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先週の金曜日8/9に第二子となる長女が生まれました。
名前は、横山亜依(あい)である可能性高。

ちなみに、僕の誕生日は9/9、妻は7/3、息子は1/3 と
3日か9日に集中しています。親族って、何となくそういうご縁が
多いような氣がする。

特筆すべきことでもないですが、1/3と8/9は正月とお盆のため
帰省している人がたが多く、子どもの誕生日会は家族でささやかに、
となるでしょう。

パーティーといっても、うちは普段が質素なので
「誕生日にはお肉を食べられる!」とか
「重曹でなく卵でふわふわのケーキを作ってもらえる~」という
ふた昔前の情緒を醸すことになるかもしれない。


妻は息子を産んだとき36才、このたびの出産時は40才と
今では珍しくないが、高齢出産に入るでしょう。
(昔は、一子を20才前後で産んでも、
40代まで5~6人産みつづける母親も多かった)

お蔭さまで安産でありましたが、
本当は、個人差はあるけれど
お子を産むのは若いときの方が体力的にも楽でしょう。
逆に高齢になるほどに、生むからには
普段から健康管理を保つべきです。

医者や薬が体調をととのえてくれるのではなく、
自分の免疫が正常に働くようなライフスタイルの
一日一日が、心身を安定させる。

学生時代まで、はつらつ、ピチピチだった女性が
過去のジェンダー闘争で勝ち取った
男女の雇用の平等な社会に飛び込むことで、
実際は男社会の型枠とインフラに過ぎないために
心身疲弊している現状は社会問題とも思う。

男同等の状況を求めるのではなく、女性の
こころとからだのしあわせによりふさわしい
仕事環境への進化を、今後は運動すべきだろう。

その一つとして、子育てを終えた、あるいは子育て中の
女性が、希む仕事に就くための支援制度が整っていれば、
先に子どもを生み育ててから働く、という選択肢に
躊躇する方も少なくなる。

少子化への対策をする必要があるのか、
また、国は本氣でしたいのかどうかは別として

本当に子どもを増やすためには
若さとお金と周囲の協力が鍵でしょう。

若いほど手持ちは少ないので、子どもを生み育てるにあたって、
税金や生活運営費(光熱費など)の控除を取り入れ、
周囲は、家族や親戚から知人までが、
生まれてくる子、育つ子どもたちを共通の宝として
住居、食料、育児、教育、金銭について
協力し合うという社会情況(昔は、比較的そうだったと思う)が
あらまほし。

生き物が子孫を遺すことは、自然な営みであるから、
それにあたって抵抗となる現実を解消しさえすればよい。
実際、時代や国によって、貧しいほどに子沢山であったわけだから
普通に暮らしていくだけの所に足枷となる様々な制約を
取り払えば、少子化(を問題とするならば)は起こりようがないだろう。

イメージとして、南の島でみなが自給自足して暮らしていたら、
自然と子どもは増えると思う。
支援の前に、要らんことを無くせばよい。

電氣という存在はまことに便利で、もはや不可欠といってよい
世の中にあるけれど、技術がまだ未熟で、送電中に7割逃げて
非効率、しかもそれは電磁波となって心身を酸化させる。
携帯電話やパソコン、テレビ、電子レンジなども
ほどほどにして、より体、手足を使う習慣に移すように
家では固定電話同士にしたり、手紙を書いてみたり、
直接逢ったり、情報ばかりでなく全身の五感で体験、
散歩して、近所や町の人たちと交流する、
シンプルでよいから、きちんと調理する
という、遺伝子にとってなるべく自然なかたちを選ぶ。

特に、将来子どもを生む女性は、自らや環境を毒する
選択をとらないよう、自発的に勉強しよう。
出回る情報は、スポンサーの宣伝に過ぎないから、
真実とは異なる場合がある。

髪を染めない  パーマをかけない(除草剤以上の劇物)。
シャンプー(シリコン塗料)やリンスで洗わない(石けんも体には必要ない)
入浴剤は入れない。歯磨き粉は使わず、ブラシで歯間を掃除する。
電子レンジや電磁調理器は選ばない(いずれ無害なものに進化する日まで)。
掃除や皿洗いに合成洗剤を使わない。
家庭の園芸で、わざわざ殺虫剤や除草剤を使わない。
化粧は必要だろうが、多くの化粧品に問題あり。
こういうことは枚挙にいとまがない。

そんなにあれもこれも駄目と否定したら、生きて行けない、と思う人も
いるかもしれないが、
色んなものを使わなくてもよかった、というのはかえって楽ちんになるし、
他の、代案を考えるのがクリエイティブで、積極的な生き方。
代案は、何かを排除して代わりのもの、だけでなく
そのままでは毒のあるものを、どうしたら中和できるかという科学でもある。
油っぽいからと野菜いためを捨てるのではなく、そこに
酢を加えたら、さっぱりと美味しく食べれた、というのも微笑ましい。
様々な視点からの情報を知った上で、判断は個人の自由、というのが
平等だ。

100種類の包丁を使い分けているつもりでいたが、
実は、すてきな一本の包丁で、よりよく事足りる上、
今までの100の包丁は、知らずに足元に落下して
床や足を傷だらけにしていた、というのが、
便利なようで命は悲鳴を上げているこんにちの現実。
そのとき、今までの100本の包丁を処分するのではなく
焼き、鍛き、ときに溶かして加工し直し
それらを100本のすてきな包丁に生まれ変わらせ、
100人でシェアするというのがよい。

医療も、外科的な最低限のもの程度でよかろう。
病氣になったら医者や薬に治してもらえるという意識は
怠惰を呼ぶが、
自分の身は自分で調えなければならず、依存できる存在もない
という状況のほうが、いつも凛として
自らの心身と対話し、小まめなバランスを保つことになり
医療が行き渡っている世の中よりも健康な人が増えるでしょう。

何万年も生き抜いてきた遺伝子を持つ人類ならば
地球上の環境で病に倒れるというのは、
他の動物と比べても、特殊なケースといえるけれど
200年前からの、産業革命によって、様々な
今まで経験してない化学物質が作られて
有害に作用している中での適応期ともいえる現代は、
やはり積極的に健康へ導く必要があるでしょう。

本来は、病氣にならないことが当たり前で、
健康に意識を傾ける必要もなく、
みなで歌って踊って、愛し合い、
芸術を生み出すのが人なんだけど。



カブト虫を鳥カゴで飼っている。
ときに逃がしたくなるけれど、近所で唯一かもしれない
樹液の出るクヌギは、先日スズメバチが居た騒ぎがあり、
誰かが幹に殺虫剤を撒いたものか
蝶やカナブンも含め、一切の虫が姿を消した。

確かにスズメバチは恐いけれど、巣に近寄る存在を攻撃するので
樹液を吸いに来ているスズメバチには、よほど近づいたり
手を出さなければ大丈夫。
また、もしも軒下の巣を撤去する場合、氣の毒であるが
巣の家族ごと殲滅させなければ、不安定な蜂が
散り散りになると危ない。
蜂が寝静まった夜間、細かい網をかぶせた上で、マキの煙でいぶし参らせる。
そのようにすると、蜂や幼虫が利用できる。
くれぐれも安全な装備や業者による対応を。
ときたま、スズメ蜂との対話によって、平和的に退去してもらえる
名人もいる。

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