ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



おはようございます。

小庭に、ささやかな田んぼがあるため
毎朝、お風呂の残り湯(冷めている)を
田に注ぐのが日課です。

稲のみならば、多少水が切れてもすぐに枯れることはありませんが

何しろ、メダカとヌカエビが息づいているので

外出中、雨が降るとほっとしたりします。
そういえば、昨日は 午後に雷と大雨がきました。

ちょうど、息子と産院に着いてほどなくで
濡れずに済みましたが、

かみなり明けの爽やかな帰り道
(確か、地上にプラスイオンが増えると落雷して、マイナスエレクトロンで中和し
心地よい状態に安定する)

一本で帰れるはずの京王線が、稲妻による信号機故障で止まっていまして、

本来、産院から自宅まで1時間弱のところ、バスや電車の乗り換え、徒歩による
迂回で、3時間強かかってしまった。
さいわい、息子はぶ~たれることなく乗車を楽しんでいました。


さて、暑いながらもだんだん日が短くなってきましたが、
8/24(土)に、とってもおすすめの講座があります。
なんと、1時間の実習とお土産のふろしき付きで参加費700円。
場所は小田急線東北沢の駅からすぐで、下北沢や渋谷、新宿などからも
行きやすいと思います。16時~17時。

申し込みは、以下のページの、8/24(土)の案内に
ふろしきワークショップとあるので、
「要予約」をクリックして、お手数ですがお申し込みください。
先に郵便で振込みとなります。すてきな風呂敷をお持ちします。

→→夏のふろしき講座!


色んな荷物を抱えつつ、息子と手をつないで産院へ通うのも、
風呂敷のお蔭で、疲れず安全に運べています。
現在2冊目の本を作っていることもあり、分かりやすくまとまった講座になると思います。
この機会にぜひ一度、風呂敷の奥深さを体験してみませんか。

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出産後、母親と赤ちゃんが数日入院している間、

僕と息子は毎日通いながらの二人暮らし。

食事はとても簡潔で、基本一品のみ。
盛る大皿1枚に取り皿2枚だけで、洗い物も楽じゃ。

8/9の夕食 油でズッキーニと残りご飯を炒めて塩で味つけて完成。以上。

8/10のお昼 塩むすび きゅうりの糠漬け 味噌 庭の青しそ(息子は食べない)。

   夕食 小麦粉に、刻んだ小松菜と万能ネギと塩を混ぜ、油で焼いたお好み焼き。
      息子はそれに醤油。僕はナンプラーと黒酢をかける。

一品なので消化がよいのか 目覚めもよいです。
あと、いつもは少し食べ過ぎだったのかも。


毎食、何十品目とか、摂る必要はないと思う。
そのとき豊富にあるもの、旬のものをメインに
体調や氣分に合わせて調理(ことわりをととのえる)すれば体は喜ぶ。

今日のお昼は何としょう?

昨日大家さんからいただいたゴーヤはあるが、いずれにしても
今日は油ものは食べたくない。
昼はやっぱりおむすびでよし。

そうそう、糠漬けや浅漬けは常備しているのと
庭のミニトマトは赤くなれば頂戴しているので
新鮮さや、生きた酵素が 簡素な食事を彩っている。

まして真夏。
体温から奪われるカロリーが少なくて、
逆に上がり過ぎないように、果物やウリ科、ナス科で
さっぱりと保つのがよいね。

とにかく、冷蔵庫の中の物を忘れて腐らせることのないよう
家の中で食材を採集しながら、男二人暮らしを遂行いたします。

僕一人であれば、週に1度、小麦粉とそば粉にレーズンと塩と水で練って
鉄鍋で焼いたどっしりパンを日々かじるだけの食生活になりそう。

また、食材がよいものほど低分子のため、熱をあまり加えなくても味が出ます。
(よいお茶ほど水出しできるように)
熱する料理というのは、細胞を破裂させて味を出す作業でもあります。

日常の食事は、手間やエネルギーをかけすぎず、時間を味方に(漬物や保存食など)して
焦らず、美味しく、心身によくありたい。
高度な調理技術やレシピを守る以前に、素材の性質を知った上での中和と、食器も以外と大切でしょう。

