西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

『読書力』(齋藤 孝、岩波新書)を読む

2010-01-06 | 教育論・研究論
最近、やたら『○○力』といった本が多い。よほど、日本人は「力なく」「弱弱しく」なってきたのかな。

 でもまあ一度読んでみるか、と思って年末年始に『読書力』(齋藤 孝著、岩波新書)を読書してみた。先頃の「教育論」問題意識の続きである。さすがに、こういう題の本を書くくらいなので、齋藤さんは、若いころから猛烈に読書していることが分かる。

 文庫本100冊、新書版50冊を22,3歳頃までに読むべし、と「文庫本」100冊の推奨リストも付いている。とにかく、読書する癖、作法をつけてしまえば死ぬまで楽しく有意義に読書でき、それが、何事をするにも思想、行動のベースになるとのことだ。

 面白かったのは、一つには、本を読むということは、その著者から面と向って語ってもらっていると考えると、古今東西の識者に「教えを請うている」格好で、「至福の時間だ」ということだ。もう一つ、面白い考えかなと思ったのは、例えば西洋では『聖書』といった「唯一絶対の本」があって、それにより生き方の基本が決まる面が強いが、日本では、そういう書は、ないので、そのため一定の本を読んで(言わば「雑学」ブレンドして)「大体の生きかた方向」を定めてきたのではないか、とのことだ。(江戸時代までは、『論語』などの「四書五経」であったかもしれないが・・・)

 後、具体的な書棚での背表紙を見せた本の並べ方と並べ替え方、読書会の効用、三色ボールペンでの線の引き方、複数の人で登場人物、キーワード等を共同でマッピングしてみることなど、How to?に関する技法伝授もある。

 細かいキーワードの一つで「アイ・スパン(目が行き届く空間)」というのが面白い。別のことだが、触発されて、建築を見る場合でも、どの範囲を見るかによって、見方が違ってくると思った。

 注文としては、出来れば、何歳から始めても「読書力」は身につくものだ、そして「読書は楽しくて知らず知らず役に立つものだ」という風に展開して欲しかった。

 でも国民全般に「読書力」がつくことが、全体的な国民力を確実につけ、上げていく「急がば回れ、瀬田の唐橋」だ、ということは本当にその通りと思った。

 齋藤さんは、ここから『コミュニケーション力』『教育力』『段取り力』『退屈力』などと、どんどん「力」をつけて普及している。私も、いくつか「○○力」を構想してみているが、早くやらないと齋藤さん他に先を越されるかな・・・。