごとく その願いが 本当に必要かどうかに関わらず
他のもっと大切な所を犠牲にして叶える という点があるのではないか。
(まあ、このブログは僕の思うままなので、根拠は無いし信じる必要もなく
 逆に僕に対して批判を送ってくださるほうが、老婆心と受け止めてありがたいのですが)
たとえば、生まれてくる子は絶対じぇったい! 可愛い顔がよいよい!!
って、理想とする顔の写真などをボードに貼ってひたすら念じつづけたら
うん、可愛い子が生まれるかもしれない、引き寄せの法則で。
だけど、もしかして 顔は思い通りになったけど、性格がよくなかったりとか。

宇宙は いつでも 大切なことを 教えて 氣づかせ 導いてくれる
それも いつだって 自然なかたちで。
時には一瞬の勇氣だって必要だけど、タイミング次第で、勇氣がなくても体が勝手に動くものだから、
あまり 極度に緊張するとか あせらされるような事案は 自分自身が
不安定にあることを表している。
いつも安定を意識して、自分の足元にある事をたんたんと拾って洗って片付けて
いっぽいっぽ歩いていくことだけが、内側からつやつやきらめく人生の道を造ることになる。



トマトを日蔭にするから剪定したツツジも、勝手に伸びてきたカボチャの支柱となり、
その葉は猛暑の中の、あまがえるの休憩処となっている。
目に映るものは全て完璧だ。
その中で、きみが動くことで、また新しい完璧が創出される。
何をしたってよいから、楽しんで動いたり、休んだりしてげんきに生きよう!!!

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