まあ、自分(作る本人)がそのとき食べたいものを作れば間違いない。
(たとえ家族が食べてくれなくても、自分の好きなものなのでさほど困らない)。



この暑いさ中、アマガエルは健在でおはしました。



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昨日、2013年8月9日 午前10:06に
二人目の子どもが産まれました!
予定の8/16より1週間早い。
体重2806グラム、産院に着いて1時間の安産でした
(母親当人は痛くて雄叫びを上げていたそうです)。
後から息子と駆けつけたときには既に生まれ出でてました!
女の子です。
生き物みな平等で、表面的な溺愛はしないと思いますが
(早く自立させるべく、できることは手助けしない)
子ども用の服を手作りするのが楽しみです。



長男虎之介のときは、予定より1ヶ月以上早く産まれて、このたびは1週間と、
せっかちな家系なのか。僕が早口の江戸っ子なので、長女の名前も
「よしきた、あいよ!」ってな感じで名付けるかもしれません。
ここしばらくは主夫業を併せることになるため、早起きによってマイペースを保ちます。
重ね重ね、ご祝福の声援に心より感謝しております。





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庭の木蔭の落ち葉の下に、キセル貝。



実家の4階ベランダは昔、うっそうと樹々の茂れる庭園となっていた。
鉢植えでなく、直接土が敷いてあったので、数十年して階下に
雨漏りが発生し、残念ながら解体。僕が小学3年くらいまであったかな。。

記憶では、松、カエデ、ススキ、アヤメ、アジサイ、池(祖父も蛙好きだった)
ササ、他、子どもにとってはジャングルのようであり
都会ながら自然たる原風景を持つのはこの庭のお蔭ともいえる。
トクサのエリアもあり、その中に、このキセル貝が棲んでいたな。


庭園が無くなってからも、プランタや鉢植えはたくさん並ばって、
中1からはニワトリ(チャボ)を飼いはじめ、
はじめは鳴き声を考慮してメンドリだったが
どうしても雄を飼いたくなり、結局小屋まで建てて
チャボを毎年のように殖やしていた。
生長した若鶏はペットショップに譲り、普段は卵を頂戴した。


30になってから、念願の1階の縁側+庭(狭小だけど)の
平屋の長屋に移り(小平市)、
2年後に現在の日野市へ。ここも1階で庭。

何となく、放任と手入れをしていると
徐々に生き物の種類が増えてきて、
カナヘビにニホントカゲも加わったり。
ひきがえるが棲み着いたりと。
そして久しぶりにキセル貝と再会できました。


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月末あたりに、新しい本の撮影があるのですが

前作同様、モデルは著者本人で

根暗ながら目立ちたがりの僕のハートを湧く沸くはさせますが、

普通の、柄無しのズボンを持参しなければならない。

えっと、僕の持っている長ズボンは、手作りの麻の  ボヘミア~ンなもの以外
ひとつも無い?  否、結婚式やお通夜時に履く、高校時代の学生服のズボンだけです。

実家を引っ掻き回せば 何かしら見つかるかもしれないけど、
20代で数回、要る要らぬの直“勘”のみの、極端なダンシャリを
ものしているから、本当に無いかもズボンは。

チノパンやジーパン(穴無し)とございます。

すぐ近所にユニクロあるんですが、嫌いなもんで、
じたばたしてどうしょうもなかったら諦めて折れますが、
買うなら、撮影以降も履きたくなるような、
氣に入って、長く愛用できるものがよいです。

さて、ちょいと先かもしれませんが
9月10月に、1回ずつ
立川のすてきな着物屋さんでふろしき講座を開催します。

きものりさいくる工房 五箇谷(ごかや)さんというお店で、
リサイクル、アンティークな着物を良心的なサービスで案内されています。
もちろん、ふろしき講座の後に着物を買うようすすめるような流れは
ありませんのでご安心ください。

僕のホームページにも告知あります。

よこやまいさおのHP

洋服またはお着物でご参加ください。

9/28(土)と10/26(土)の開催で、各回とも13時~15時。
参加費3150円。
2時間たっぷりで、一生ものの技を身に付けます。
普通の本には載っていない技が半分以上なので、興味ある方はぜひ。

