西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

壬申の乱について松本清張の発言

2009-06-09 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
一昨日のブログで、ラジオで聞いた松本清張さん(1992年没)の壬申の乱について説についての私の受け取り方を記したが、昨日、本屋に行って『松本清張の日本史探訪』(角川文庫)を買って当該部分について当たった。以下、引用する。

その前に、周知の通り、この壬申の乱(672年)は、亡くなった天皇(天智天皇)の息子(大友皇子、新天皇に即位、「弘文天皇」)と天智天皇の弟(大海人皇子、後の天武天皇)との、つまり甥と叔父との争乱であって、叔父が武力で新天皇の甥をねじふせ、新体制を作る物語である。こういう天皇家と親戚の争乱は、「万世一系」を言い出した明治政府にとっては都合の悪いものであり、こういう歴史は、戦前は、教科書には載せず、旧制高校に入るまで教育されなかったらしい。

引用:「私は、壬申の乱こそ、大化の改新(645年)の有名無実を実際に実現した事件であると考えています。事件後の経過は、大化の改新を実際的に仕上げたということですね。

 そして、大海人皇子は、在来の豪族との妥協によらないで大王になったわけです。つまり、それまで豪族に対してとったいろいろな政策、たとえば婚姻政策などの妥協の中で大王になるというのではなく、武力で征服したということです。これで名実ともに大王になったわけで、これはきわめて重大なことです。

 漢の武帝など、皆そうです。実力でこそはじめて大王の位が周囲に認められるのですから。まさに神権的な天皇制は、天武天皇の時に始まったと言えると思います。

 しかし、その天武天皇の役割を考えてみましょう。柿本人麻呂が歌ったように「大君は神にしませば」と『万葉集』にありますが、その現人神―生きながら神であるということは、当時の律令体制の中で見なければいけない。

 ということは、律令制度は完全な官僚政治ですから、官僚政治の中での天皇の位置づけは、天皇親政ではなくて、天皇の地位は今の言葉で言えば一種の機関と言いますか、「天皇機関説」と同じことなのですね。天皇は象徴的存在として神棚の上に置いておく、政治はわれわれがやります、というのが官僚政治であり官僚国家です。

 そういう意味で、「神にしませば」という表現は、一方では神権的な天皇への賛歌でもあるけれども、一方では、神様なのだから現世の政治にはあまりタッチしないでください、というような位置づけをしているとも言えるのではないかと思いますね。

 それから、さきほど大海人皇子が大友天皇(弘文天皇)の皇位を簒奪(さんだつ)したことにふれましたが、歴史学者の多くは、大友皇子が即位した事実のない点をいってこれを否定する。だが「事実」とは何か。それは『書記』に即位の記事がないというだけです。『書記』が大友即位を隠している疑いが濃厚だから、簒奪否定論には根拠が弱いのです。

 なぜそういえるかというと、『書記』は壬申の乱で、近江朝廷側の内部の動きをまったくといっていいほど伝えていません。史家によっては、大津宮が兵乱にかかったとき朝廷記録が焼失したり散逸したので、『書記』編纂時にその資料がなかった、だからそれを載せることができなかったなどといっていますが、たとえそうだとしても、大海人方は戦争終結直後に、近江朝廷方の重臣たちを裁判にかけています。大海人皇子は不破にとどまって動かなかったが、その代理として高市皇子が大津に行き、裁判長となり、右大臣中臣金(なかとみのかね)、左大臣蘇我赤兄(そがあかえ)、大納言巨瀬比等(こせのひと)などを審問し、八人を重罪とし極刑を判決しています。このときの被告らの陳述記録が、天武朝廷側にかならず保存されていたはずです。

 審問に対する被告の供述記録があったことは、のちの橘奈良麻呂(たちばななのならまろ)の謀反事件(757)でも、審問官と奈良麻呂の一問一答を『続日本紀』が載せているのでもわかります。

 『書記」が近江側被告の供述を削除したのは、それを記載すると、太政大臣大友皇子が天皇に即位したことその他がわかり、大海人皇子の皇位簒奪が明瞭になるからです。壬申の乱の『書記』の記事は豊富だが、すべて大海人皇子方の記録、とくに従軍記録が多い。これは、近江朝廷の記録を載せなかったのをごまかしたともみられます。『書記』編纂は天武の意志ではじまり、天武直系の天皇(元明・元正)の下で完成していることからみても、天武の兵力による皇位簒奪の事実は、なんとしてでも隠蔽しなければならなかったのです。」(129-131頁)

 正に国の公式記録(正史)は、権力側の記録なのである。


 


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3 コメント

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そういうことなら (通りすがり)
2009-06-09 20:25:01
そういうことですか。どうもよく分かりませんでしたが、そういうことであれば、よく分かります。ご紹介、ありがとうございました。
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清張 (梅沢)
2009-06-10 18:05:00
清張は殆ど乱読しましたがその本は知りませんでした。早速探してみます。
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司馬史観より清張史観 (ichiro)
2009-06-10 21:08:02
梅沢さん

清張さんは推理小説家として知られていますが、古代史など歴史についても広く深く勉強していると思います。司馬遼太郎の史観がPRされていますが、私は、むしろ松本清張史観の方が「骨太」と思います。ヤバタイコク九州説はどうも・・・と思うけれど・・・。
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