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コップが割れて、破片が飛び散った床を掃除すれば、
ガラスのかけらを丹念に探しながら、
それ以外のごみやホコリもきれいに拭き取り、
失せ物さえ見つかったりして、結果
コップを落とす前よりもずっと美しい状態になる。

これは逆に、床が汚れているという不安定が
コップが落ち割れる不安定を呼び、
表沙汰にして、掃除せざるを得なくして
安定状態へ還元させるという法則でしょう。

本当は、そうやって表に目立つことが起こる前に
氣が付いて、床を佳きに調えておくことが大事だけど。

現在の、放射能汚染の問題もそうありたい。


もともと、放射能以外の様々な汚染が
日本や世界各地、そう、地球がだいぶんに汚染されていた。
ダイオキシン、環境ホルモン、農薬、肥料、
PCB、鉱毒、ヒ素、水銀、髪染め、パーマ液
界面活性剤、シャンプー、歯磨き粉、入浴剤、
リン過多 などなど。
何だって、もとは地球の物質だけど、他の安定物質を侵す
不安定な化学的な結合物質が数百万種類と存在する。

そういう物質を測定するまでもなく、
近所の川の水をそのまま飲むとか、泳ぐことができず
目に見える生き物の種類や数が少ない、地域で自給できていない、
花粉症、アトピー、うつ、様々な病氣、治らない医療
を見ても、生きものが生きものとして
今いる場所で、何ちゃあなく、健やかに生きていて
歌ったり踊ったり、家族や仲間と生活や物や芸術を
つくっていくという、本来当たり前の環境がありません。


先日、ひと昔前(埋め立て前)の浦安の写真展を観ましたが
当時の東京湾の参考写真
現在夢の国のあるこの土地は、僕の生まれる10年前までは
アサリなどの貝や海苔作りを生業に、田んぼもあり、家と道の境が分からないくらい
町そのものが仕事と生活の場として人々がつながっていた。
誰かが作って用意した、受身の夢の国ではなく
自ら積極的に、あらゆる機能を利用して夢をかたちにできる町だったといえば言い過ぎだろうか。
当時は、他の町と比較して貧しい村、と思われていたかもしれないが
実際、写真展の写真を撮影した人の話でも、

自転車で東京まで貝や佃煮を売りに来る男性が、わが町浦安の自慢話ばかりしているのを
聞いたのがきっかけという。

僕も、同じ感覚を持って当時に生まれていたなら通っていたかもしれないが、
大切なのは、どこか特別な町まで足労して出かけるよりも、
どこの町も、その土地の特性や環境条件を生かした産物を生業として
最低限の自給自足状態、たとえ橋が封鎖されても、衣食住を自立できる
状態を保っているべきだ。


話が戻るが、もともと環境汚染が飽和地点に迫っている中で、
原発の事故が起きて、ほら、もうとっくにやばいんだから
これをきっかけに、今までの様々な汚染もひっくるめて
環境蘇生しないと、滅びてしまうよ、というメッセージに感じる。
実質的には物理化学的な制御不能が問題であるから、
その解決にも、進んだ科学が先決である。
思いや祈りは、三次元(手足を使った実地たる行動)でやれることを
やり切った上での、またはセットで要る話だ。



願はくば、福島を中心に真の環境浄化を達成させ、過去それまでの
汚染までもすっきりと回復させて、福島を本当の夢の国にしたい。
現在の除染活動は、表土を全て5cmはぎ取るという
途方に暮れそうな手間をかけ、しかも取った土の汚染は何も解決できないまま
ただのビニル袋に入れて積んだり、子どもの遊ぶ公園の地中に埋めているだけで、

畑にいたっては、ただかき混ぜてすきこんでいるだけだ。
線量も変わらない。
線量(シーベルト)は空間の平均値であり、地面からの高さによっても変化する
あいまいなものだから、
放射性物質そのものの量(ベクレル)を、確かな機器できちんと測定しなければいけない。

ハーブ料理とか、 夏休み 子どもが川で遊ぶ体験とか、キャンプ、バーベキュー、
何もかも、きちんと放射能を測定した上で開催を決めたり、
数値を発表した上で、参加するか選択できるようにすればよいのに、
はじめから、全くそのことに触れないというイベントや集まりが多い。
本来健全で、心身にとって有用なことであっても
場合によってはまるで逆に、命を縮めたり、将来にわたる心身の苦痛の
原因のひとつになるかもしれないのに。  ただ、
そのように危惧する人は、とっくに移住していて
薄々(または濃々)問題と感じていながら、解決策も分からないし
仕事などの事情で避難もできないから、みなと同じく行動して
運命に任せよう、といさぎよく開き直らざるを得ない親たちもいらっしゃるでしょう。

精神衛生上、安心というのは大きな影響を及ぼすが
どんなに大丈夫と思ってもお尻に針が刺さっていれば痛いし
100万回「ありがとう」と唱えても、塩酸が飲めるようにはならず、
汚れ散らかった部屋で瞑想したりアロマを焚いても真の至福はない。

放射能が安全か危険かを議論する前に、ただ中立的に、測定した
数値を発表して、あとは自分で判断できたらよいが
測定自体をせずに、または数値を発表しないというのは
かえって怪しく思われて当然。

実際の問題よりも、世間体、空氣を読む、その場の事なかれ主義を第一に
村の共同体で生きてきた日本人は、大事のときも出る杭や変わり者に
思われるくらいならば、子や孫もろともみなで滅んでもしょうがないという
あきらめがあるかもしれないが、日本人は、99%追い込まれても
最後のひかり一滴で、本当のこころで起き上がって
いのちはぐくむ道をひらいていくものである、と信じている。

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