ふろしき王子のブログ◎
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土曜日の夕方から、念願?の盆踊りで太鼓を打ちました。

僕は、故郷浅草の東京本願寺の盆踊りで、小学生のときに太鼓をはじめた。
一昨年は、当時住んでいた小平市の町内の盆踊りで打たせてもらったが
ここ日野市に移ってからははじめてです。


元々の、ここで太鼓を打つメンバーに、ちょっと混ぜてもらう感じと思って
行ったら、他に太鼓を打ちそうな人が見当たらない。

結局、僕と、もう一人の男性の2人で交代しながら
4時間打ちつづけました。


からだの重心が低ければ、腕を振るうとて全身運動となり
どこか一箇所の筋肉が疲れるということはないと
分かっていても、さすがに4時間を2人でという経験はなかった。

水筒3本と、塩の入った小びんを持参していたので、
こまめに水をすすっては、手の平にポンポンと塩を振ってなめた。
この頃の東京は、30度を越えないときがあるほど、
猛暑という暑さではないが、それでも打ちつづけていれば汗をかく。

お昼に、妻の打ったうどんを食べて、夕飯は食べないまま
打ちつづけましたが、特にお腹がへることも
腕が痛くなることもなく、無事に終了しました。

途中で右手のひとさし指を打って痛くなりましたが、
ひとさし指は元々、力んで使わずに添える程度のもの。
だからこそ、握らずに浮いていて
ぶつけやすかったわけですが、不都合はない。


とにかく、いつも部屋で色んな楽曲(ポップスも含めて)に
合わせて素振りしていたのが、本物の太鼓でたっぷりと
打たせてもらったので、一つ夢が叶ったといえるかもしれないが、
今度は、何かのライブでセッションしたいという野望もある。

踊るのも好きで、この頃は歌うのも苦手意識がなくなった。
息子を前に乗せて自転車で八王子まで往復1時間弱の道中、
ずっと歌をうたいつづけていることで
声が鼻に抜けずに、ほとんどを音として歌い出す感覚をつかんだ。

先生は息子です。子どもの、ほんっとによく通り渡る声に
触れながら、真似をして身につけました。

親と子。進化しているのは子どものほう。
これからも、色々学ばせてほしい。


太鼓を打ったり、踊ったり、歌ったり、そして
風呂敷を結んだり、縫ったり染めたり、服をつくったり
絵を描いたり、忍者教室をしたりと、
かえり見れば色んなことをしていますが、
全てに共通する、低い重心による安定と、
それによって自由にコントロールできる動き、
そこから発せられる表現が、どのように変わっていくかという
好奇心が源にあります。

人々ひとりひとりが、自分で色んなことをできる という下地の上に、
その中でも抜きん出る人がいる、という状態がよいと考えている。
はじめから餅は餅屋、ということで自分の専門以外は
全く知らず存ぜずという世の中では、柔軟性や助け合いが
非効率になったり、簡単に騙されることにもなる。

極端にいうと、僕は、高度な職人技は必要ではないとすら考える。

人が生きていくのに必要な技術が、それほど難しいものであってはならない。
必要に迫られて練習すればどんな人でも習得できるレベルがよい。
あとは、材料そのものの質を高めればよいのだ。

素材がよくて、技術はシンプル。

その上に、達人級の人が現れて、それは趣味や道楽、芸術の
領域として、生活必需品には求めていない。

むしろ、本当に高度な技術ってのは即ち、
よい素材を育てたり選ぶことじゃないか。


夜に書いていると、文章が流れやすく、きりがないので
そろそろ寝ます。
現在、2冊目の本を製作中で、使い方のイラストを描いている。
誰よりもお金のない私ですが、色々なご縁をいただいて、
やることがある ということはとても有難いことです。
生き物にとって大事なのは、居場所だから。

自分の世界や思いの中を居場所にすることもできるけれど、
人は他人との結びつきや関わり合いをどこかで欲するもの。

そういう意味でも、日々このブログを覗きにいらしてくれる
幾百(盛っている?)の、中には顔も知らない方々の
まなざしが、おのずから応援となって、僕のエンジンの
潤滑油となっています。感謝! でっかく、やさしく、いっぱい、さちあれ。


(なぜか、つづく)。

ふと考えを思い返したので書きます。

つらいことをつらい、とか
こまったことを困った、 嫌なものは嫌 と
何かに抵抗したり拒否する言葉を発すれば、

スピリチャルな方(一部)は、
そういうネガティブなことを口に出しちゃだめ。
より濃く、現実化するよ。と言う方も
きっといるんですよ。

ただし、 ね  それで得をするのは支配者と思いませんか。
奴隷が、不当で過酷な労働を強いられていたとして、
それでも、マイナスなことは声に出さないほうがよいと、
「楽しいね~。しあわせしあわせ」と言っていたら、
その搾取はなくならないかも。

本当に、ポジティブに生きるってのは、
ネガティブなことをネガティブととらえないこと。

「つらい、しんどい!」と叫ぶことはネガティブなのか?
それによって、状況を改善し、心からの笑顔を生む
きっかけになるとすれば、振り返って、あのように
悲鳴を上げてよかったということにもなる。


汚い川に浸かって、「きれいだね~うつくし~」と言いつづけるのが
ポジティブでよいことなのか、
「げえっ  きたない!!!これはまずいぞ」と抵抗を示し、
実際に汚れの原因をとって、真に美しい川にするのと、
どちらが、手足を持ち、行動や協力のできる人にとって
自然で、誇りのある姿勢といえるか。

聖人を演じなくていいんだ。泥臭く、愚直にたんたんと、
自己中で、ときに役立たずでいいから、周りに合わせることもなく、
素直なあなた、そのままでいてほしい。
たくさんの刷り込みを払い捨てて、馬鹿勇氣の扉をひらけ~。

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