西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

書院造りと明窓浄机、鰻の寝床と間口税

2006-06-06 | 住まい・建築と庭
寝殿造りは現存せず、図面で知るのみだが、書院造りは、ほぼ室町時代に出来上がり、江戸時代を通じて広がり、現在も庶民住宅まで取り入れられている。
その住み方イメージとして「明窓浄机(めいそうじょうき)」ということがある。それが成り立つためには、日ごろの維持管理が行き届いていないといけないことと空間装置としては「蔵」があって当面不要な設えは片付けられていることがあるだろう、と話しておいた。
江戸時代の町家の間口が狭く、奥行きが深く「鰻の寝床」になるのは、間口の幅で税金をかける「間口税」のためではないか、とも話しておいた。(『建築史』)

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-08-04 22:46:22
西村さんごぶさたです。例のうなぎの寝床論ですが、以下のようなコメントをいくつかのブログに送りました。

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「うなぎの寝床」状の町家が間口に対して税金をかけたためにできたとする説をweb上にお書きですのでお尋ねします。たしかにweb上にはたいへんたくさんこの説が出まわっています。
 税金逃れ説はあきらかにまちがいなのですが、どこからそのような説をお聞きになったのか、あるいはお読みになったのかがわたしの興味のあるところです。古くからいわれているようですが、文献ではまだ発見できません。

 ちなみに2008年7月28日にWIKIPEDIAの「京町家」の解説を以下のように修正しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E7%94%BA%E5%AE%B6
 「町家の立地する敷地は、間口が狭く奥行きが深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれる。これは、江戸時代頃に町費が間口に応じて決められたためであるとする【俗説が流布しているが、これは誤りである。通りに多くの家屋を建ち並ばせるためには、必然的に間口が狭く、奥行きが深くなる】。」  (【】内を中林が追加しました。)

 失礼があればおゆるしください。純粋に学術的な興味からコメントしました。
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 偶然チャンネルをまわしたら、きょうは京都テレビで高橋康夫さんがあやまりだといっていました。

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Unknown (中林浩)
2008-08-04 22:47:50
 上の投稿名のるのを忘れていました。神戸松蔭女子学院大学の中林浩です。
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検討しましょう (ichiro)
2008-08-05 09:19:28
コメントmerci!
・最初の開発の仕方はどうだったのだろうか。大きな区画の土地があり、あとは自由に宅地割りさせたのかどうか。最初から、細かく宅地割して売ったのかどうか。
・間口税なるものがあったのかどうか。
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ありがとうございます (中林浩)
2008-08-05 14:17:39
 宅地割については、野口徹さんや高橋康夫さんの本がいちばん詳しいと思われます。中世後半からは道に沿って細かく自然に宅地割されたものと思われます。
 間口税のようなものがあったのは確かなようです。この研究書にはまだ出会っていませんが。
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