申し込みは、メール isamix@gmail.com(@を小文字@に変えてください)
までお願いします。

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昨日の夕方は大雨でしたが、田んぼにはこまめに水を足しておこう。
台所はしょっちゅう使うものだから、その排水を
庭のビオトープ(ヨシやマコモで浄化)に引いたものが
田んぼに流れる、という仕組みをいつか作りたい。

今日もこれから、風呂敷の使い方イラストを描くのと

ヨガマットのカバー生地に柿渋などを塗る試作をします。
(僕は現在ヨガをやっていませんが、20代のころは京都に通ったりしてました)

ウォーミングアップ?に描いた、先日再会した友達の普及しているアクロヨガを
モチーフにしたイラスト。




似顔絵などと違って、見ないで描く絵は
骨格とか、シワのつき方とか、自分なりに知識や法則を持っていないと
難しいですが、全くの我流なので、今後も日々精進しようと思います。

アカシックレコードリーディング(何でも分かる?)のあみちゃんにも
「功くんは、絵を描くことが自分の癒しになる」と教えてもらったので
ひとつのライフワークとしてつづけて参ります。

ちなみに、絵の好きな子が 美術大学に入ったとして、
そのうちの多くの人が 絵を描かなくなる傾向があります。

だもんで、
絵を本当に究めたい方は、予備校でデッサン(見たままの形をとる訓練)をして、
できれば東京芸大を受けて、がんばって合格して入学したのち
早めに中退して、我が道を行くというのも、
一つの覚悟ができてよいのではないかと
改めて考えるときがあります。

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昨日わが家に、アクロヨガというものの普及を行なっている友達がいらっしゃって、
ヨガマットの素材や染め方などについて話し合ったり、実際に加工
(滑りどめにみつ蝋をひいたり、刺し子をしたり)してみました。

僕も前にちょっとだけ体験し、その光景を目の当たりにしましたが
まるで曲芸のような新鮮さでありながら、それこそ筋肉の肉ではなく、
インナーマッスルである筋を生かした柔軟性とバランスの上で
成り立つ新境地感覚です。



さて、この頃は2冊めのふろしき本の使い方イラストを描きつづけていますが
暑さや雨によって、庭の植物は自然にぐんぐん伸びています。
(それでも、風呂の残り湯で水やりは毎日。メダカが干上がらぬよう)

今日の新たしき出逢いは、なんと うっとこの庭にニホントカゲ。

カナヘビはいっぱいいますが、種類の違うトカゲである
青いしっぽで体のツヤもあるニホントカゲは、
乾燥地を好むカナヘビに比べて、逆に湿り氣の土地を選ぶようだが、
田んぼの水のにおいに誘われてどこかからやってきた様子。



カナヘビは、日なたぼっこしているとカメラを近づけても
あまり逃げずにカメラ目線でさえあるが
ニホントカゲはさっさと行ってしまった。

庭には、アゲハやしじみ蝶が来て。アシナガバチは田んぼの水を飲んだり
古いヨシズを巣材にするためにかじっている。




自然に伸びてきたウリ科。
このヨシズの裏に、野菜くずを放ってあって
だんご虫とナメクジをメインに、様々な小動物が分解している。
水が溜まらなければ、臭いはない。

裏庭には変わらず、大きなヒキガエルが陣取り、
葉っぱにはオンブバッタ。ミノムシは蛾になって飛び立ち、空っぽの蓑。

夏は短い。やっぱり、早寝早起きで、効率的にやるべきことをこなしていこう。


風に泳ぐヨシ。

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土曜日の夕方から、念願?の盆踊りで太鼓を打ちました。

僕は、故郷浅草の東京本願寺の盆踊りで、小学生のときに太鼓をはじめた。
一昨年は、当時住んでいた小平市の町内の盆踊りで打たせてもらったが
ここ日野市に移ってからははじめてです。


元々の、ここで太鼓を打つメンバーに、ちょっと混ぜてもらう感じと思って
行ったら、他に太鼓を打ちそうな人が見当たらない。

結局、僕と、もう一人の男性の2人で交代しながら
4時間打ちつづけました。


からだの重心が低ければ、腕を振るうとて全身運動となり
どこか一箇所の筋肉が疲れるということはないと
分かっていても、さすがに4時間を2人でという経験はなかった。

水筒3本と、塩の入った小びんを持参していたので、
こまめに水をすすっては、手の平にポンポンと塩を振ってなめた。
この頃の東京は、30度を越えないときがあるほど、
猛暑という暑さではないが、それでも打ちつづけていれば汗をかく。

