ほんずつから3日間、晴れて 新しい本の撮影です。
今朝は雨上がりもあって涼しく 秋を偲ばせました。
既に日差しはつよく
まだまだ残暑ですが
夜はこおろぎが鳴き
田の稲穂は膨らみつつあります。
青しそとミニトマトは日々摘んで、
こぼれ種のルッコラの葉も美味しそうです。
Tシャツに海パン(中はふんどし)に下駄という装いですが、
3日めは自分の撮影があるので
急きょユニクロで揃えたのを着用します。
とはいえ、下はふんどしに
ズボンの腰には帯を結び、
背には風呂敷を負うでしょう。
さらにお腹にはおむすび、
手は糠味噌をかきまぜたり
おむつを絞っているので
柱は あっぱれ!日本人でございます。
撮影を終えれば、9月はひたすらミシンをかけたり
染めたりして、たくさんの風呂敷を作る作業が待っている。
貧々乏ヒマ無しに加えて現在主夫でもありますが
それでも壊れないマイペースに護られている。
借金0 貯金0 来月の予定はだいたい白紙 という生活を
10年も続けていますが
今年も なんとか 年を越せるでしょうか。
たとえば、不景氣だ、物が売れない、というとき
一般的には、売り方や宣伝、謳い文句、
パッケージングをもっと見直し工夫しよう となりがちですが
僕の考えでは、オファーが無い、少ないというのは
内容、商品の質そのものが甘い ととらえているので
何とか売ろう!という方向に傾けるのではなく
謙虚に研鑽を積んで、質を上げれば
必ず天地に需要の風が吹きこむだろうと。
真に手堅き質であれば、謳い文句や表面デザインの
見せ方次第という、半分騙すような必要はなくなる。
売り買いは元来、等価交換であるのに
「お客様は神さま」というもの言いは、
客を食い物にしているのを隠すために媚びている姿勢だ。
こんな素晴らしいもの、氣に入った人にしか売らない!いうくらい
自信を持てるもの作りなりサービスを提供されたし。
生活や家族のために、不本意ながらも魂を殺して
世のならいに従う、という選択もあるけれど、
あまり嘘をついて生きていてはかえって病氣になり
人生は不安定になる。
自分が殺されてもよい、
橋の下で暮らしてもよいという覚悟をもって
真実を貫くこと、それがきっと生きているということです。
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なるほど、納得です。
コメントをありがとう。
毎度、出まかせながら
一つの視点として書いております。功