お昼に、妻の打ったうどんを食べて、夕飯は食べないまま
打ちつづけましたが、特にお腹がへることも
腕が痛くなることもなく、無事に終了しました。

途中で右手のひとさし指を打って痛くなりましたが、
ひとさし指は元々、力んで使わずに添える程度のもの。
だからこそ、握らずに浮いていて
ぶつけやすかったわけですが、不都合はない。


とにかく、いつも部屋で色んな楽曲(ポップスも含めて)に
合わせて素振りしていたのが、本物の太鼓でたっぷりと
打たせてもらったので、一つ夢が叶ったといえるかもしれないが、
今度は、何かのライブでセッションしたいという野望もある。

踊るのも好きで、この頃は歌うのも苦手意識がなくなった。
息子を前に乗せて自転車で八王子まで往復1時間弱の道中、
ずっと歌をうたいつづけていることで
声が鼻に抜けずに、ほとんどを音として歌い出す感覚をつかんだ。

先生は息子です。子どもの、ほんっとによく通り渡る声に
触れながら、真似をして身につけました。

親と子。進化しているのは子どものほう。
これからも、色々学ばせてほしい。


太鼓を打ったり、踊ったり、歌ったり、そして
風呂敷を結んだり、縫ったり染めたり、服をつくったり
絵を描いたり、忍者教室をしたりと、
かえり見れば色んなことをしていますが、
全てに共通する、低い重心による安定と、
それによって自由にコントロールできる動き、
そこから発せられる表現が、どのように変わっていくかという
好奇心が源にあります。

人々ひとりひとりが、自分で色んなことをできる という下地の上に、
その中でも抜きん出る人がいる、という状態がよいと考えている。
はじめから餅は餅屋、ということで自分の専門以外は
全く知らず存ぜずという世の中では、柔軟性や助け合いが
非効率になったり、簡単に騙されることにもなる。

極端にいうと、僕は、高度な職人技は必要ではないとすら考える。

人が生きていくのに必要な技術が、それほど難しいものであってはならない。
必要に迫られて練習すればどんな人でも習得できるレベルがよい。
あとは、材料そのものの質を高めればよいのだ。

素材がよくて、技術はシンプル。

その上に、達人級の人が現れて、それは趣味や道楽、芸術の
領域として、生活必需品には求めていない。

むしろ、本当に高度な技術ってのは即ち、
よい素材を育てたり選ぶことじゃないか。


夜に書いていると、文章が流れやすく、きりがないので
そろそろ寝ます。
現在、2冊目の本を製作中で、使い方のイラストを描いている。
誰よりもお金のない私ですが、色々なご縁をいただいて、
やることがある ということはとても有難いことです。
生き物にとって大事なのは、居場所だから。

自分の世界や思いの中を居場所にすることもできるけれど、
人は他人との結びつきや関わり合いをどこかで欲するもの。

そういう意味でも、日々このブログを覗きにいらしてくれる
幾百(盛っている?)の、中には顔も知らない方々の
まなざしが、おのずから応援となって、僕のエンジンの
潤滑油となっています。感謝! でっかく、やさしく、いっぱい、さちあれ。


(なぜか、つづく)。

ふと考えを思い返したので書きます。

つらいことをつらい、とか
こまったことを困った、 嫌なものは嫌 と
何かに抵抗したり拒否する言葉を発すれば、

スピリチャルな方(一部)は、
そういうネガティブなことを口に出しちゃだめ。
より濃く、現実化するよ。と言う方も
きっといるんですよ。

ただし、 ね  それで得をするのは支配者と思いませんか。
奴隷が、不当で過酷な労働を強いられていたとして、
それでも、マイナスなことは声に出さないほうがよいと、
「楽しいね~。しあわせしあわせ」と言っていたら、
その搾取はなくならないかも。

本当に、ポジティブに生きるってのは、
ネガティブなことをネガティブととらえないこと。

「つらい、しんどい!」と叫ぶことはネガティブなのか?
それによって、状況を改善し、心からの笑顔を生む
きっかけになるとすれば、振り返って、あのように
悲鳴を上げてよかったということにもなる。


汚い川に浸かって、「きれいだね~うつくし~」と言いつづけるのが
ポジティブでよいことなのか、
「げえっ  きたない!!!これはまずいぞ」と抵抗を示し、
実際に汚れの原因をとって、真に美しい川にするのと、
どちらが、手足を持ち、行動や協力のできる人にとって
自然で、誇りのある姿勢といえるか。

聖人を演じなくていいんだ。泥臭く、愚直にたんたんと、
自己中で、ときに役立たずでいいから、周りに合わせることもなく、
素直なあなた、そのままでいてほしい。
たくさんの刷り込みを払い捨てて、馬鹿勇氣の扉をひらけ~。

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いつもこのブログに来てくれて、ありがとうございます。


コップが割れて、破片が飛び散った床を掃除すれば、
ガラスのかけらを丹念に探しながら、
それ以外のごみやホコリもきれいに拭き取り、
失せ物さえ見つかったりして、結果
コップを落とす前よりもずっと美しい状態になる。

これは逆に、床が汚れているという不安定が
コップが落ち割れる不安定を呼び、
表沙汰にして、掃除せざるを得なくして
安定状態へ還元させるという法則でしょう。

本当は、そうやって表に目立つことが起こる前に
氣が付いて、床を佳きに調えておくことが大事だけど。

現在の、放射能汚染の問題もそうありたい。


もともと、放射能以外の様々な汚染が
日本や世界各地、そう、地球がだいぶんに汚染されていた。
ダイオキシン、環境ホルモン、農薬、肥料、
PCB、鉱毒、ヒ素、水銀、髪染め、パーマ液
界面活性剤、シャンプー、歯磨き粉、入浴剤、
リン過多 などなど。
何だって、もとは地球の物質だけど、他の安定物質を侵す
不安定な化学的な結合物質が数百万種類と存在する。

そういう物質を測定するまでもなく、
近所の川の水をそのまま飲むとか、泳ぐことができず
目に見える生き物の種類や数が少ない、地域で自給できていない、
花粉症、アトピー、うつ、様々な病氣、治らない医療
を見ても、生きものが生きものとして
今いる場所で、何ちゃあなく、健やかに生きていて
歌ったり踊ったり、家族や仲間と生活や物や芸術を
つくっていくという、本来当たり前の環境がありません。


先日、ひと昔前(埋め立て前)の浦安の写真展を観ましたが
当時の東京湾の参考写真
現在夢の国のあるこの土地は、僕の生まれる10年前までは
アサリなどの貝や海苔作りを生業に、田んぼもあり、家と道の境が分からないくらい
町そのものが仕事と生活の場として人々がつながっていた。
誰かが作って用意した、受身の夢の国ではなく
自ら積極的に、あらゆる機能を利用して夢をかたちにできる町だったといえば言い過ぎだろうか。
当時は、他の町と比較して貧しい村、と思われていたかもしれないが
実際、写真展の写真を撮影した人の話でも、

自転車で東京まで貝や佃煮を売りに来る男性が、わが町浦安の自慢話ばかりしているのを
聞いたのがきっかけという。

僕も、同じ感覚を持って当時に生まれていたなら通っていたかもしれないが、
大切なのは、どこか特別な町まで足労して出かけるよりも、
どこの町も、その土地の特性や環境条件を生かした産物を生業として
最低限の自給自足状態、たとえ橋が封鎖されても、衣食住を自立できる
状態を保っているべきだ。


話が戻るが、もともと環境汚染が飽和地点に迫っている中で、
原発の事故が起きて、ほら、もうとっくにやばいんだから
これをきっかけに、今までの様々な汚染もひっくるめて
環境蘇生しないと、滅びてしまうよ、というメッセージに感じる。
実質的には物理化学的な制御不能が問題であるから、
その解決にも、進んだ科学が先決である。
思いや祈りは、三次元(手足を使った実地たる行動)でやれることを
やり切った上での、またはセットで要る話だ。



願はくば、福島を中心に真の環境浄化を達成させ、過去それまでの
汚染までもすっきりと回復させて、福島を本当の夢の国にしたい。
現在の除染活動は、表土を全て5cmはぎ取るという
途方に暮れそうな手間をかけ、しかも取った土の汚染は何も解決できないまま
ただのビニル袋に入れて積んだり、子どもの遊ぶ公園の地中に埋めているだけで、

畑にいたっては、ただかき混ぜてすきこんでいるだけだ。
線量も変わらない。
線量(シーベルト)は空間の平均値であり、地面からの高さによっても変化する
あいまいなものだから、
放射性物質そのものの量(ベクレル)を、確かな機器できちんと測定しなければいけない。

ハーブ料理とか、 夏休み 子どもが川で遊ぶ体験とか、キャンプ、バーベキュー、
何もかも、きちんと放射能を測定した上で開催を決めたり、
数値を発表した上で、参加するか選択できるようにすればよいのに、
はじめから、全くそのことに触れないというイベントや集まりが多い。
本来健全で、心身にとって有用なことであっても
場合によってはまるで逆に、命を縮めたり、将来にわたる心身の苦痛の
原因のひとつになるかもしれないのに。  ただ、
そのように危惧する人は、とっくに移住していて
薄々(または濃々)問題と感じていながら、解決策も分からないし
仕事などの事情で避難もできないから、みなと同じく行動して
運命に任せよう、といさぎよく開き直らざるを得ない親たちもいらっしゃるでしょう。

精神衛生上、安心というのは大きな影響を及ぼすが
どんなに大丈夫と思ってもお尻に針が刺さっていれば痛いし
100万回「ありがとう」と唱えても、塩酸が飲めるようにはならず、
汚れ散らかった部屋で瞑想したりアロマを焚いても真の至福はない。

放射能が安全か危険かを議論する前に、ただ中立的に、測定した
数値を発表して、あとは自分で判断できたらよいが
測定自体をせずに、または数値を発表しないというのは
かえって怪しく思われて当然。

実際の問題よりも、世間体、空氣を読む、その場の事なかれ主義を第一に
村の共同体で生きてきた日本人は、大事のときも出る杭や変わり者に
思われるくらいならば、子や孫もろともみなで滅んでもしょうがないという
あきらめがあるかもしれないが、日本人は、99%追い込まれても
最後のひかり一滴で、本当のこころで起き上がって
いのちはぐくむ道をひらいていくものである、と信じている。

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もうすぐ子が生まれる、そのお腹。

着ている服は、大あさの長方形の生地2枚を紅花染めして
なみ縫いでつなげただけで、ゆったりしています。

そのおなかは、まるでスイカを丸飲みしたかのごとく
ぽっこーりとふくらんでおります。




さて、明日は近所の盆踊りで太鼓を打たせてもらいますが、

その時用にと、浅草の実家からハッピを持ってきた。
これは、父が若い自分に町会の青年部で、祭りなどで着ていたもの。

現在、その青年部はもう無いと思われますが
半纏というものはなかなか長持ちしますね。
それでも、毎日の仕事着のように着ていれば
さすがに色が褪せてくるから、そうなったら
庭で藍染めを重ねよう(染めない部分には、あらかじめ
米や小麦の粉のノリを塗っておく)。

太鼓のばちは、堅いシラカシ製です。
しょっちゅう素振りをしていたので
本番前によく拭いておこう。


追加

かぶと虫のエサは、ほぼ完全にバナナ酒と化していて、
甘みが残っているか味見するのがささやかな楽しみになりそう。
普段家ではお酒は飲んでいませんが。

特にかぶと虫は酔っ払う様子もなく
甘栗のようにつやつや輝き、まるっと健やかです。

おおそうじゃ、
陶器のカメで、同じようにつぶしたバナナと水(と塩少々)を入れて
発酵させれば、いつでも自家製のお酒が飲めるじゃん!
それって密造酒か。でも、かぶと虫のエサやねんて言えばよいから。

毒や食性は別にして、本来は、ペットの餌であれ
人が食べられる安全性がほしい。
ドライのドックフードやキャットフードのほとんどは油で揚げてあるが、
おそらく廃油同然の油を使っていて、粗悪な材料と相まって
とても酸化されているだろう。

犬や猫は本来肉食獣だから、飼うならば骨や皮、内臓、卵などの
所在の知れているものを与えたい。

とにかく、用途が限定されるものは、危ないものや極端なものが多い。
多機能・多目的で、工夫次第で何にでも使えるのがいい。
つなげるつもりは無かったけど、風呂敷はまさにそうだね!

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